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無職を辞めて、働くのを辞めて

助けてくれ~~~~~~~~~~~~~!!!!!
と叫びたくなる冬。

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私は去年の5月から無職を満喫していたのだが、ある日ふと立ち寄った書店で、雷に打たれたかのように脳に言葉が浮かんだ。
「働きたい!!!!!!」
「社会に関わりたい!!」
「外の世界の繋がりが欲しい!!!」
ビビビと髪の毛が広がり、私は足早に家に帰りパートナーに告げた。
「私働く!」
実はその時福祉の力を利用し生きていくと決めていたそのあとだったので、パートナーも驚いていたが、前向きな理由なので背中を押してもらった。

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そうと決まればさっそく求人を探し、違う場所ではあったが本屋の求人を見つけ、美容室に行き黒髪ボブにしてもらい、証明写真をパチリと撮り、気づけば面接だった。

面接では鉄板トークで面接官の腹をよじれさせ、40分も話し続けた。これで落ちたら講談師にでもなろうかしら、と思っていたらすぐに採用という流れになり、私は社会復帰した。

制服のために長めのスカートを新調し、ちょっと厚底のスニーカーもプレゼントしてもらった。

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時を同じくして、通ってた脚本講座から、また60分ものの作品を書く講座をすると報せが入った。ええ、やりますとも。お金も払えるんですし。
夢を追いながらお金もきちんと稼げちゃって私すごいんちゃうん、と思った。

そして、勤務初日
疲れたけれど楽しかったし、初日でもうレジもうたせてもらえてこれから頑張るぞ!と寝て起きたら体調が最悪になっていた。
その日は休んで、次の出勤日には必ず!と言ったが次も行けなかった。そこから二度と行けなくなった。

上司も先輩も良い人だし、業務も覚えてこなしていけそうなのに、労働というものそのものが私は辛かった。
労働するということは新たな社会と関わっていくことだった。しかし、私はどの社会でもうまくいった試しがなかった。学校も仕事も、どれも私には不向きだった。きっと父に似たのだろう。

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働きに出たことによって、より一層自分は社会に適合しづらい人間だと実感した。私は、世界の隅でうじうじ物を書いて過ごしたい人なのだった。友達もそう多くはないが、それで十分だった。

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また、脚本を書こう。ブログも書こう。裁縫をして刺繍も編み物もしよう。
もうすぐ春が来る。日常の8割頭痛がするけど、春が来る。
良いこと書いて終わろうと思ったけどめちゃめちゃお腹痛くなったからやめます。またね。

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