タダシさを追い求める人の天国
マタイ5:6 ~やさしさのあとの正しさ~
天国に入れる一番手は正しい人じゃなかった!ということ?「さいわいな人」の4番目でようやく、「正しさ」がでてきます。
たしかに、この世では正しいと思っている人どうしのぶつかり合いが多いし、オーバーヒートにもなりがちだし。やさしさを身に着けてから、正しいことは何かを考えるのは、正しいのかも。。。
義に飢えかわいている人たちは、
さいわいである、彼らは
飽き足りるようになるであろう。
“正しい”のではなく”飢えかわいている”
熱帯の生活は、水なしにはもちません。朝起きたらまず1リットル、にはじまって、出かけるときには1リットルのペットボトルを用意しておかなきゃ、みたいな。年中そんな感じで、水不足はすぐ腎臓を傷めるし、命を縮めてしまいます。
乾燥地帯は、もっと大変でしょうね。そんな地域で「飢え渇く」なんて、ホントに命にかかわるところをついている言葉です。
でも、飢え渇いている。
水が十分にあるんじゃなくて、もしかしたら、危ないくらいに、水が足りない。
でも、何かに夢中になっているときは、その危険が迫っていても気がつかないこともありえます。熱中症に陥って倒れてしまって気がつく、と。気がつけばまだいいのですが。。。
「正しい」ことを追い求めることに熱中しすぎて熱中症にならないで、心から満腹して満足できるようになるには、どうしたらいいんでしょう?
山道で半殺しの目にあった人
ルカが記録しているエピソードから。
律法学者と呼ばれるユダヤ教宗教家が、イエス・キリストと弟子たちとががやがや集まっている中にやおら立ち上がって問いかけます。正しいと自負する人物の代表のように、福音書に登場する人です。
「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」
イエスが「律法には何と書いているか」と再度、問い直すと、
「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」
「それを実行しなさいよ」とのイエスの言葉に、弁解気味に「わたしの隣人とはだれなのか」と問います。
その答えが、「良きサマリヤ人」という譬話。山道で強盗に会い、半殺しの目にあって倒れている人のわきを、二人の宗教家が避けて通り過ぎていきます。最後に旅の途中のサマリヤ人が助け、一命を取り留めたのでした。
律法学者は、このあわれみをかけた人が、倒れていた人の隣人だ、と正しく答えます。
譬の中の死にかけていた男とは、誰だったのでしょう? 律法学者とイエス・キリストのやり取りを聞いていた弟子たちには、襲われ、死にかけて、宗教家たちからは見捨てられてしまっていた男は、「あれは自分だ」と思っただろうと想像します。良きサマリヤ人はイエス・キリストです。
だからこそ、弟子たちは、率先してイエス・キリストの指示に従ったのでしょう。
自分が正しいから、率先して奉仕をするのではなく、義に飢え渇いていたからこそ、すすんで命の水をわかちあう奉仕に参加していた。それが弟子たちでした。
「さいわいだ」と言われるのは、そんな人たちです。
いい人、正しい人、罪びと
イエス・キリストは、律法学者をどんなふうに見ていたのか。
イエスの弟子たちを見下していたかもしれないその学者を、でも、非難の言葉をぶつけるでもなく、シンプルに、「あなたも行って、同じようにしなさい」と、良きサマリヤ人にならえ、とだけ言うのです。
語るべき事だけを語る。イエス・キリストには、弟子と律法学者と、全く区別していなかったようにも思えるんですね。
後年、使徒パウロが書いた手紙の中の一節にこんな言葉があります。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。(ローマ人への手紙5章7-8節)
あの人イイ人だから、あの人のためだったら何でもする、と思うことはあるし、命だって惜しくない、ということもある、と。
でも、正しい人だから、というのでその人のために何でもする、命も捨てる、ということにはならないだろう、と。
もっとその上があって、自分を敵視して、酷いことばっかりする、その人のためになんでもしよう、命も捨てよう、なんて、考えられない。
でも、イエス・キリストは、その考えられないことをしたのだ、と。
それが、キリストの公正さでした。罪人のために命を捨てるほどに、公正に人を見ていたのです。
自分の内にそんな「正しさ」はない、と、そりゃ明らかでしょう、と認めるしかないですが、でも、そんな自分をも、キリストは愛し、神は愛している、公正に。それがパウロの結論でした。
キリストが王になった世界に暮らしたいと思いませんか。義に飢え渇くなら、さいわい!! その世界で、飽き足りるようになる、のですから。
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