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2拠点生活のススメ|第16回|死と向き合って学ぶ、生きるということ

寿命のむごさ、優しさ

徳島との2拠点生活を始めて2年ほど、介護に追われ、入退院を繰り返していた母が他界しました。母は、脳の異常によって、少しづつカラダの自由が奪われていく難病、パーキンソン病と付き合うこと17年。さすがに亡くなる前は、薬のコントロールも難しくなって、この先自分がどうなっていくのか、常に不安と恐怖に苛まれ、あれができない、こんなこともできなくなったと、失っていくモノへの未練だけを口にするようになっていました。

少しずつ自分のカラダをコンロールできなくなる恐怖、やがてその恐怖を打ち消すかのように、脳が暴走して幻覚を見るように。やがて意識を保つことも難しくなり、最後は眠るように亡くなりました。寿命というのは、確かにむごいものだけど、悩みや苦しみから解放させてくれる優しさを、持ち合わしていることを学びました。


正直に生きるということ

母が死んで遺品を整理していると、20代の頃に旅先から送った手紙が大切に保管されていました。「今僕は、インドのベナレスという街に来ています。」と書き出されたその手紙を読んで、ふと当時のことが蘇ってきました。ベナレスは、ガンジス川の畔にあるヒンズー教の聖地で、ここで荼毘にふされて川に流されると輪廻転生から脱して、仏の道へ行けると信じられています。インド全土から、死を間近に控えた人々が集まって来ており、最後の日を待ち続ける場所。私は、毎日のように川沿いのガートに出かけ、何かに取り憑かれたように、焼かれていく死体を飽きもせずに眺めていました。

一方そうしたガートには、生きる人々の賑やかな日常の暮らしもありました。日の出と共に沐浴をし、洗濯をし、おしゃべりをし、お茶を飲む。そんな生と死が隣り合わせの光景を毎日眺めていると、「人間なんて所詮、笑って、泣いて、クソして、死ぬだけ」といった気分が芽生え、自分が抱えている悩みなんて、バカバカしくて、どうでもよくなりました。1回きりの人生、自分の思うように生きたらいい。何より自分に正直なのが一番。それは、2拠点生活を始めて日々感じていたことと、見事にシンクロしていました。


希望とは自分が変わること

最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。

これは進化論を説いたダーウィンの言葉です。仕事や家族、社会との向き合い方を根本から見つめ直し、ちゃんと愛せる自分に変わりたいという思いで始めた2拠点生活。頭でいくら考えて自分に命令しても、人間そう変われるものでは無い。変わるために必要なこと、それは変わるために必要な習慣を身につけることだと知りました。

毎朝サーフィンに行くことで、動くこと、出かけることに抵抗がなくなり、好奇心が高まり、前向きなキモチになる。すると日々の暮らしの細部にいろんな発見をするようになり、錆びていたアンテナが動き出す。心もカラダも少しずつだけど健康になっていることを実感する。「希望とは自分が変わること」、母の死は、改めて生きることの意味を私に教えてくれた気がします。


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