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令和のチューバッカ弁論法

 秋は空が高い。あの忌々しい夏の湿度を急激に低下させ、空気中の水分が気化しているからだろう。唇や手の甲から乾燥の気配を感じる。それはまるでテーブルに垂らした蜂蜜のようにゆっくりと着実に忍びよってくる。あるいは馬に乗って作物を奪いにくる北方の遊牧民のように計画的に。


裁判員候補者名簿への記載のお知らせ

 ポストの中を確認する習慣がないためいつ届いたのかはっきりとはわからないが、間違いなく宛名が自分の郵便物がそこにはあった。江戸時代の犬の死体のように隣の家のポストに入れて、見なかったことにはできない。
 2009年に始まった裁判員制度。当初はニュースなどで見聞きした記憶があるが、あれから幾年たち、すっかり忘却の彼方へ旅立っていた制度が何の前触れもなしに戻ってきた。それはイノシシの皮を被ったジバシリたちのように唐突で、乙事主ではなくとも誰でも、ベクトルのバグったハイテンションをキメるのに十分なシチュエーションだった。
 SNSにアップしようとしたけれど、ヤバそうだからやめた。最低限のリテラシーは持ち合わせているつもりだった。

「こんなことになるならXにあげとくんだったー」届いた呼出状を投げながらおれは天を仰いだ。実際には天井だが。
「SNSなんてダメに決まってるってあなたが去年言ってたのよ」妻が呼出状を拾いながら言う。
「裁判員候補者名簿への記載のお知らせだけでどうせ選ばれないと思ってたのに」
「日頃の行いが良すぎるのね」
「おいおい、今のおれのメンタルHP1なのにチクチク言ってくるわけ?」
「あら、裁判員って95%以上の経験者が良い経験をしたって回答しているのよ。なんならラッキーなんじゃない?」
「めんどくさいんだよ。どうせボランティアだし」
「さすがに手当てがでるわよ」
「じゃあただ単にめんどくさい。スペイン代表メンディエタ」
「それでもSNSにアップしていい理由にはなりません」
「Dystopiaなら通るかも」
「1984年の結末を知らない訳じゃないのよね?」
「またチクチクきたー」

 今年の元旦。年賀状を確認するためにポストを開けると、そこには裁判員候補者名簿への記載のお知らせが入っていた。辞退するための口実が思いつかず仕方なく黙認した。どうせ選ばれないと楽観視していたのは否めない。
 そして今秋。くじでおれが選ばれたって旨を呼出状が冷酷に告げたってわけだ。

 詳しい説明は法律上の理由でできないが、おれが裁判員に当てられた裁判の被告は完全にクロだと思う。状況証拠、物的証拠、動機そして不在証明ができないこと。全てにおいて被告がこの殺人事件(ヤベ、書いちゃった。てへぺろ)の真犯人であると示唆されている。しかも情状酌量の余地なしときたもんだ。良心の呵責もなく有罪をくだせる楽なお仕事。
 今日は被告弁護人による最終弁論の日。よく知らないけど相当やり手の弁護士だっていう話だ。しかし今回ばかりはいくらなんでも不利すぎる。被告の有罪でほぼ決まっている負け戦みたいなもんなんだから。

「裁判員の皆さん、本当に長い期間お付き合いくださりありがとうございました。皆さんの審判が正しくあるために、最後に皆さんに考えていただきたいことが1つだけあります」 

グローグー

「これは、グローグーです。彼は41BBYで生まれましたが、惑星コルサントのジェダイテンプルで学びました。そしてマンダロリアンseason3までがローンチされている現在、グローグーは惑星ネヴァロでディン・ジャリンと暮らしています。さあ、考えてみてください。これは何とも理屈に合わないことではありませんか!
何でまた、50歳とはいえマスターヨーダと同じ種族であると考察されているグローグーがマンダロアのディン・ジャリンと一緒に暮らしたがったりするのか、これは全く理屈に合いません。ジェダイとマンダロリアンなんて因縁の相手同士なのですよ?
しかし、もっと重要で、皆さん自身が問うべきなのは、このことがこの裁判に何の関係があるのか?ということです。
何もありません!皆さん、これは裁判に何の関係もありません!全く理屈に合いません!私をみてください。私は殺人容疑をかけられた被告を弁護する弁護士でありますが、話しているのはグローグーのことです!これは理屈に合っていますか?皆さん、私は理屈に合う話なんか何もしていないのです。何も理屈なんか通っていません! ですから皆さんには、思い出していただかなければなりません。皆さんが裁判員室で審議したり、公民権運動の歴史やLGBTQ+を文法的に活用させたりすることは、理屈に合っているのでしょうか? いいえ! 裁判員の皆さん、そんなことは何も理屈に合いません! グローグーがネヴァロに住んでいるのなら、皆さんは被告を無罪放免にすべきです! どうか皆さん、目先の証拠に囚われて判断を誤らぬように細心の注意を心掛けてください。弁護側の弁論を終わります」

「お勤めご苦労様、裁判員どの♡」
「ああ」
「で、どうだった?感想は?」
「いい経験に、なったかな」
「歯切れ悪いねー」
「なんか最後でよくわかんなくなっちゃってさ」
「え、でも無罪と判断したから無罪になったんでしょ?緊急速報でやってたよ。逆転無罪!って。それともあなたはマイノリティ側の意見だったの?まあ、そうだとしても民主主義では仕方のないことよ。マジョリティが常に勝つの、ほんとうに厭な世の中」
「満場一致で無罪だったんだ」
「…なら、胸を張ってよ」
そう言いながら彼女は顔を手で覆い隠すと横隔膜を痙攣させながら泣いた。膝を地に着き、見間違いだと思うが髪の毛が膨らんだような印象を受けた。

 主観を排除して客観視できる人間にしか裁判員は務まらない。かと言ってAIにも不可能だ。犯罪には動機がある。犯罪に至る経緯によっては情状酌量を考慮しなくてはいけない。しかし、そんな裁判という聖域を単なるプレゼンテーションの場としてしか考えていない悪徳弁護士がいるとしたら。それに対抗できるのは自分自身で考えた自分の意見だけだろう。

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