見出し画像

アニメの物語と美しさの価値

あんたもアニメの物語を楽しんでいるかい?

今やっているアニメは進撃の巨人に王様ランキングとなかなかに話題作が目白押しだ。

それらのアニメを見ているヒトの感想とかがブログやら動画やらで公開されているのを見たりすると、実に多彩な感想が綴られている。
そこでふと感じたことがあるんだ。

アニメの「作画」についての評価ってのを海外のヒトは結構な頻度でしているって思ったんだよ。

今回はアニメというメディアが世界中のヒトに与えている影響について考えてみる回だ。

ちっと表現したことと、受け止められることについて考えてみようぜ。

海外ではCGの評価が低いらしい

ワリカシ最近知ったんだけれども、どうも海外ではアニメにCGが使われるコトに否定的な意見が多いらしい。
特にアメリカが顕著なのかな?

ここで言うCGってのは、いわゆる立体的な造形をPCでシミュレートして、その結果をアニメっぽくすることで成立する表現のことね。
これをうまいこと使うと、進撃の巨人の立体機動装置での動きの表現のように、実に臨場感あふれるものが出来上がる。

ところが、CGを使うことで手書きが持っている味のようなものが失われるって言う意見が結構メジャーなものとしてあるってことなんだそうだ。

俺なんかは手書きでの表現の限界をうまいこと飛び越える工夫としてCGは非常に有意義な手段だと思うんで、その意見をそのまま同意はしかねるんだけれども、実際にそう言う意見があることは受け止めとかないと、安易に誰かを否定することにつながっちまう。

もちろん、手書きでの表現の価値は理解できる。
紅の豚で、終盤に差し掛かるところでレストランを上空から旋回しつつ眺めるシーンでは、あの立体的な表現を手書きだけで表現する超絶技巧に舌を巻いたしね。

アニメで表現したいもの

そう言うアニメの最も大きな要素である作画について、海外では非常に注目されている認識が俺にはあるんだ。

でも、日本国内ではその「技術」に注目することは比較的少ない印象がある。
なんつーんだ?もっと物語だとか、表現されている意図だとかにフォーカスするケースが多い気がする。

だからこそ、ガンダムのように昔の物語が未だに愛し続けられているし、進撃の巨人や鬼滅の刃を見て抱く印象が「悲しさ」だったり「優しさ」だったりするんだよ。「美しい」じゃなくてね。

つまり、俺たちはどうやら絵の美しさよりも物語の美しさを求めているってことなのかもしれない。

美しさという入り口

俺たちが物語をアニメに求めているとして、海外では物語の美しさと同等以上にその映像美が評価されているってのも現実としてあると思う。

進撃の巨人やら鬼滅の刃に対する感想コンテンツってのは星の数ほどあるけれど、王様ランキングに対する欧米での感想コンテンツって結構少ない印象だ。
いや、王様ランキングの映像美ってのはメチャクチャあると思うんだけれども、進撃の巨人や鬼滅の刃のようにわかりやすく美しいってわけじゃない。
それこそ「味」があるって感じの美しさだ。

それでも王様ランキングに対する評価は高くて、日本での感想コンテンツは結構ある。
中国でも人気らしいしね。

でも欧米に王様ランキングが伝わらないってのは実にもったいない。
あの物語が表現しているテーマって、なんつーかメチャクチャ日本的じゃんか。

多分だけれども、見てもらえれば欧米のヒトにも響く物があると思うんだ。
単純に「見てない」ってことだけだと思うんだよね。

この見てもらうってことのためにすごい数のヒトが工夫をしまくっているわけだ。
その意味では俺たちのような個人で発信をしているヒトもでっかい意味では同じ土俵に立っている。

アニメのように見た目の美しさって表現が使えないから、その代わりにどうやって読んでもらえるのかって考えまくるじゃんか。

タイトルに冒頭部分の文だったり、取り扱うテーマだったり。

そう言う工夫がネット上に無数にある。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちが素晴らしいと思うコンテンツからその工夫を読み取れると思うかい?

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?