アニメの昔と今から考えること
あんたにも好きなことってあると思うんだよ。
俺の場合はガキンチョの頃からアニメが好きで、宇宙戦艦ヤマトやらガンダムやら見まくっていたんだよね。
本当に小さい頃はマジンガーZやらボルテスVやらガッキーンやらの超合金で遊んでたと思う。
でも同時期にやっていたハイジやら世界名作劇場系のアニメは見てはいたと思うんだけれども、ものすごく記憶に残っていない。
マジンガーZなんて、あの土手っ腹に大穴があくシーンを結構鮮明に覚えているのにね。
何が違うんだろう?
あ、単純に俺がSF好きってことか。
今回は昔のアニメに求められていたものと今のアニメに求められているものについて考えてみる回だ。
ちっと俺の感覚の整理に付き合ってくれよな。
俺たちが夢中になった昔のアニメ
俺の場合、一番夢中になったアニメは宇宙戦艦ヤマトだったと思う。
ぶっちゃけ宇宙戦艦ヤマトって作品の前後でアニメってものに求められるものが変わったって思うんだよね。
宇宙戦艦ヤマト以前のアニメはキッチリと「子ども向け」路線をひた走っていたと思う。
もちろん鉄腕アトムのようにテーマを意識して物語を作っているものはあったけれども、あくまでそのテーマを受け取るのは子どもだったわけだ。
それ故に作品としては子どもが理解できるように調整され、結果として物語の深みのような部分を削り取らなければならなかったんだと思うんだ。
そのために主人公はロボットに乗って敵とたたかうし、ピンチを乗り越えて勝利へとたどり着くっていう本当にシンプルな物語構成が多かったんだと思う。
そんな子ども向けの物語に「否」と言って世の中に最初に受け入れられたアニメ。
それが宇宙戦艦ヤマトだったんだと思うわけだ。
宇宙戦艦ヤマトでは主人公の古代進は派手なアクションシーンなんてものはこなさない。
あえて言うならコスモゼロでの空中戦や波動砲発射のシーンがそれに当たるとは思うが、古代進自身の行動としては全く派手さがない。
それでも俺たちが宇宙戦艦ヤマトという作品にのめり込めた理由は何なのか?
それは「残酷な世界の物語」だったんじゃないだろうか?
地球滅亡まで1年。
そんな絶望的な状況に立ち向かうヒトの姿。物語。
そいつが俺たちを夢中にさせた。
そして、宇宙戦艦ヤマトをきっかけにアニメは子どもだけのものじゃなくなっていったと思うんだよ。
現在のアニメ
で、時は経ち、今や全体像を把握できないほどのアニメが制作されて、その作品の楽しみ方も実に多様になってきていると思うんだ。
それこそ鬼滅の刃のようにシンプルに残酷な世界で繰り広げられる戦いに身を置く主人公の心理描写を丁寧に描くことで多くのヒトの心を掴んだ作品もあるし、進撃の巨人のように実に綿密に作り込まれた伏線によって、ヒトを唸らす作品もある。
エヴァンゲリオンのように滅多矢鱈な背景設定を作り込んで見るヒトの頭をフル回転させるような作品もあるし、約束のネバーランドみたいな緻密な頭脳戦を繰り広げる作品もある。
なんか、約束のネバーランドの第2期は残念って噂はきくけどさ。
後は自分は守備範囲外なんだけれども、ポケモンみたいなシンプルに小学生の心をつかんで話さないような作品もきっちりとある。
本当に子どもから大人まで誰も置き去りにしないくらいの作品たちが生み出され続けている。
作品に多様性が求められる理由
これだけの多様な作品が生み出され続けている理由ってなんだろうか?
おそらくだけれども、俺たちのニーズが細分化されていっているってのがあると思うんだ。
一言でアニメが好きって言っても、俺自身はプリキュアとか見ないし、ポケモンもあんまり好んでは見ない。
要するに見る作品を個々人が選択しているってことだ。
おそらくはインターネットを前提としたすべてのヒトが発信者になる世界観において、俺たちが本来欲しているものがより細分化され言語化されていった結果だと思うんだ。
その状況で作品を作る側にしてみたら、その具体化細分化されたニーズをピンポイントで狙う必要が出てきたってことなんだろう。
昔のアニメのように「みんなに向けた」作品では今の世界で生き残ることが出来ないと思うもんな。
で、このことは俺たち個人にも向けられた課題だって思うんだ。
だってそうだろう?
俺たちは誰しもが何かを発信しているんだから。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどこの誰の何に向けて発信をしていけばいいんだろう?
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