怒り役不在の組織運営は成り立つのか
昨日、僕が住んでいるマンションの管理組合の打ち合わせがありました。
今年は輪番制で僕に理事の順番がまわってきて、定期的に開催される打ち合わせに参加しています。
去年からマンションの住民を代表する管理組合と管理会社との意見が折り合わず、停滞している事案があります。
昨日は、管理会社の担当者だけではなく、その上司の方も出席してくださり、それについて約1時間議論することになりました。
4人の理事で構成されている僕のマンションの管理組合の理事会は、理事長・副理事長・会計・総務という役割分担になっています。
今年の理事長を務めている方は、見るからに正義感が強く、曲がったことが嫌いなスポーツマンタイプ、学生時代にはきっと運動部の部長を務めていただろうことが手に取るように分かる人物なのですが、前回と今回の打ち合わせで感情的になりやすい性格であることが露呈しました。
その理事長が主張していること自体は、僕ら理事たちの総意なので間違っていないと思いますが、いかんせん話の進め方がいただけません。
体格はどっしりとしていて器が大きそう、包容力がありそうという僕の彼に対する第一印象から、打ち合わせを経るたびに彼の印象がかけ離れていくので、自分の見る目のなさに驚かされます。
前回も今回の打ち合わせも、理事長である彼が停滞しているある事案に関して、感情的に怒りを管理会社の担当者へぶつけて、そのあと僕が場を落ち着けながら、話を進めていく展開になりました。
僕は打ち合わせを終えて、自宅へ戻り、体調が悪く、ベッドに横たわっていた妻へ今日の打ち合わせの概要と理事長はあんなに感情的になる必要があるのだろうかという持論を伝えたところ、妻は僕とは全く異なる次のような見解を示したのでした。
『前回の打ち合わせで、理事長が感情的になって、担当者を責めたから、今日の打ち合わせにその上司の方が参加してくれたのかもしれないよ。ときには、そうやって怒ってくれる人がいないと、相手は動いてくれないんじゃない?あなたは怒らないタイプだから、そういう怒るタイプの人がいてくれてよかったんじゃない?だから理事長さんもわざとやっているのかもしれないよ。』
確かに理事長を務めている方はわざと感情的な怒りを演出しているのかもしれません。
ただ僕は昔から常套手段として、この感情にまかせた怒りを利用して、他人を思い通り動かしたり、物事を進めようとする行為が大嫌いです。
あれは忘れもしません。
僕が新入社員として入社した会社で、初めて配属された部署のトレーナーになってくれた人がこの感情的な怒りを利用して、僕を思い通りに従わせようとしてきました。
仕事上、彼に色んなことで怒鳴られたり、彼の席に呼ばれて隣で何時間も立たされたり、こちらから質問しても無視されたりするたびに、僕は『好きでも親しくもない、敬ってもいないおまえに言われる筋合いはない。こんなことをされる筋合いはない。』と心の中で幾度となく反旗を翻していました。
ドラクロワの描いた有名な絵画である、「民衆を導く自由の女神」を思い出しながら。
参照:ヴァーチャル絵画館
http://art.pro.tok2.com/D/Delacroix/Liberty.htm
その後、そのトレーナーはMBAを取得するため、僕が配属された半年後にアメリカへ旅立ってくれたので、辛い時期をなんとか耐え忍び、幸運にもそのやり方に屈することはありませんでした。
そのトレーナーになってくれた人の反面教師で、僕は他人に何かを依頼して動いてもらおうと思う場合、絶対に感情的な怒りを利用しないと決めました。
その時に誓った自分との約束は、今日までずっと守ってきました。
感情的な怒りは、相手を傷つけるだけで、物事を前進させることはありませんから。
それを利用して、強引に他人を動かしても、その人は嫌々行動しているだろうから、素晴らしい成果を望むものは生まれません。
一方的にもしくはお互いに相手を罵ることに時間を費やすならば、今目の前にある問題を解決するためのアイデアを出し合ったほうが、どれほど生産的でしょうか。
それでも、組織においては怒り役を誰かが果たさないと全体の雰囲気がピリッとしないとか、緊張感が保たれないとかおっしゃる方がいますが、そんなことをしても一過性な効果はあっても、長期的に効き続けることは望めません。
だったら、感情的な怒りを利用するとは違った、組織全体を上手にまとめる手法を考えることが必要でしょう。
僕は怒り役の人を置かずに、運営される組織を創ろうともがいている最中です。
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