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ありのままの自分でいるのは不可能だから目指す必要ない?もしそうだとしたら今よりもっと楽に生きられるかもしれない

鈴木祐さんの著書「無(最高の状態)」を読んで一番なるほどな〜と思ったこと。

この発想は今ままでなかった。
穏やかに過ごしていくためにとても役に立ちそう。
ということで、読み終わった後の振り返りとして
自分なりに考えたことをまとめておこうと思う。

そもそも自己とは何かという話。
自己=脳内物語の集合体
それってもう妄想の世界の自分ってことになるよね。

そうなるともう本当の自分なんてなんでもありだね〜

本当は真面目な自分とか
本当は裏ではずるいことを考える自分とか
本当はいい子なのに周りから認めてもらえない可哀想な自分とか
本当は言いたいことあるのにみんなのために我慢してる自分とか

いやいや、本当じゃないでしょ!
って突っ込みたくなってくる 笑

こうやって考えていると
本当の自分、ありのままの自分かどうかなんて
もうどうでもよくなってくるなあ・・・


でもって、次に考えたのが
目の前の現実が全てで、
そこにあるのが
ありのままの自分=現実の自分
なんだろうなあってこと

勉強めんどくさいけど頑張りたいんだよなあとか
習慣って大事なのはわかってるけど地味すぎて挫けそうとか
旅行行きたいけどお金かかるのはつらいとか


目の前の現実で考えていることって
本当の自分は〇〇、ありのままの自分は〇〇みたいな
綺麗なイメージじゃなくて
すごーく矛盾だらけでわけわからない感じなんだよね。(少なくとも自分の場合は)

でもまあこんなもんなんだろうなあって思うよ。
だってこれが現実だもん。

自分なりに自己を観察してみたらこんなところに行き着いた。

ここに善悪の判断は入れない。
良いも悪いもない。
絶対的なものなんてない。
相対的でいいんだよ。

これはちょっと前に学習した。
相対的理論の勝手なこじつけ応用で 笑


ごちゃごちゃ思ったことを書き殴っちゃったけど
まあいいよね。
このnoteはそもそもそういう使い方するつもりだったし。


といことで結論。

本当の自分とかありのままの自分とかは
何だっていい
妄想の世界は現実とは直接は何の関係もないから

何を思ってても何を考えててもいいから
☆とりあえず目の前のことやっていこうぜ☆

って話だね


本の趣旨とは離れているとは思いますが、
自分なりに考えることがあって
とても参考になりました。

著者の主張や書かれている内容を正しく理解するのは確かに大事だけど、
「自分なりの解釈や使い方を考えてみる」
こういう本の使い方もありだよね。

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