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なぜ私達は「自己責任論」を捨てなければならないのか

日本に広がる自己責任論という考え方。なんとなく納得してしまう考え方でもあります。なんとな~く、自己責任論が強い社会の方が、みんなが努力する気がするし、なんとな~く「弱者」と比較して自分に優越感を感じるんですよね。一方で、格差の拡大や、弱者救済の阻害を正当化しているとの批判もあります。

では実際のところ自己責任論って私たちにとってプラスなんでしょうか?マイナスなんでしょうか?それは正しい考え方なのでしょうか?考えてみましょう。

1. 自己責任論とは?

「アリとキリギリス」のお話をご存じでしょうか?

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元は「アリとセミ」というタイトルで、紀元前6世紀頃にギリシャの奴隷だったイソップによって作られたとされています。日本には400年以上前の豊臣秀吉の時代に伝わり、明治時代にセミがキリギリスに変わりました。

一応、あらすじをめちゃめちゃ簡単に書いておきます。

・ある夏の日、キリギリスは歌って踊り、アリは冬に備えて食料を家に運んでいた。

・アリは冬に備えるべきだと忠告したがキリギリスは秋になっても歌い続けた。

・冬になると案の定キリギリスは食料に困って、アリに助けを求めた。

・アリはキリギリスを助け、キリギリスは改心した。おしまい。

※尚、この結末は日本に伝わった直後に改編されたもので、本当のお話ではアリはキリギリスを助けず、キリギリスは死んでしまいます。

このお話は「後先考えずに過ごすと後で困るよ」という教訓を私たちに与えます。しかし、「自己責任論」を象徴し、正当化するお話になっていることも確かです。

【自己責任論】

「個人は自己の選択したすべての行為に対して、発生する責任を負うべきである」との価値観に基づいて、「貧困なのは努力しなかったせいだ」など、「努力の有無による結果には個人が責任を負うべきだ」とする考え方。

(※危険を承知で冒険的な行為をした結果、不利益を被った場合に、それを「自己責任」と呼ぶ傾向も近年はあるが、今回は努力の有無によって定義される「自己責任論」に注目したい)

我が国はこの「自己責任論」が世界的に見ても、広く浸透している国とされています。

アメリカのシンクタンク The Pew Global Attitudes Project が世界で実施した意識調査では「自力で生活できない人々を国家が救うべきか」という問いに「救う必要はない」と回答した日本人は39%にのぼりました。これは調査国のうちダントツのトップで、アメリカの28%、ドイツの7%、イギリスの8%、中国の9%等々を大きく引き離しました。

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※この意識調査結果の読み取り方は様々あり、以下の記事では「日本人はそれほど格差是正に否定的ではないかも?」との見解も示されています。


自己責任論の強さを比較的反映しやすいとされる「生活保護費の対GDP比」はOECD平均2.4%、アメリカ3.7%、イギリス4.1%に対して日本は0.3%にとどまります。

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また、世論調査・コンサルティング会社Gallupによる世界世論調査では「困っている見知らぬ人の手助け(社会的援助)を先月あなたはしましたか?」という問いに「はい」と答えたのは、アメリカ65.5%、イギリス58.5%、中国40.5%に対して日本は22.7%でした。

こうした調査から「日本は世界的にもダントツで自己責任論が強い国だ」と断定するのは早いかもしれませんが「自己責任論が強い傾向がある」とは言えるでしょう。

※余談ですが、日本は昔からこの「自己責任論」が強かったわけではありません。「アリとキリギリス」の結末が日本では書き換えられたことからもわかるように、昔は自己責任論は美徳に反するものとされていました。代わりに温情主義や和を尊ぶ精神が広く受けいられており、それが変容したのは第二次世界大戦後のことです。(諸説アリ)

さて、この自己責任論についての是非。結論を言うと私は反対です。「私達はこの自己責任論の誘惑から早く脱出しなければならない」というのが私の主張です。

2. ①自己責任論は社会的・経済的にマイナスである

自己責任論に反対する理由の1つ目は、それが社会的・経済的にマイナスだからです。

この点については以下の記事で詳しく触れてくださっています。

日本は社会の「道」への復帰が大変難しい社会構造をしています。

非正規として雇用されてしまえば正規雇用への転換は困難ですし、ひとたび失業すれば、もとの収入をその後も継続することなどほぼ不可能です。これは、社会から一度脱落した人をもとに戻してあげる政策の不足によって生じています。あとは自力でどうするかにかかっているのです。

ただでさえとても自己責任的なこの日本社会が、さらに自己責任的になった上で、もしも世界や日本の経済が悪化したらどうなるでしょうか。他の「自己責任的でない国」の人々は国の手厚い支援によって、早く失業や低賃金から復帰し、経済的・社会的復興を成し遂げられるでしょうが、自己責任化した我が国では無理です。失業した人はすぐには戻れず、賃金はほとんど上がらず、自殺者は増え、出生率は下がり続け、それでも「自己責任だ」といって誰からも救われず、疲弊した国民たちからは経済再建に向けた気力も体力も失われ、負のスパイラルが続く。これは単なる「妄想」ではなく、実際に自己責任的な政策を取った国々の末路であり、もしかしたらバブル崩壊以降、現在に至るまで我が国が直面している長期経済低迷「失われた20年(30年)」の原因そのものかもしれないのです。

自己責任論を排除し、より寛容な制度(例えばより手厚い失業保険や選別性の低い住宅・生活保護、就労支援・職業訓練制度など)を整えておくことは、我が国の経済や社会の再建につながり、今後、経済・社会危機が我が国を襲っても、すぐに立ち直れるようにする、ワクチンにもなります。

3. ②自己責任論では何も解決しない

2つ目は簡単です。自己責任論など唱えたって、問題は何も解決しないのです。この国の貧困や格差、非正規雇用の増大などは完全に日本の経済を悪くしています。これを否定する論説はほとんどありません。むしろ、日本経済の低迷の大きな要因のひとつとされています。しかし、これらは自己責任論で解決を阻まれることが大変多いテーマでもあります。「いかに解決するか」という議論になる前に「自己責任だから解決の必要がない」と言われてしまい、議論が停止してしまうのです。

自己責任論は「臭いものに蓋をする」ための論理にしかなりません。問題を解決しなければ日本がもたなくなるというときに、求められているのは、現実から目を背けて、自己責任論で議題にすらのぼらせないことではなく、「いかにしてこの問題を解決するか」という解決策なのです。臭いものに蓋をしても臭いものは無くならないのです。

仮に自己責任論が正しく、彼らの窮状が本当に自己責任によるものなのだとしても、それを救わなければ日本はもたない。そうであれば、自己責任論ははっきり言って解決のための議論を阻害する「邪魔な正義」であり、自己責任論を無視することは「必要悪」ということになります。

4. ③自己責任論は正しくない?

上2つは「仮に自己責任論が正しくても、日本のためじゃないからダメだよ」という主張でした。3つ目は「そもそも自己責任論って正しいの?」という提起です。

冒頭に私は、自己責任とは
「個人は自己の選択したすべての行為に対して、発生する責任を負うべきである」「努力の有無による結果には個人が責任を負うべきである」とする考え方のことを指す。と紹介しました。いわば「個人の選択において努力しなかった結果の不利益に国は手を差し伸べる義務がない」ということです。

しかし、彼らは本当に「個人の選択によって」努力しなかったのでしょうか?

努力をすることができるのは「努力をすれば結果的に報われるかもしれない」と思うからです。しかし、「努力をしてもきっと報われない」と言う人は大勢います。実際に努力をしてもどうにもならない人だって大勢います。

例えば、良い大学に行けるか否かによってこの国では将来の所得が違います。非正規雇用の多くは高校を出てそのまま就職された方々です。こうした人たちの窮状に対して「努力しなかったのが悪い」という人が大勢います。しかし、「努力したって塾にいけてないから無駄だ」「どうせ頑張ったって大学に行くお金なんてないから」と、努力をできなかった人たちがそのほとんどです。そもそも親が高卒で、大学の必要性を認識していないから「大学に入るために努力しないといけない」という概念さえ、子どもに無いという人も大勢います。そう、どんな分野であれ、私たちは努力する必要性をたまたま認識することができ、努力すれば結果に結び付きうる環境にたまたま生まれることができたに過ぎない。「努力できるだけ恵まれている」のです。

もっと踏み込んで言えば、努力できるのか、努力できないのか。努力した結果良くなるのか、そうでないのかは、本人の持つ性格が決めます。その性格を形作るのは遺伝であり外部の環境です。その遺伝や外部環境を本人は選べません。あなたが努力できるのは、たまたま「努力できる性格の身についた人間」として生まれたに過ぎないのです。

このように「個人の選択」も実際には自由に行われておらず、究極的には「完全な個人の選択」など存在しないと言えるのです。
なのに、個人の選択の結果だから自己責任というのはおかしいでしょう。

「弱者は自己責任で弱者なのであり、私は努力したから得るものを得た。それを努力しなかった人に分配するなんて言語道断だ」などと言う人も多くいます。しかし、言ってしまえば、それは「たまたま恵まれているだけの人」の思い上がりに過ぎないのです。

※ちょっと難しいので後日、補足します。。。

5. おわりに

以上のように、自己責任論は私たちにとってマイナスに作用します。そして間違っているのです。

確かに、自己責任論は私たちに優越感や自己承認、現実からの逃避を与えてくれます。それだけではありません。一定の競争心と責任感と自立心を私たちに与え、資本主義社会を豊かにしてくれるのです。

しかし、過度にそれを追求し、自分より弱い人間を探し、叩き、現実の社会問題から目を背け続けることに、何の意味があるのでしょうか。それで日本はよくなるのでしょうか。それで危機に瀕した我が国を救えるのでしょうか。

今こそ、私たちは自己責任論の誘惑から逃れなければなりません。自分より弱い人をいかに叩くかではなく、いかに「共に強くなるか」を考えようではありませんか。社会問題について他人にその責任を求めるのではなく、それを解決する方法を追い求めようではありませんか。

そうすればその先に、新しい100年の日本が見えてくるのです。

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