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街風 episode.25.6 〜X.Y.Z.〜

 「まあ、良いものは時代を越えますけどね。逆に音楽と違って、カクテルなんてずっとレシピは変わらないですもんね。」

 そう言って、ヨウイチ君はカウンターの後ろの棚に並べられたリキュールを眺めた。

 「たしかに、そうだね。」

 「ということで、マティーニをください。」

 ヨウイチ君は、空になったグラスを差し出してニコリといたずらな目つきで注文をした。この話をした上で、マティーニを注文するヨウイチ君の事を少しだけ好きになった。

 マティーニ、カクテルの王様。きっとカクテルを知らない人も名前だけは知っている人も多いだろう。このカクテルは、材料も作り方も極めてシンプル。だからこそ、誤魔化しがきかない。初めてのバーに行った時は、マティーニを一杯だけ飲めば、その店の良し悪しが全て分かる。

 「ヨウイチ君もいじわるだねえ。」

 そう言いながら、ジンとベルモットをステアして注いだ。オリーブを飾り付けて完成。ヨウイチ君は目の前に出されたマティーニをまじまじと見て、一口だけ飲んだ。

 「とても美味しいです。」

 良かった、と心の中でガッツポーズをした。

 「さすがですね。久しぶりにこんな美味しいマティーニを飲みました。こういう世界もあるんですよね。」

 カクテルは、レシピが昔から変わらないものばかりだ。もちろん、オリジナルのカクテルを追求するバーテンダーもいるが、俺は昔からの伝統的なカクテルを提供し続けているだけだ。

 レシピだけが語り継がれていき、昔からの変わらない味が紡がれ続ける。そして、良し悪しは作ったバーテンダーの力量で決まる。一つのグラスに注がれて作られていく様々なカクテル、その一つひとつに物語があるのは、きっとカクテル一つに多くの人たちが関わっているからだろう。そうやって紡がれていった物語を、カクテルを通じてお客さんたちに美味しく飲んでもらう。バーテンダーとしての誇りや矜持はきちんと持っているつもりだが、バーテンダーというものは、結局はその込められた想いや物語を伝える語り部にすぎないともどこかで感じている。

 「ショウコさんもこんな感じですし、そろそろ次で最後にしようと思います。」

 「分かりました。何にしますか?」

 「最後はお任せします。」

 「分かりました。」

 ヨウイチ君も良い感じにほろ酔いになりつつあった。店内に流れるジャズを心地良さそうに目を瞑りながら聴いている。空になったマティーニのグラスを下げて、次のカクテルの準備を始めた。ヨウイチ君も少し気になっているのか、チラチラとこちらを伺っている。

 棚からロンリコホワイト、コアントロー、そして冷蔵庫からレモンジュースを取り出した。いつもの手つきでそれぞれを計量してシェイカーに注ぎ込む。適度に素早くシェイクしていき、ゆっくりとグラスに注ぎ込む。注いだ瞬間から微かに広がる香りも楽しい。

 「お待たせしました。」

 「とても美味しそうですね。なんですか?」

 「X.Y.Z.です。」

 「面白い名前ですね。」

 ヨウイチ君は目の前に差し出されたグラスを一瞥してから、ゆっくりとグラスを持ち上げた。そして、静かに一口飲んでグラスを再び置いた。

 「如何ですか?」

 「とても美味しいです。なんだろう、口当たりは優しいのに最後はさっぱりと綺麗に終わる感じがして、全く飽きのこない味ですね。」

 「ありがとうございます。」

 X.Y.Z.カクテル。このカクテルの名前の由来は色々とある。欧米圏では、このカクテルのレシピは非公開であったからだというものや、アルファベットの最後の三文字であることから、「これ以上はない、究極のカクテル」だったり、「最後の一杯」だという説もある。

 「なるほど。名前負けしていないですね。究極...か。」

 ヨウイチ君は横目で隣のショウコちゃんがテーブルに突っ伏して寝ているのを確認すると、再びゆっくりとカクテルを味わった。ショウコちゃんは、いつの間にかスヤスヤと眠りについている。先ほどから時折ショウコちゃんの携帯のバイブレーションが鳴っているが、ショウコちゃんは全く気付かずに気持ち良さそうにうたた寝している。

 「究極って面白いですよね。」

 「面白い?どうしてそう思うのかな。」

 「だって、究めて極めて行った先に辿り着く境地が、“究極”ですよね。そんな所に行ったら行ったでつまらないですよ。僕だって究極の一枚を撮りたいと思って仕事を頑張っていますけど、そこには一生辿り着かなくていいと思ってもいるんです。」

 なるほど、たしかに一理ある。“究極”というものは、目指すべきでもあり辿り着く必要が無いのかもしれない。もしも自分がヨウイチ君のようにカメラマンだったとしたら、きっと“究極の一枚”を撮れてしまったその日にカメラを置くかもしれない。それ以上の高みに行けないと分かってしまったら、誰も辿り着くことのできなかった境地に辿り着いてしまったら、それはそれで情熱や目標を見失って、虚無感に包まれてしまうのかもしれない。

 「それでも、人はみんな究極を求めているんですよね、そうやって今ある幸せをどんどん見逃していく。」

 ヨウイチ君が何を言いたいのかは分からなかったが、ふと思い出した事があった。“究極の幸せ”について考えさせられたことだった。

 つい最近、ずっと昔の頃に仲が良かった友達の二人が、それぞれ別々の日にお店にやってきてくれた。二人とも昔はみんなで色々とやんちゃしていた仲間だったが、今ではすっかりと丸くなって立派な大人として生きている。

 その内の一人は、今では幾つかの会社を経営する凄腕社長として名を馳せており、過去にも何度かメディアに出演していた。お店に来た日も全身をブランドのスーツで固めて、袖からちらりと見え隠れしていたロレックスの腕時計も輝いていた。本人は、実はブランド物には全く興味が無いのだが、やはり仕事柄多くの人と出会うために、なるべく安物のものは身につけないようにしているらしい。

 すでに結婚と離婚を繰り返していて、今は独身貴族として公私ともに充実した毎日を送っているらしい。昔と変わらない遊び人だったが、年を重ねて帯びることのできる色気も増しており、相変わらずモテモテな雰囲気を醸し出していた。でも、そんな彼がここで飲んでいた時に、ふと悩みを口に出した。

 「聞いてくれよ、ユウちゃん。最近さ、何を食べても美味しくないんだよ。いや、たしかに美味しいものは美味しいんだけどさ、何かこう感動する機会が減っちゃったんだよね。」

 彼は社長でありメディア出演もしていたりと数多くの人脈があった。そして、彼も義理堅く人間関係を重んじる一面もあるため、ほぼ毎日誰かしらと食事に行っているらしい。そして、それなりの人たちとの食事なのでお店もそれなりのお店を頻繁に利用していた。会員限定の懐石料理店やミシュランガイド常連のお店、きっと高級店といわれているようなお店は殆ど制覇しているのではないだろうか。

 でも、そんな日常が当たり前である彼にとっては、別にそれは何もない日常生活のワンシーンなだけであって、それ以上の出来事ではない。きっと、普通の庶民の我々からすれば年に一回行ければいい、もしかしたら一生に一度行ければいいかもしれない、と思うようなお店であっても、彼にとっては明日明後日に久しぶりに行こうかな、という感覚にすぎないのだろう。

 そんな生活が当たり前になってしまったら、きっと普通の人が感動する味すらも何も感じなくなっていくのだろう。それはそれで、幸せなのかもしれないが本人にとっては不幸せなのかもしれない。

 「都内のレストランで一流シェフが振舞う豪華なコースディナーよりも、お金が無い頃のボロいアパートで彼女と二人で暮らしていた時に彼女の誕生日に奮発して食べに行った近所のレストランのコース料理の方が美味しかったし感動した気がするんだよ。金額設定だって全然違うはずだし、今もしも若い頃のあのコース料理を食べても感動しないかもしれないけどさ。」

 「贅沢な悩みだね。」

 「贅沢なのかな。なんだか悲しいよな。昔よりも自由に使えるお金も時間もあるっていうのに、感動できるものに感動できなくなるのはさ。」

 そう言った彼は、その後にも何杯か飲んで帰って行った。

 もう一人の仲間が来たのは、その数日後だった。今は地元の小さな会社で働いており、家では二人の娘の立派なパパとしても頑張っている。

 「久しぶり。数日前にあいつが来ていたんだってね。俺も最近行けてなかったからさ、今日は久しぶりに来ちゃった。」

 「ありがとう。」

 彼は昔から好きなウイスキーをロックで飲みつつ、仕事のことや家族のことを楽しそうに話してくれた。

 「そういえば、聞いてよ。」

 彼は思い出したように半年前の出来事を話してくれた。母の日が近かったこともあり、高校生の娘が貯めていたバイト代を使って、家族で外食に行こうと誘ってきたらしい。娘の心遣いに感動しつつも、あまり高いお店に行くことはできなかったので、どこかのファミレスに行こうという話になった。そして、家族四人でお店を探しながら歩いていると、昔よく居座り続けていたファミレスが今も営業をしていた。娘は「ここにしよう!」と言って、そのお店を指差した。家族には昔の頃の話をしていなかったので、彼は妻にもバレないように一人でクスリと笑ってしまった。血は争えないらしい。

 店内は昔と変わらない雰囲気で、年季の入った壁と少し前に新調したであろうソファー席はフカフカだった。

 昔は仲間たちと夜遅くまでいた思い出の場所に、今では家族と一緒にいる。運ばれてきた料理を美味しそうに食べる娘たちを見ながら食べたハンバーグは昔と変わらない味だったらしい。きっと一人で行ったら何も感じなかったかもしれないが、自分の家族と共に一緒に来た事が感慨深かったのだろう。

 「あの日のハンバーグは昔よりも美味しく感じたよ。まあ、あの頃の俺たちはずっとドリンクバーで粘っていた回数の方が多かったけどさ。それで、最後の会計の時に、娘が“ここは私が出すから!”って言って、自分の財布からお金出した時に更に感動したね。ああ、幸せだなあって思っちゃった。」

 「素敵な娘に育ったね。」

 そう言われると、彼は照れ臭そうに鼻をこすった。でも、その時に見せた笑顔はとても柔らかくて幸せに溢れていた。

 身近にある幸せも、それが当たり前になっていまうと幸せじゃなくなってしまう。そんなことを考えさせられた二人の仲間の来店だった。そんな事を思い出しながら、ヨウイチ君の話に耳を傾けていた。

 X.Y.Z.を飲み干した頃、隣のショウコちゃんがゆっくりと顔を上げた。

 「ごめん、寝ちゃってた。」

 「ショウコさん気持ち良さそうに寝ていたんで別にいいですよ。このお店に心を許している証拠ですね。あと、さっきから携帯がちょくちょく鳴っていましたよ。大丈夫ですか?」

 その言葉を聞くと、ショウコちゃんは慌てて自分の携帯を取り出して画面を見た。そして、寝起きとは思えない早さで両手で文字を打った。

 「彼からだった。迎えに来てくれるって。」

 「じゃあ、そろそろお開きにしましょう。僕もちょうど今日一日を締め終わったので。」

 ヨウイチ君はご馳走様でしたと言いながら、空になったグラスをこちらへ差し出した。

 「あら、何を飲んでいたの。」

 「ふふふ、秘密のカクテルです。」

 そう言うと、ヨウイチ君はこちらを見てニコリと笑ってみせた。

 二人はお会計を済ませると、ふわふわとしながらドアを開いてお店を後にした。また明日も究極のカクテルを提供できるように頑張るか、と思いながら誰もいなくなった店内に響くジャズを聴いていた。











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