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ある時代

若い頃は一瞬だった。
その一方で、あの頃にいる間、ワクワク、キラキラとしていた体感は長く続いていた。

自分たちが気に入って、触れたもの(音楽やTV、ファッション等)がそのまま、時代の流行と一致していて、その感覚が自分たちの好きに振る舞う背中を押してくれている様だった。

一瞬、と書いた様に、今も当時の熱量が火傷の様に残っていて、あの頃がまだ最近の事の様に感じる。

実際には、あの頃を00年代とすると、20年以上が経っていることになる。もう2周近く。
今ではメディアも流行も、次の世代の子たちの背中を押していて、自分たちは能動的でない限り、文化の中心から振り落とされていく。
はっきりしていることは、自分はもう文化の中心にいる世代ではない、ということ。


悪い話ばかりでもない。

ネットが普及して随分と経つ。流行を自分の様に『違う』世代の人も、スマホ1つで身近に知ることが出来る様になった。

例えば、これはもう何処かで起きている話かもしれない。
この先、10、20代の子たちと、50代になった今の若い子たちが、話題のアニメやゲーム、漫画に音楽と、『背伸び』する事もなく、対等に語り合う光景が見られる様になるのかもしれないこと。

個人的には、いつまでも若さや流行りにしがみ付くのはみっともないと思う。
一方で、感性が錆びつくことは避けたい気持ちもある。

ものは言い様、というか。
若々しいのか、痛々しいのか。
頭が柔軟なのか、ミーハーなのか。
その分かれ目はどこにあるのだろう。

誰もがいつまでも若くいる事は出来ない。
あの頃のワクワク、キラキラとした気持ちも、再現することは叶わない。それでも、その火照りは友人たちと共有して、良い思い出として残り続ける。

思い出を内に残し、これからの私はどう適応していくのだろう、と先のことを少し考えていた。

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