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はじロー(2) 励ましあう絆への熱意

ローマ人への手紙1章8-17節

励ましあう絆への熱

ローマの聖徒たちにぜひ会いたい!! パウロは長らくその願いを持ちながら果たせないでいたようです。

使徒パウロが特にローマの聖徒たちに会いたいと願っている理由は、「御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいから」でした。同じ志を持つ者同士の交流は、互いの士気を高めることはよくわかります。それと同じように、主イエス・キリストを信じる者同士の交流は、大きな励ましとなるのです。

キリストに属するものとなった聖徒であっても、人間として突然、違う人間に変身するものではありません。自分自身に対して忍耐することが必要な時が、多々あるものです。そのためにも、互いに励まし合う仲間の存在は、とても大切になります。

使徒パウロが願っていることは、ローマの聖徒たちが豊かに実を結ぶことになることです。

パウロのその願いや熱意はどこから生まれて来るのでしょうか。

意外な言葉が使われます。「負い目」

「負い目」とは、普通は他人に対して過ちを犯してしまった時の気持ちです。別の手紙で、パウロは自分の事を「罪人のかしら」と呼んでいるのですが、主イエス・キリストに属する人たちを迫害していた過去を思っての「負い目」なのかもしれません。

でもそれ以上に、キリストの福音がどれほど素晴らしいものかを先に知ってしまって、それを自分だけのものにしておいては、それこそ迫害していた時以上に悪いことだ、という気持ちがあったのだろうと思います。

福音に対する信仰が、罪人を義人にし、さらに義人とされた人を義に生きるように造りかえていくのです。そのすばらしさを、多くの人に知ってもらいたい! それが、パウロの熱意の源泉でした。

ローマ人への手紙1章8-17節

 まず初めに、私はあなたがたすべてについて、イエス・キリストを通して私の神に感謝します。全世界であなたがたの信仰が語り伝えられているからです。私が御子の福音を伝えつつ心から仕えている神が証ししてくださることですが、私は絶えずあなたがたのことを思い、祈るときにはいつも、神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ、何とかしてあなたがたのところに行けるようにと願っています。私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。兄弟たち、知らずにいてほしくはありません。私はほかの異邦人たちの間で得たように、あなたがたの間でもいくらかの実を得ようと、何度もあなたがたのところに行く計画を立てましたが、今に至るまで妨げられてきました。私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。


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