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自分の中の宝探し

あんたも毎日何かを表現しているかい?

このnoteも毎日何かをあんたに伝えようとアレヤコレヤと書かせてもらっている。
その時時の話題だったり、俺の低めのアンテナに引っかかってきた何かを手繰り寄せるように書いたりと、ノージャンルでお届けてしている。

そんな中で、一つの疑問が俺に届けられた。

「毎日どうやって書くことを決めているの?」

なるほど、こいつはしてやられた。
俺が考えていることも良いかもしれないが、俺がどうやって書いているかってこともコンテンツになるってことなのかもな。

今回は、俺がnoteを書く内容についてどうやってひねり出しているのかってことを振り返ってみる回だ。

まあ、万人に当てはまるわけじゃないとは思うが、ちっとつきあってくれよな。

情報の取得方法の変化

我が家では俺にはテレビの参照権はほとんどない。
いきなし何を自虐してんのかって話だが、一旦俺のかわいそうさは置いておいて、俺の世の中の情報との関わり方ってやつを振り返ってみよう。

ほんの10年前なら、朝にニュース番組を見て、世の中で起きていることを軽く頭の中に入れていく生活だった。
やれ、秋葉原で刃傷沙汰があっただの、国会で居眠りをしている議員がどうのこうのだの、誰かがチョイスした情報を毎日眺めていた。

実際、社会人として「共通の情報」ってやつは非常に便利なもんだ。
同じ話題が使えれば話のつかみも取りやすいし、なにより世の中の「常識」ってやつに触れている事ができるって実感がある。

ところが、テレビという非常に楽ちんにその「常識」にアクセスできる手段が俺に無くなった瞬間に何が起きたのか?

俺は主体的に「常識」とされる情報をゲットしに行く必要に迫られた。
パソコンで検索し、スマホで検索し、タブレットで検索する。

情報を得るために検索という手段を経由しなければならなくなった。
検索をするためには自分の欲しているキーワードを決めていかなければならない。
そこでふと思う。
俺は何の情報を欲しているんだろうってさ。

自分が欲しているものを振り返る

共通の情報を得るためのキーワードを決めるためには、なにが「共通」なのかってことを知っている必要がある。

ところが、インターネットが生活の中に溶け込んだ現代、同じように多くのヒトが情報を得るためにキーワードを決めて検索している。

つまり、誰も彼もが共通で体感している何かって土台がないって状態だ。

この状況で「共通」のものなんてのは、見つけることが出来っこないよな。

そうなってくると、物事はより本質に近づいていく。
すなわち「お前は何が欲しいんだ」って疑問だ。

完全に誰かと同じって価値観はもはや意味をなしていない。
厳密には誰も自分と同じではないってことをインターネットは教えてくれているからな。

まあ、そんな完全に同じ感覚なんてものはインターネットが出てくる前から俺たちは持っていることはなかったんだとは思うけれどね。

じゃあ、何を俺は求めているのか?

その問は未だに俺の中で形を成していない。

毎日書くこと

この「俺が何を求めているか」ってことが形になっていないこと。
そいつが俺が毎日noteに何かを書いている原動力なのかもしれない。

例えば、俺は大金が手に入ったら何をするのか。

豪遊したいのか?
旅行に行きたいのか?
ゲームをやりまくりたいのか?

そのいずれもやってはみたいけれど、別に今だって規模の大小はあるかもしれないが、もう堪能している。

たまに焼き肉だって食べに行くし、旅行だってしているし、マインクラフトで広大な地下空間を作ったりもしている。

つまり大金を手に入れることそのものは俺の欲求にあんまり関係がないってことなのかもしれないな。

でも大金という「力」を手にしたら、出来ることの幅はグンと広がる。
でも、今現在の俺にはその「力」を使う目的が明確ではない。

その目的ってやつは、インターネットを検索しても見つからない。

なぜなら、目的は自分の中にしかないからな。

だったら、俺は俺の中にあるその目的を探していかなきゃいけないよな。

なので、俺は「毎日どうやって書くことを決めているの?」という問にこう答えることになるんだろう。

毎日、俺の中に何があるのかを探して書いているよってさ。

なあ、あんたはどうだい?

あんたの中の宝探し。どんなお宝があんたの中にあるんだろうな?

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