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【しろくろ】”ミニサッカー”ではない”フットサル”の時代

”サッカーのためのフットサル”

まだまだフットサルという言葉が浸透していない2000年前後、フットサルは「サッカーをどうしてもできない環境のサッカープレイヤー」が遊びでやるものだった。

僕は5歳の頃、たまたま幼稚園の前に当時は少なかったフットサルコートがあったことからフットサルを始めた。そのフットサルスクールで自分を教えていたオスカーという人のいい日系ブラジル人が、「日本の競技フットサルの草分け的存在」と言われる重鎮だったことを知るのは、だいぶ大人になってからだった。

とはいえフットサルとは、毎週末が潰れてしまう地域の少年サッカーチームに我が子を入れたくない親。雪国で季節的にサッカーができない学生チーム。人数が22人も集まらなかった社会人。そういう人たちのための”妥協案”だった。

キックインで始まるオフサイドのない5対5でやるミニサッカー。それがフットサルだった。

2006年、AFCフットサル選手権初優勝

僕の記憶の中で、フットサルの立ち位置が大きく変わったと感じた瞬間が3回あった。

ひとつは2006年のフットサル日本代表がAFCフットサル選手権で優勝した瞬間。前述した通り、フットサルに元より馴染みがあった僕は、やべっちFCが珍しく番組の最後にフットサル日本代表の結果を放送していたことを見逃さなかった。

「長年勝てていなかったイラン代表に快勝した。」
「アジアチャンピオンになった。」
「木暮賢一郎は日本のフットサルの宝だ。」

尺こそ短かったが、競技としてのフットサルが強く刷り込まれたのは僕だけじゃなかったのは翌年になってわかることだ。

2007年、Fリーグ開幕

翌年2007年、待望のプロフットサルリーグ、Fリーグが開幕した。全国の8チームが参戦し、前年のフットサル日本代表の活躍もあり、メディアで大々的に取り上げられていた。

サッカーに比べてセントラル方式なこともあり、安価に何試合も観られるということで気まぐれに観に行く人は僕の周りにもいた。

Jリーグ開幕からの日本サッカー界の隆盛を知る人たちは、「これからはフットサルが来る」なんて思う人も多かったみたいだった。

この頃から競技人口は爆発的に増え、2011年には約370万人まで増えた。(レジャー白書(公益財団法人 日本生産性本部)

それはFリーグ開幕だけでなく、僕が挙げる最後の出来事がブーストをかけた結果だろう。

キングカズ、フットサル日本代表入り

見出しでお分かりだろう。これを知らない方はどれほどいるだろう。
新鮮にこのニュースを知ったら、驚きは当時の僕以上のものなのだろう。

2012年1月、日本サッカー界の王、キングカズこと三浦知良は所属していた横浜FCと同じLEOCがスポンサードするエスポラーダ北海道の一員としてFリーグのピッチに立った。

それを観た当時のフットサル日本代表監督ミゲル・ロドリゴは、フットサル日本代表への招集を決意。メディアを大いに沸かせ、フットサルブームを追い焚きした。

この年の2012 FIFAフットサルワールドカップで、日本代表は大会初となる決勝トーナメント進出。最高成績となるベスト16で同大会を終えた。結果を残すところがキングである。

フットサル黎明期?その後

フットサルブームが席巻した当時、約370万人いたフットサル競技人口は、2015年時点で約150万人まで落ちたそうだ。僕はこの記事を書く段階で調べるまでは、まだ増え続けていると考えていた。詳しいデータが出てこないので、その後の推移は把握できない。現在はもう少し増えていると信じたい。

兎にも角にも、フットサルはいま話題を失っている。それでも競技人口が増えることが、人気の定着なのだろうと思う。そして、僕の肌感だが、状況はそう悪くはないと思う。

フットサルのプロを目指す子供達がいることを知っている。その子たちがサッカーではなくフットサルが好きだと言っていることを知っている。

そしてサッカーとフットサルが全く別のスポーツなのだと理解する人は年々増えている。フットサルの未来はそう暗くない。

”サッカーのためのフットサル”と呼ぶ人はもういないだろう。


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