見出し画像

邪馬台国の場所を推理する⑧

【オモシロ畿内説批判】

今回はただのお遊びですが、畿内説に対する面白い批判を集めてみました。
畿内説に対する批判には様々なものがありますが、その中でトンデモ系は内容から4つのグループに分類できそうなのでまとめてみました。

①魏志倭人伝を曲解したり独自解釈をして畿内説を批判するパターン
・奈良には海がないので、海洋民族のように書かれている点が魏志倭人伝と不一致になる。
・3世紀の畿内に入れ墨の風習はないので、魏志倭人伝と不一致になる。
・伊都国や奴国など魏志倭人伝に記述のある国はすべて北部九州にあるのに、邪馬台国だけいきなり畿内に飛ぶのは不自然である。
・仮に畿内まで行くなら、末盧国で上陸して九州を陸行するはずがない。
・邪馬台国は狗奴国との戦争で苦戦して魏に援軍を依頼したのだから、ヤマト政権のような大きな勢力であるはずがない。
・邪馬台国で倭国大乱が起きたのに、纒向遺跡には環濠や城柵もないし武器の出土もない。
・倭国大乱後の2世紀末、卑弥呼共立の時点で30国連合が出来上がっていたはずなのに、2世紀末に畿内が北部九州を支配していた形跡がない。
・伊都国は邪馬台国に代わって諸国を監察する出先機関の役割をしていたはずだが、糸島は畿内から遠すぎるし、畿内勢力の出先機関になっていた形跡がない。

②日本古代史の通説を真っ向から否定した独自の日本史を創作して、その独自日本史を前提に畿内説を批判するパターン
・古墳時代の始まりは4世紀であり纒向遺跡も4世紀なので、纒向遺跡は邪馬台国とは関係がない。
・7世紀まで日本列島を代表して中国と通交していたのはヤマト政権ではなく九州王朝であり、当然のことながら3世紀に中国と通交した邪馬台国も九州にあった。
・ヤマト政権は男系継承の中央集権国家であったので、女王を共立した邪馬台国とは性質が異なる。
・九州は鉄器が豊富で強大な国が存在していたはずであり、鉄器が乏しい畿内の国に支配されるはずがない。

③畿内説論者が唱えていない独自の畿内説を自分で創作して、自分でそれを批判するパターン
・魏志倭人伝の方角は九州上陸後は90度ズレているという畿内説側の主張は強引すぎて説得力がない。また、女王国の東に海があるという記述は北に変換されることになるが、奈良の北には海はない。
・畿内説の場合は西日本全体が邪馬台国連合になるが、3世紀に西日本全体を統一した大勢力が存在したはずがなく、畿内説は無理筋の仮説だ。
・三角縁神獣鏡は500枚以上出土していて副葬の際にも雑に扱われているので、卑弥呼が貰った銅鏡であるはずがなく、三角縁神獣鏡は根拠にならない。
・桃の種は魏志倭人伝に記述はないし鬼道に使われた証拠もないので、邪馬台国の根拠としては弱すぎる。

④嘘やガセネタをもとに畿内説を批判するパターン
・畿内からは3世紀の北部九州や大陸との交流を示す遺物がほとんど出土してないので、北部九州や大陸とは疎遠であった。
・倭国大乱の痕跡は九州にしかないので、畿内は邪馬台国とは無関係な地域だった。
・魏志倭人伝の里は短里であり、その里数は九州ではピッタリになるが畿内では合わない。
・IntCal20によりC14年代測定法の較正曲線が変更され、纒向遺跡の大型建物跡や箸墓古墳が4世紀になった。
・大分県日田市のダンワラ古墳から曹操が持っていたのと同じ型式の鉄鏡が出土しているが、畿内からはそういう最高級の鏡は出土していない。

他にもまだまだあるかもしれませんので、今後もオモシロ批判を見つけたら書き足していこうと思います。

このシリーズの他の記事へのリンク
邪馬台国の場所を推理する①【はじめに】
邪馬台国の場所を推理する②【畿内説の主な根拠】
邪馬台国の場所を推理する③【魏志倭人伝との整合性】
邪馬台国の場所を推理する④【畿内説への反論(1/2)】
邪馬台国の場所を推理する⑤【畿内説への反論(2/2)】
邪馬台国の場所を推理する⑥【まとめ】
邪馬台国の場所を推理する⑦【九州説はなぜ成り立たないのか?】

(2023年6月5日 記事追加)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?