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試して自分の弱さを晒し出せるほど強くなれるというので、自分がどう変わるか試してみたその3〜自由に穏やかに生きていくことを価値観にしてから編〜

さて、自分の弱さを晒し出すと本当に強くなれるのか試してみようの回
今回が3日目

うつになりまともに仕事をこなすこともできない
社会不適合の烙印を自分自身に押してからの話


体を壊した次の年は常勤ではなく非常勤で働くことになり
仕事のペースを落として過ごすことになる
結果的にこれはとてもよかったといまではすごく思うが
当時は自分には能力がないと評価されたとしか思えなかった
まあ実際そうだったろうけど


少し時間のゆとりができたこの時に
自分の心を穏やかにする系の本を読み漁っていた
一番衝撃を受けた本はなんと言っても「嫌われる勇気」
よく売れている本なので読んだ人もたくさんいるだろうけど
どこが一番刺さったのかは人によっても違うかもしれない

自分にとって一番刺さったのは
「課題の分離」という考え方
自分のことは自分の課題
相手のことは相手の課題
ざっくり言ってしまえばただこれだけ

今考えればすごーく当たり前のことなんだけど
自分を責めることで人との対立を避けて続けてきた人間にとっては
まさに目から鱗だった

自分の頭の中がすごくスッキリした


相手のことは基本自分とは別問題
もちろん一緒に考えたいと思うなら
自分の意志で相手の課題にも一緒に取り組めばいい

ただし自分の課題は
自分で解決するしかないもついてくる


もちろんいきなり考え方がこの通り変わったわけではない

今でも嫌な顔をされたら
「自分が悪いことをしたんだろうなあ」って思うし

「こんなことしたらなんて思われるだろう」
みたいな思考は止まらない

でもこれは人間が生きていくための危険察知センサーみたいなもので
思考が湧いてくるのはどうしようもないこと
自分を観察して切り離すこともできること
そんなことを学びました



ちなみに余談ですが
この後アドラー心理学を使った学級経営みたいなことにも挑戦しました
実際にはあんまりうまくいかないが自分の中の結果としてあります

自分が下手だっただけかもしれませんが
最終的には自分の課題は自分で解決するしかない
がみんなの前提になっていないとむずかしいなあって感じたのが理由です

自分の課題を自分で解決するという決意を
子どもにも保護者にも持ってもらえるようにする術を
私は持っていません笑
本を何冊も出しているようなエキスパートな先生ならできるかもしれませんが



教師の仕事をしてて一番辛いと思ったのは
一生懸命考えて試して何とかしようとしていることを全然理解してもらえなかった
これだったかなあって思います

なんかもういいやって思っちゃった瞬間がありました
自分の大事な人が普通に過ごせるようになりさえすればもういいや
そう思っちゃいました


うーん、結構爆弾発言かもしれませんね
先生の立場なら思ってたとしても絶対口にできません
でもそう思っちゃったんだから仕方がない

ただ正直なところ
自分のことは自分でするしかないよって突き放すくらいの方が
子どもはちゃんと育つと思います

なぜかというと
突き放したところで子どものしたこと責任は親も引き受けることになりますから
子供の失敗(=親や先生教育の失敗という烙印)と向き合う覚悟が親や先生になければできないとことだと思うからです


そうして3年くらいかけて少しずつ勤務時間を減らしながら
ドロップアウトしていきました
この間が教員生活の中で
一番余裕を持って
自分の考えを持って
試行錯誤しながら
仕事ができていたかもしれない

一番成果が出たかもしれない時期なのに
一番給料は安かった
なんとも皮肉だなあと思いました


今は家事、育児を引き受けながら投資の勉強してるって感じです
まだ利益は出てませんよ、損失ばっかりです
このまま続けていけば2、3年後には状況を変えられると思っていますが
毎日自分で自分を奮い立たせるのは本当に骨が折れます
毎日自分はまだまだ弱いなあって思います
こんなことだらだらと書いてていいのかなあって疑問もたくさん湧いてきます

ただ書き殴っているとまあこんなもんだよねえとも思えてきました

自分の弱さを晒しせだのかとても疑問も残りますが
やってみて思ったのは
自分が強くなれるというより
自分を客観視できたかなあということでした

これも強さに繋がるのかな
そうなればいいね


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