おまえに言われる筋合いはない
昨夜は最近知り合った2人の方を誘って、夕食を共にし、楽しい時間を過ごした。
お店を選んだのは、声をかけた僕だ。
ある時、グーグルカレンダーを見ていて、衝撃的な事実に気づいた。
僕の外食する予定の9割は、僕から声をかけて決まっていたのだ。
裏を返せば、僕から誘わなければ、僕の外食の予定はほとんど白紙も同然の状態になるという何とも表現しがたい、衝撃的な事実がそこにはある。
僕から誘って、決まっている外食の予定が9割を占める・・・
誰の目にも、僕が友達のいない、人望がない男と映っても仕方がないことを示す、圧倒的な数字だ。
ところで、先日読んで、面白かった本にはこんなことが書いてあった。
“人間には誰しも自分で物事をコントロールしたい欲求があって、それを満たすことで幸福感を得られる”と。
まさにその通りだと、思わず膝を叩こうとしたけれど、寝転がって本を読んでいたので、膝の代わりにベッドのクッションをバンバン叩いて腑に落ちた感覚を自然と身体で表現していた。
僕は幼い頃から、誰かに指図されたり、命令されたりして、コントロールされることが嫌で嫌でたまらなかった。
指図されたり、命令されたりするたびに、心の中では『おまえに言われる筋合いはない。』と反抗していた。
口からは発しない、そんな心の叫びを時には抑えきれず表情に出してしまうこともあっただろう。
だから僕は、上下関係が厳しい組織、大人数の組織に所属することに向かなかったし、伝統的な組織に所属して、入った途端に多くの先輩がいる環境がどうにも性に合わなかった。
年上だからという理由で、先に組織に所属していたからという理由で、先輩風を吹かされることが心底気に入らなかった。
『おまえに言われる筋合いはない。』と。
そんな組織に属しているときの僕は、斜に構え、運営の中心にいる人達とある程度の距離を置き、アウトロー的な立ち位置にいることが多かった気がする。
なぜ、信頼したり、信用したり、尊敬したり、好きでもないあなたたちに偉そうにされなきゃいけないのか、諭されなきゃいけないのか、怒られなきゃいけないのか、理解ができなかったし、納得もできなかった。
働くようになっても、世の中には様々な組織や団体があって、強制的、半強制的にそこに所属させられたりもするが、いまだにそこにいる先輩という位置づけの人から何か言われると、心の中で反発してしまう。
『おまえに言われる筋合いはない』と。
学校は同学年で行動する機会が比較的多いので、登校拒否になることなく卒業まで通えた。
でも、顧問の教師や学年が上の先輩が意味もわからず威張っている運動部は、僕には耐えられなかった。
中学で入ったテニス部は入部早々、行かなくなった。
新入社員として入った会社で僕の教育係になってくれた5つ年上の男性上司ともソリが合わなかった。
ガミガミと怒られ、イビられるたびに、『おまえに言われる筋合いはない。』と心の中で何度も何度も唱えていた。
幸い彼は、僕が入社して半年後に海外へ勉強に旅立ってくれたので、僕は辞めることなく、働き続けられた。
先日読んだその本のおかげで、そんな自分の気質もすべてコントロールしたい欲求に深く結びついていたのだという気づきを得られた。
自分の周囲のことや将来のことを、自分でコントロールしたいという純粋な欲求を認めて、これからも生きていこう。
外食の予定の9割が、自分から誘ったものだとしても、別によいじゃないか。
いやむしろ最高じゃないかと。
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