時間という命を使って得たいもの
あんたも何かをきっちり続けていたりするかい?
俺は毎日noteを続けていたり筋トレも毎日してみていたり、ワリカシ毎日することってのがあったりする。
各々続ける理由みたいなものがあるんだけれど、実のところその理由よりも「続けているから」って理由の方が大きくなっているってのが実態だと思うんだ。
今回はこの継続ってものに意味をもたせるために何が必要なのかを改めて考えてみようって回だ。
ちっとばっかり俺の思考の迷宮探索に付き合ってくれよな。
継続と惰性
今回、この事を考えるきっかけをくれたnoteがある。
そいつがこれだ。
ユータローさんはこのnoteの中でこんなふうに書いてくれている。
能力がない自分は「時間」を積み重ねて頑張ることがだいじだなぁと思いました。
出典:ユータローさんのnote
ユータローさんはユータローさんの「時間」を使ってユータローさん自身を何者かに昇華させることに向かって動き続けるという宣言のように読み取れた。
ごくまっとうな話だよね。
俺たちは自分を変え続けていかないと俺たちは生き残っていくことすら難しい世の中に生きているんだもん。
その上で考えてみる。
「時間」を使うってどういうことなんだっけってさ。
俺たちヒトにとって時間ってのは完全に有限な資産だ。
しかもやり取りすることができない。
消費する一方の資産だ。
そんな不可逆な資産を使って何かを続けること。
そこには俺たち自身が納得する意味をキチンと意識していかないと「継続」は「惰性」になりかねない。そんなふうに思ったりしないか?
「継続」で生み出せて「惰性」で生み出せないもの
いやいや、「惰性」の何が悪いの?ってあんたは言うかもしれないな。
「惰性」だろうが「継続」だろうが続けていることには変わりないんだから、問題ないっしょ?って感じかな。
俺も似たような感覚は確かにある。
続けることが目的になっているようなところはどうしたってほんのりあるわけだよな。
でも改めて考えてみようよ。
「継続」で生み出せて「惰性」で生み出せないものってやつをさ。
多分だけれども「継続」と「惰性」の違いって、目的達成に向かっているかの振り返りの有無なんだと思う。
例えば、俺がこのnoteを書き続けている目的ってのがある。
それは俺の感じるオモロイをあんたと共有して、お互いのオモロイを増幅していきたいって目的だ。
そのへんはこのnoteに書いてみている。
なので、俺は俺の感じたオモロイを文章に書き溜めていっている。
その時々でオモロイって感じることは実に様々だ。
単純に笑えるような出来事やうまいラーメンの話も書くし、木村花さんの悲劇やTOKIOの山口くんが引退するって悲劇についても、俺の関心を刺激したって意味で書いている。
俺にとってオモロイってのは俺の心を刺激したことがらそのものなんだよね。
だから、もしかしたら「オマイは間違ってる!」ってあんたが感じることもあるのかもしれない。
それならそれで、一緒に考えてみてほしいってのが本音なんだ。
俺はオッサンだけれども、ほんとうの意味での「正しさ」なんてものを主張していたいわけじゃなくて、俺は俺の感じたオモロイについて、あんたと一緒に考えていきたい。
それが俺がこのnoteを書き続けている目的ってわけだ。
そう言う意味でこのnoteは俺にとって「継続」しているものってことになるかな。
逆に「惰性」で続けていることも山ほどある。
ぶっちゃけingressは惰性だろうなぁ。
いや、楽しいんだけれどさ。
なんで惰性だって思うかって言うと、このingressでの俺が達成したい目的ってのがあんまりないんだよね。
まあ、レベル16(最高レベル)まで上げてないのに何言っちゃってんのって話かもしれないけれどさ。
で、「継続」で生み出せて「惰性」で生み出せないもの。
そいつは「達成感」なのかもしれない。
俺たちは「時間」という俺たち自身の命を使い続けて得られるもの。
そいつは俺たちの中にある「達成感」ってわけだ。
俺たちは究極的には自己満足を得るために俺たちの命を使っていっているってことなのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは、俺たちの命を何に使っていけば俺たちを満足させられるんだろう?
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