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二章 「カラスと紅掛空色」激動の高校生編 (上)

はいはい、みなさん!

初めましての方も初めましてじゃない方も、どうもです!

drift shift 代表兼、自宅警備員作家のkikyoです!

前回の一章「山あり崖あり」は読んで頂けたでしょうか?

まだだよーって方は、下にリンクを貼っておくので、先にそちらの方から目を通して、今回の二章をお楽しみ下さい!

 「前回あらすじ」

順風満帆な幼少期から転落してしまい、グレてしまった私に数々訪れる試練!そして高校生になり、これからどうなっていくのか・・・・・

二章は色々な事が起こるし四年間という事もあり、長くなりそうなので読みやすい様に三部構成とさせて頂きます!

飽きずに最後まで目を通して頂けると幸いです。

それでは二章をお楽しみ下さい。

二章「カラスと紅掛空色」激動の高校生編

周りの冷ややかな目と冷たい言葉、そんなのは当たり前のことなのだろう。

後戻りが出来なくなってしまった私には罵詈雑言が飛び交っていた。

「高校に行くらしいけど、中学も、ろくに行ってないのに、ましてや四年間なんか通えっこない」

「どーせ、問題を起こすなり、学校に通わなくなったりして、すぐ辞めるよ」

その様な事を散々言われ続けながらも、私は晴れて?高校生になったのだ。

それでも、この頃の私は特に反骨心も無く、仕方なく高校に行ってやってるという気持ちでいた。

周りの声なんか聴こえず「言いたい奴はなんとでもいってろ」そう思っていたのかもしれない。

体調が悪くなっていく父を横目に止まることができずに暗闇を彷徨うしかなく・・・・・

「一年生、入学」

私が行った高校は工業系の定時制高校でした。何科とかの概念は少し複雑な学校なので説明は省きますが、一応建築を専攻していました。

何故、普通科を選ばなかったのかと言いますと、父の影響もあり、どうせ行くなら失敗してしまった父を抜かす為、私も建築でのし上がろうと思い工業系の高校を選択したのです。

高校ともなると、色々な地区から様々な人が集まる。

それでいて、定時制ともなると、色々なタイプの人達が混在していて、制服も無く、私服登校で、髪を染めていたり、身だしなみ等は特に怒られることはなく、色々なタイプの人間がいて、とても自由な環境。

中学の頃やんちゃしてた奴、不登校だった奴、家庭環境に問題があるような奴、年齢だって様々な環境。根暗や不良が混在しており、まるで動物園とでも言うのだろうか・・・

私の学年は、定時制にしては珍しく、大半が同い年だった。クラスは1クラスで人数は40人前後だろうか。それでいて、工業系だったし、見た目が自由という事もあり、イケイケの奴らが多く、丁度同世代だし、生意気そうな輩が多かった。

その中で中学からの名残と言うのだろうか、未だに成長をしていなかった私は、初日から舐められたくなかったので、目立っていた奴にイケイケ全快で絡んでいき、手当たり次第に声を掛けてはバチバチしており、本当にどうしようもない奴。

入学式当日、始まりは案の定、喧嘩からのスタート。

学校が終わるのが夜ということもあり、人目が少なく、外で多少騒いでいても、よっぽどの事がない限り、警察沙汰にはならない。そのせいもあり、気にくわない奴を夜の公園に呼び出しては、喧嘩を吹っ掛ける。

ボロボロなった洋服、そして血だらけになって倒れ込んでいる相手を背に、罵声を浴びせてから帰宅する。

そんなことを繰り返しながら、いつも何かにイライラしては、周りにあたる日々。

何がしたいのだろう.....。

生きている実感?自分の存在意義?居場所?

喪失感は消えぬまま、堕落した日々を過ごしていくうちに、ますます自分は何をしているのだろうか?このまま何処を目指しているの?その様な感情が込み上げてくる。

喧嘩に勝っても自分には負けている、そんなとこだろうか.....。

何も手に入れることなんか無かった。

そんな憂さ晴らしをするうちに、自分のせいで何人もの生徒が、学校を去る事になったり、仲間と呼ぶには浅い関係の一緒に悪さをする人が増えていったりと、ますます悪い方向に進んでいってしまう。それでも、残っている人達の中では、なんだかんだで人当たりはいいし、分け隔てなく積極的に絡んでいた私は、ここでも人気者と呼べる様な存在だったのかもしれない。

でも何故だろう、居心地のいい環境ではない。居場所も心の穴を埋める場所もそこにしかなかったのだ....。

本当の意味の仲間というより、この頃は恐怖が大きかったのかもしれない。

そんな環境の中でも、学校は楽しかったし、求めるものがそこにしかなかった私は、なんだかんだで学校には毎日ちゃんと行っていたのだけれども、この頃の授業風景はかなり劣悪なもので、授業中に爆竹なり、花火なりをしたり、先生に物を投げたり、ちょっかいをだしたりしてイジメ倒しては「もうあのクラスには行きたくない」と言われ辞めさせたりしていた。

周りを見てもゲームをしている奴、本を読んでる奴、寝ている奴だったりと、まともに授業を受けている人は少なかった。

休み時間は、屋上やトイレで煙草を吸ったりと、とてもじゃないが学校と呼べる環境ではなく、とても滅茶苦茶で、まるで漫画やドラマみたいな世界の光景がそこにはあった。

そんな日々を過ごしていくうちに、中学生気分が抜けていない人が多かったということもあり、停学にあってはもう学校に来なくなる人や、いつのまにか来なくなる人だったりと、段々と人数が減っていき、半年も経つ頃には30人前後しか人がいなくなり、クラスの雰囲気も段々と落ち着いてきていた。

私はというと悪目立ちはしてたものも、ちゃんと毎日出席はしていたし、テストの成績も良く、要領も頭も良かったので、特にこれといって問題にはならずにいた。それでもやはり、先生方はそんな自分を面白く思っておらず、かなり目はつけられていました。

「お前なんかな、絶対卒業なんかさせない!なんとかして退学にしてやる!」

その様なことを言われる日々が続いていたのですが、もう既に、この頃になると、ヤンチャしてる人達が殆ど居らず、クラスの中心人物になっていた私は、より一層と目立つ人物になっており、要注意人物となってしまって、なんとかして私を辞めさせようと躍起になっていたのだけど、段々と学校というものが楽しくなっていき、時が経つ毎に、私は更生していっており、周りの人達も、定時制高校なので朝から働く人が多く、社員の様に働いては夜は学校という人が多く、社会の荒波に揉まれるというのでしょうか、大分落ち着いてきており、滅茶苦茶にする人達も居らず、皆が自立していき、人数も減ってきていたので、ようやくクラスが一丸となっていっていました。

そんなこんなで一年生も終盤に近ずいてきて、私はすっかり真面目になり、夢と呼べるものもでき、クラスの人数も20人前後となって素敵な学園ライフがスタートし、夜明けが近づきつつ、二年生になる。

二年生、出会い、そして.....。

定時制は一年生で決まると言っても過言ではなく、一年生で殆どが振るいに落とされ、二年生まで上がれば卒業まで行けると言われる事が多い。

私の学年も初めは40人前後いたのに二年生になれたのは20人前後と随分と人数が減ってしまっていたので、このまま皆んなで卒業できたらいいなと思っていた。

春、晴れて二年生になり、私に向けられていた恐怖心も段々と薄れいっており、人数も少なくなって、みんながみんな仲が良い環境になり、二年生からはコース分けも始まるので「さぁーこれからだ!」と息巻いてのスタート。

そんな中、クラスではある話題について持ち切りだった。

「あそこに座ってるの誰?」

「ん?編入生かな?」

そこには全然見た事もない人が何人かいて、皆がザワついていた。

「よし、話しかけに行こ!」

そう意気込み、私は人見知りとかするタイプではないし、グイグイいくタイプなので速攻で話しかけに行っていた。

いきなり話しかけにいき、グイグイ質問攻めにしては、向こうも「こいつめっちゃグイグイ来るやん」と思われていたのかもしれないが、そんなことを気にもせず、なんだかんだですぐに打ち解けることができ、のちのち言われたのですが「あの時さ、初めての環境で緊張してたし、お前がグイグイ来てくれてほんと助かった」と言われました。

編入生は三人おり、二人が一歳年上で、もう一人は少し年齢は離れていたのだけど、年齢なんかオマケみたいなものなので、普通に接していたし、すぐにクラスの一員となっていました。

その中の一歳年上の二人とは特に意気投合してかなり仲良くなっていっていました。

二年生に上がっての一つ目の転機はこの出会いでした。

そしていよいよコース分けが始まります。普通の授業はみんなで受け、専門分野の授業はコース毎に受けるという流れで、自動車、機械、電気、建築の4コース。私はもちろん建築を選択して、建築コースは6人でした。

ここでもまた転機が訪れます。

生活指導の主任で滅茶苦茶してた時に大分お世話になった先生が建築コースの担任になったのです。

過去の非行だったり、現在の頑張りなどを分かってくれていたその先生は、自分の事を可愛がってくれて、凄いお世話になり、恩師と呼べる様な存在でした。

本当に自分は周りに恵まれており、少し寄り道をしてしまっていたけど、ちゃんと戻ってこれて、真っ当になっていき、とても幸せ者でこれからだ!となっていっていました。

家の事も、なとかしようとなっていき、バイトも何個か掛け持ちしては家にお金を入れていたのですが、ここで重大なミスを犯すことになってしまうのです.....。

前述した通り家は大変だったので生活保護を貰っており、仕事をするなら申告をしなければいけなく、そんな事も知らずに働きまくっては、かなりの額を稼いでしまっていたので、注意勧告を受け、保護費は減額で給料も返上しないといけなくなってしまい、余計にきつくなってしまったのです.....。

そこで悪知恵を働かせた私は額面が残らず、申告がされない様なグレーゾーン?の仕事をすれば大丈夫だろうと考える様になり、持ち前のネットワークをここでも駆使していき、なんとかなりそうな仕事に手を出す様になるのです。(仕事内容の方は伏せておきます)

そんなこんなで学業も私生活も、充実してきつつあった私なのですが、忙しさや頑張っているという事にかまけて気付いてあげられなかった重大な事が出できてしまうのです・・・・・

梅雨時、ジメジメした季節。

「最近頑張ってるし、親にもようやく頑張ってる姿を見せられてるなぁー!これからも、もっともっと頑張っていって親孝行しないとな!」

そんな事も束の間・・・

母と私は父がかかりつけだった病院にいきなり呼ばれたのだ。

暗い顔のお医者さんが重たい口を開いた。

「いきなり呼び出してしまって申し訳御座いませんね」

「なんかあったのですか?」と母が言う。

「あのですね、誠に申し上げにくいのですが、お父さんは癌になっていて、もう、ステージも4で末期の状態で余命が、もって半年です」

「......。」

母も私も蒼天の霹靂に打たれた様に、唖然としてしまい、その事実を受け入れる事が出来なかった。

「もっと早く気付けなかったんですか?」

「ここまで進行していたら、よっぽど辛かったと思うんですが、どうやら、黙って我慢していたみたいですね」

なんでなのだろう、私も母も異変には薄々感付いていたのだけど、いつも病院から帰ってくる父は「なんともないらしいから大丈夫だよ」といっており、それを鵜呑みにして、家の事やらなんやらで手一杯だったので、そこまで手が回らず、もう既に後悔しても仕切れない過ちを犯してしまっていたのだと自責の念にかられていました。

もっと早く精密検査をしていれば、本当に大丈夫なのかをちゃんと確認していれば、頭の中では後悔しか無く、今更そんな後悔は遅いのだけど、後悔しか残らない結果にどうする事もできず、膝から崩れ落ち、泣く事しかできない。

「とりあえず、入院をしてもらい、手術をして、抗ガン剤を投与していきましょうか」

「はい...わかりました、よろしくお願いします」

そして病室の父の元へ行くと父は「手術は受けない」と言い出していました。

「そんな事言わないで頑張ろうよ....。」

そんな言葉をかけても仕方ないのかもしれない。

倒産して何も無くなってしまっていたし、精神も蝕まれ、ずっと死にたがっていたのだから・・・

それでも「やっと、これからなんだよ、もっと私の成長を見ていてよ」と、その様な感情が込み上げ父の前では泣く事も出来ずになんとか説得する事しかできずにいた。

そんなこんなで、なんとか説得する事が出来たのだけど、それがはたして正解だったのか否かは今はまだわからない。

父の事とは裏腹に私は周りにはこの状況を悟られたくなかったので、暗くなるわけでもなく、ごく一部の人にしか言わずに、いつも通りの明るい自分を演じていた。

太陽の様な笑顔でも心は曇っていたのかもしれない。

それでも、私にできる事と言ったら前に進んでいき、頑張りを見せていく事しか出来ない。

この頃になると、とてもハードな生活で、仕事に父親に学校と休まる時間もなく時が流れ行き、先が見えずにいるけれど残酷にもタイムリミットは近づいてくる.....。

そして梅雨が終わり、長くて熱い夏が始まろうとしていた・・・・・

果たしてこの後私に待ち受けているのは幸か不幸か!?

それはまた次回のお楽しみで!


今回もここまで読んで頂きありがとうございます!

また次回も楽しみにして頂けると幸いです。

それでは軽く次回予告をして終わりにしたいと思います。

次回予告

全然終わりが見えない二年生。次々と問題が起きて四苦八苦・・・

それでも時は流れていく、、、、

とても濃密な二年生を過ごし、そして希望を見いだしていき、次のステップに進めるのか!?

次回も乞うご期待!!!















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