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憧れのあの人を偲んで 前編

春の大型連休も終わり、初夏がやって来た。

最近、近所の住宅街の庭先にバラの花が咲き始めた。満開のお庭もあって、バイト先への道中、いつもより気分がいい。庭に咲いているバラを見ると、とても幸せな気持ちになる。

バラが咲くと、思い出す人がいます。

その人はMさんという。
ここでは実名をあげることはしないが、団塊より少し上の世代にしては、すごく洒落た名前で、そのこと自体がMさんをMさんたらしめていると私は思う。

Mさんは、詩をつくり、油絵や水彩画を楽しみ、短歌を詠む人だった。
そして、平屋建ての素敵な家の庭いっぱいにバラを育て、5月になるとその花弁が次々に開いて香るのだった。

Mさんの芸術の才能は確かなもので、詩集を3冊出版していくつか賞を取ったし、数々の絵画コンクールに出品して、油絵は地元のコンクールで最優秀賞を受賞したこともある腕前だった。近所の土手沿いにあるギャラリーで個展も開いた。

自分の創作の傍ら、地元文芸誌の編集にも長年携わっていたそうだ。地域ではちょっと名が知れていたし、明るい性格でお友達も多くてよく一緒に旅行に行っていた。

一方私は、同年代の活発にはしゃぎ回る子供に比べたら芸術や文学への関心はほんの申し訳程度には強かったかもしれないが、引っ込み思案な至って普通の子供だった。
芸術系の習い事もしたことはない。

そんな私がどうして、芸術肌のしかも50歳以上年上のMさんと出会ったのか。

Mさんは早くに旦那さんを亡くしたが、二人の息子さんがいた。

次男のKさんは母の勤め先に食品を下ろしていて、母の職場のお姉さんたちと一緒にうちに来てバーベキューをするくらいには仲が良かった。
で、その紹介で私は長男のH先生の経営する小さな個別指導塾に通うようになり、小3から中学を卒業するまでお世話になることになる。
(ちなみにこれからもお世話になり続ける予定)

で、なんやかんやあって(昔のことすぎて詳細が思い出せない)その二人のお母様であるMさんと私の母と私は出会い、家族ぐるみのお付き合いが始まるのであった。

余談だけど、この後、両家が実は遠い親戚だったことが判明する。家族ぐるみじゃなくて大きくいえば元は家族だった。ちょっと笑える。

まぁそんなこんなで、私と母はMさんのお家に遊びに行くようになった。

ここでちょっと母の話をする。

母はもともとインテリアの仕事をしていた。自分でインテリアコーディネートのデザインを書き起こす人だったし、ターシャ・テューダーも好きだったし、幼い私を美術館に連れていくような人だったので、Mさんのことを好きにならないはずがなかった。

育児のために好きだった仕事を辞めて、慣れない仕事をこなしながら休日は農作業の手伝い(うちは兼業農家です)をする日々。私は小学校も高学年になるまでめちゃくちゃ体が弱かったし、泣き虫でわがままだったし、手をかけたと思う。

だから、母にとってMさんとの時間は、日常から切り離された夢のようなひとときだったろう。

私も、母の運転する車に乗って、車内でユーミンのCDをかけながらMさんの家に向かうのが、いつも楽しみでならなかった。

Mさんの家は町の中心部に近く、郵便局を過ぎてお米屋さんの看板を曲がった住宅街の奥にあった。木造の平屋建て。

近くの駐車場に車を止めて歩くと、Mさんの庭のバラの淡い彩りが見える。近寄ると独特のいい香りがして大好きだった。玉砂利が敷いてある庭を3、4歩行くと玄関。

ドアを開けると、土間のところに犬が丸くなっている。ブランキーという名前のコーギー。おじいちゃん犬だけど、優しくて毛並みが綺麗でとってもハンサムだった。

Mさんが出迎えてくれて、向かって右手のリビングに通される。中央にテーブルとソファーがあって、私たちが座るソファーの後ろには背の低い本棚。Mさんの詩集もそこにあった。隅には小さなお仏壇が置かれていて、眼鏡をかけた旦那さんの写真が飾られていた。

ソファーに座っていると奥にキッチンが見えて、そこでMさんが紅茶を淹れてケーキやクッキーを出してくれた。

Mさんは明るくておしゃべりが好きだった。
母と私と3人で、何時間もおしゃべりに花を咲かせて、その合間にMさんが奥からスケッチブックやキャンバスを持ってきて私たちに見せてくれた。

旅行先で描いた白樺のスケッチがもう一度見たいなと思う。

私たち3人は、親子三世代といっても差し支えない年齢差だった。児童書で読んだ女の子のように、私にもこんな素敵なおばあちゃんがいたらなと思った。

そしてたぶん、それはMさんも同じだった。Mさんにはお孫さんがいなかった。

次男のKさんはつい最近まで独身だったが、長男のH先生にはRさんという、Mさんと仲良しなのも頷ける素敵な奥さんがいる。二人はとてもお似合いだけれど、長い間子供を授からなかった。今でも親交のあるH先生は、馴染みの店に私を連れて行き、「どうも、今日は娘と来ました」なんてジョークをかます。

みんな、決して悲観的ではなかったけれど、やっぱり子供が家にいるというのが嬉しかったのだろうか。Mさんは私のことを孫のように可愛がってくれたと思う。

まだ小さかった私は、ハガキに絵を描いて持って行った。木にとまっているスズメが、公園で遊んでいる子供たちを上から眺めている絵。

Mさんは今思えば大げさなくらい褒めちぎってくれて、照れながらもすごく嬉しかったのを覚えている。

帰り際、バラの時期はいつも、Mさんが庭のバラの木から枝をパチンパチンと切って預けてくれた。

2リットルのペットボトルを豪快に切って、その中いっぱいにバラを生けてくれるのだが、大きな紙袋にそれがぎゅっと詰まっていて、帰りの車に幸せな香りが充満していた。

美しいものが好きで、優しくて、私と母に小さな喜びを沢山くれたMさん。私の人生に大きな影響を与えてくれた人である。

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