_2019-09-04_下午7

私が最も尊敬する中国人〜史上最高のドキュメンタリー「泣きながら生きて」

このドキュメンタリー、なぜ見たのか全く記憶にない。ただぼんやりテレビを見ていて、しばらくしてからようやくとんでもない番組であることに気づき、真剣に見入った。見終わった後にはしばらく動けなかった気がする。

はじめはぼけっと見てたので、どうしても最初からきちんと見たくて再放送を待ったが、二度と放送されることはなかった。DVDが出れば買いたかったが、発売されず。その後、某SNSで知り合った人にビデオをいただくことができたが、その方も自分と同じで、当初こんなにすごい番組だとは思っておらず、そのビデオも途中から始まっていた。

それが今、Youtubeで見られる。7年もUPされ続けているということは、フジテレビも容認しているのだろう。そのことにも感謝したい。
以下にはネタバレしかないので、それを嫌う人は先に動画を観てください。

主人公は丁さんという中国人。特殊な時代の中、十分な教育を受けられなかった。それを叶えるべく、知り合いや親戚中から借金をし、35歳で日本に留学する。しかし学校は極めて辺鄙な場所にあった。そこに通っていては、働いて借金を返すこともできない。止むを得ず学校を離れ、都会に出て働くしかなかった。そして、自分の果たせなかった夢を娘に託すため、3つの仕事を掛け持ち、食事代や家賃を節約し、歯もほとんどが抜け落ちながら、朝から深夜までただただ働き続け、自宅に送金するだけの生活を、35際から50歳までの15年、続けた男の話だ。

(この番組が再放送されなかったのは、不法滞在の犯罪幇助的な側面もあったのかなと思う。当然犯罪は許されることではない。そう思ってもなお、この撮影を続け、放送した放送局の気骨に尊敬の念を感じざるを得ない。)

途中、妻と娘に一度ずつ日本で会うことができた。離れ離れになってから8年後、ニューヨーク州立大学医学部への入学を果たした娘がトランジットで日本に寄る。そのしばらく後、娘のところに行く途中、妻も同じくトランジットで立ち寄る。離れていた時間と比べるとあまりにも短かすぎる再会ののち、それぞれを空港まで送る。不法滞在のために空港までは行くことができず、ひとつ手前の駅で降りる。感情を抑えるために、いや表すすべもないためにか、別れの言葉もかけられずに。その別れ際、堪えきれずにこぼれ落ちる涙、これ以上に美しいものを俺は知らない。

彼は言った、日本人は国を発展させるために本当に頑張っている、私たちもそれを見習わなければならないと。その日本人である自分、そう言われることに恥ずかしい以外の言葉が見当たらない。この番組を見た後、丁さんのような人間になりたいと思った。それから10年以上の歳月が流れたが、その足元どころか、足の裏にも近づいていない自分を恥じる。

娘が大学を卒業する目処がつき、日本での役割を果たした男は中国に戻る。戻る前に彼がしたことは、思い出づくりの旅行でも、疲れを癒すための慰安でもなく、当初学ぶはずだった、今となっては廃墟となっている学校に立ち寄ることだった。彼はそこを第二の故郷と呼んだ。廃墟の校舎に3度頭を下げて、彼は言った。学校に、その町に、申し訳なかった。しかしあの時は本当に仕方がなかった、どうしてもやっていけなかった。15年前そこに行った時には借金まみれ、人生は哀しいものだと思った、人間は弱いものだと思った、しかし今、、、人生は、捨てたものじゃない。
背負った運命を恨まず、自分の人生を愚痴ることもなく、むしろすべてのことに感謝して、飛行機の窓から日本に手を合わせ、涙を流し中国に向かう。

今その中国にいる自分。
中国を離れる時に、同じように去ることができるのだろうか。
できることはやったと誇りを持ちながらも、それを人様のおかげと手を合わせ、涙を流すことができるのだろうか。
ただただ励むしかない、そう自分に言い聞かせる。

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