アスタラビスタ 6話part5 6話完結
私は、ただ頭の中でぐるぐると考えるしかなかった。
私の身に何が起こったのか。そして彼らの身に、今何が起きているのか。
考えれば考えるほど、分からなくなっていく。私はどうすればいいのだろう。私はこれからも、雅臣と一緒にいていいのだろうか。
雅臣はどう思っているのだろう。雅臣は、私に身体提供者になってほしいのだろうか。だから、私との手合せを引き受けてくれていたのか?
もし身体提供者になったら、私はこの孤独から、解放されるのだろうか?
あまりの息苦しさに、私は思わず足を止めた。このままでは、心臓が破れてしまう。膝に手をつき、呼吸を整えようとする。
「なんだよ、もうギブアップか?」
立ち止った私へと、彼は引き返してきた。
「持久走は、あまり、得意ではないんです」
途切れ途切れに私が答えると、彼は白いTシャツの肩で額の汗を拭いながら笑った。
「持久力がなかったら、手合せには不利だぞ」
どうして、私の気にしていることを、この人は刺激してくるのだろう。眉間に皺を寄せ、私は反論した。
「だから、短時間で片を付けられるように、技を磨いてるんじゃないですか」
「それにも限界があるだろ? 自分が完全な状態で戦える時間が長い方が、絶対に有利だ」
私へと歩いて来る彼も息が上がっている。しかし、まだまだ体力は残っているようだ。
「ほら立て。急に止まるのは身体にも良くない」
私の右腕を掴み、彼は私に立ち上がって歩くよう促した。
川沿いの遊歩道を、鈍く重たくなった足で歩く。風が吹く度に、植えられている木々の葉が、ざわざわと音を立てた。
「どうしたんですか? その、腕の怪我」
彼は右肘に白いガーゼを張っていた。
私が清水とマンションで話したあの日、駅近くで喧嘩があったと、夜のニュースで流れた。どうやら未成年の少年同士の喧嘩だったようだが、一人の少年は刃物を持っていたらしい。けが人も出ず、その場で警察に確保されたという。
「あぁ、これか。ぶつけたんだよ」
その事件が、雅臣たちが駆け付けた喧嘩と同じだったのかは分からない。私には、確かめる術もない。
だが彼の右肘の怪我は、明らかに打ち身ではなかった。
切り傷の治療が施されていた。
もし私が尋ねたとしても、彼は絶対に答えないだろう。彼はそういう男だと、私にはもう理解できていた。
「お前さ、この前マンションに来てたけど……清水と何の話してたんだ?」
雅臣が私から目線を逸らし、宙を見つめたまま尋ねて来た。私は思わず「え?」と聞き返した。すると、雅臣は困ったように頭を掻き、歩いていた足を止めた。
「言っておくけど、清水はおすすめしないぞ! あいつ、ああ見えて結構腹黒いところあるからな!」
なんの話をされているのか分からず、私はただ目を見開いて首を傾げた。
「そりゃ、失恋の傷を癒すには、新しい恋を見つけるのが一番だとは思うが……」
口に手をやり、真剣な顔で話す雅臣に、私はやっと彼の考えていることが分かった。私と清水が二人で会っていたことを、彼は恋愛的何かだと勘違いしているのだ。
思わず私は声を上げて笑った。「あははは」と涙が出るほど笑った。腹を抱えて笑った。
「な、なに、笑ってるんだよ」
怪訝そうな顔で私へと目を向けた雅臣は、自分の言っていることのどこがおかしいのか、全く分かっていないようだった。
「そんなんじゃないです。私は別にそんなつもりはないです」
笑いながら私が答えると、雅臣は「じゃ、どうしてマンションにいたんだよ?」と尋ねて来た。
「それは……」
言葉に詰まった。本当は、私は清水から身体提供者に勧誘されていた。だが、その話は雅臣に秘密にするよう、清水に言われていた。言ってはいけないのだ。本当のことを。
たとえ、私が身体提供者になるつもりがなくても、勧誘の話を秘密にしなければならないことは変わらない。
「清水さんが、雅臣さんのことをどれだけ信頼してるかって話を聞かされていただけです」
「なんだ、それ」
呆れたような顔で、雅臣はため息をついた。
そう。秘密にするという約束は守っておいた方がいい。
でなければ、清水は何をしてくるか分からない。私の勘だが、あの男は怒らせるとまずい気がする。普段大らかな人ほど、怒ると怖いという。
「あ! 二人とも、こんなところにいたのか!」
後ろから声が聞こえてきて、私と雅臣は振り返った。住宅街へと続く階段から、圭と清水が顔を出して、こちらに手を振っていた。
私は清水の目が合った。身体提供者の勧誘のこともあり、なんとなく彼を恐れていたが、今日の彼は先日のことなど忘れているようで、私へと微笑んできた。
「これから、手合せやりに行こうぜ!」
大きな声で叫んできた圭に、雅臣は眉間に皺を寄せて答えた。
「今日は道場の予約が先に取られていただろ。だからこうやって俺たちはランニングしてたんだよ」
そうだ。だから今日は体力づくりと称して、私と雅臣は走り込みをしていたのだ。私は嫌がったのだが。
「その予約を取っていたのが、亜理と晃だったんだよ。今電話で連絡があって、久しぶりに手合せしないかって」
清水が携帯を持つ手をゆらゆらと揺らした。「亜理」という名前を聞いて、私はすぐに赤い髪の少女のことを思い出した。
その話を聞いた雅臣は、困ったように私に尋ねて来た。
「お前はどうする? たぶん、手合せはできないが……」
そうだろう。彼らのいう、この「手合せ」は彼らの仕事仲間だけでの手合せのことだろう。一般人の私がその中に入ることはできない。
私は知っている。自分が参加できない手合せほど、つまらないものはないということを。
すると清水が口を開いた。
「いいじゃん、紅羽ちゃんも来るといいよ。勉強になると思うし」
彼が私へと向けた視線は、明らかに挑発を含んでいた。彼はやはり、私を雅臣の身体提供者に勧誘したことを忘れてはいなかった。
自分の戦う姿を、私に誇示しようとしているのが、容易に感じられた。
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