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【小説】オオカミ様の日常 第1話 「オオカミ様は疲れてる」

   「ああー。疲れた。」

   久しぶりにオオカミの姿になった大神オオカミ様は、自分の社へ帰宅するとぐったりした。そして、自分の寝室へと向かい布団の上でとぐろを巻くように丸まると、自分のフサフサとした毛並みを愛おしそうにペロペロと毛繕いした。あまりに疲れきっていたのか、そのままスヤスヤと寝息を立てて眠りについてしまった。

   「おはよー!」

   朝陽がすっかり昇りきった頃、オオカミ様の社に元気な声が響き渡った。オオカミ様は耳をピンと立てて声の主の正体を知ると眠そうに目を開けた。そして、鼻をピクピクと小さく動かした後に、再び二度寝しようと目を閉じた。

   「ここだー!」

   声が聞こえたと同時に、寝室の襖がバンっと勢いよく開いた。オオカミ様は騒がしい様子に辟易して、狸寝入りをすることに決めた。

   「あれ?オオカミがいるよ。」

   声の主は布団の上でスヤスヤと眠りについているオオカミを指差した。

   「おやおや、ひょっとして死んじゃったのかい。長いこと生きてきたからねえ。」

   艶やかな声をしたもう1人の来客は、悲しむ素振りを一切見せることなく淡々と呟いた。

   「そんな!嫌だよー!起きてー!」

   幼女のような見た目の元気な声の主は、オオカミ様に駆け寄ると大きく身体を揺さぶった。狸寝入りでやり過ごそうとしたオオカミ様は堪らず吠えた。そして、揺さぶっていた幼女からするりと抜け出すと軽やかに飛び上がった。ストン、と着地するなり艶やかな声の主であるスラリとした女性の前で威嚇するかのように牙を向けた。

   「人がせっかく気持ち良く寝ておったのに。どうして朝から静かにできぬのじゃ。」

   オオカミ様に威嚇されても全く動じていない。むしろ、その後ろにいた幼女の方がオオカミ様のあまりの怖さにうっすらと涙を浮かべた。

   「あらあら。小さい子供を泣かすなんて悪いオオカミねえ。」

   女性はオオカミ様の目の前をそのまま通り過ぎると、涙を流している幼女の頭をよしよしと撫でてあげた。

   「わしの話を聞かぬか!それにわしは、オオカミではなくお主たちと同格のオオガミじゃ!」

   オオカミ様は後ろを振り向くと再び吠えるように声を張り上げた。幼女はさらに泣きじゃくった。

   「こら、いい加減にしなさい。こんな小さな子を泣かすなんて。あんた、締めるわよ!」

   “締める”という言葉を耳にした瞬間に、オオカミ様は全身をブルブルと震わせた。あまりの恐怖に全身の毛が逆立っている。

 「すまんかったのう。」

 オオカミ様は、すっかり恐縮してしまい耳を後ろへパタリと伏せていた。そして、幼女の流した涙をペロペロと舐めた。

 「許してあげるー!」

 幼女はしょんぼりとしたオオカミ様に思いきり抱きついた。そして、涙を拭うと大きくニカっと笑ってみせた。

 「こらこら、およしなさい。今はこんな姿でもただのヨボヨボとした老いぼれジジイなんだから。」

 女性は冷たく言い放つと、近くにあった椅子に腰掛けた。そして、袖にしまっていたキセルを取り出し、火皿に向けた人差し指から火を灯した。慣れた手つきで最初の一吸いを嗜むと本題を切り出した。

 「で、どうして今日はそんな可愛らしい姿になっているんだい。それに、今のあんたには私とネズが分けてあげた神力じんりきしか残っていないじゃないか。」

 オオカミ様は、女性の燻らせるタバコの煙を迷惑そうな顔をしながら前足で振り払おうとしていた。ネズは、オオカミ様の隣から女性の膝の上に移動して座った。煙を振り払うのを観念したのか、オオカミ様は女性とネズの近くに静々と移動して目の前にお座りした。そして、重そうに口を開くと事の経緯を説明した。

 「実はな、わしの下で働いている者たちの中で問題児がおってな、次の街へ異動する条件として、わしの力を分けてほしいと申したのじゃ。それ自体は問題無かったのだが、あろうことか “自分の力を人間の小娘と雄の猫に分け与えた” のじゃ。その上で、神力が無くなったから ”力を分けてほしい” と言ってきたのじゃ。さすがのわしも怒ったのじゃが、約束を反故にするのか!と逆にわしが怒られるわ、あやつの神力に当てられて疲れるわ、さんざんな目に遭った…。」

 オオカミ様は大きくうなだれていた。その様子を見ていた2人は、オオカミ様が昨晩だけでいかに苦労したのか理解し、同情をした。

 「あんた、その問題児ってあの娘のことかい?相変わらず、じゃじゃ馬だねえ。 」

 「わしもほとほと困っておる…」

 オオカミ様は、ため息混じりにボヤいた。

 「おはよーございます!」

 そんなオオカミ様を困らせている元凶が社へとやってきた。普段は社に行くことを嫌がっているのに、いざ社へ来ると我が家のようにズカズカと遠慮なく入ってくるところもさすがとしか言いようがない。

 「ああー!クチナワ様とネズちゃんだー!」

 ネズたちと同じように遠慮なく寝室に上がり込んだと思ったら、幼女のようなネズと凛としたクチナワを見つけて喜びの声を上げた。オオカミ様など眼中にありませんと言わんばかりに、ネズとクチナワを目がけて一直線に歩いてくる。

 「あら、噂をすれば何とやら、ね。ちょうど貴女の話をしていたのよ。オオカミ様を困らせちゃダメよ。もうおじいちゃんなんだから。」

 クチナワはキセルを燻らせながら優しい口調で注意をした。

 「もう昨日の一件を耳にされたのですね。大変申し訳ございません。でも、私の言い分もあるのです。あ、そうそう私今日から ”ミカ” と名乗ることにします!この名前すごく気に入っているんです!」

 ミカは、うなだれているオオカミ様を気にもせず、自分の今日からの名前を名乗ると昨日の事情を説明した。

 「実は、オオカミ様からいきなり別の街へと異動するように命じられたのです、まだやり残した事もあったし私の後任も決めていないのに。さらには、後任が決まるまでは今までの街と新しい街を兼任しろと申すのです。ただでさえ自分の司る ”恋愛” 以外も担当しているのに。だから、”後任は私に決めさせてほしい” ”次の街へ行く前にオオカミ様の力を分けてほしい” とお願いをしたのです。」

 ミカはクチナワに ”私の愚痴を聞いてほしい” と言わんばかりに、オオカミ様への不満を交えながら昨日の出来事に至るまでの話をした。クチナワは、目を瞑りながらうんうんと頷いて聞いていた。

 「なるほどねえ。あんたの…ミカの言い分はよく分かった。でもね、神力を分け与えるのは非常に危険が伴うのよ。過去にもそうやって神に成って堕落した者たちを何人も見てきたわ。」

 オオカミ様はクチナワの話に同調した。

 「全くもってその通り!お主は何を考えておるのじゃ。」

 オオカミ様はミカに対して吠えた。

 「あんたは黙っていなさい!」

 クチナワは会話に入ってこようとしたオオカミ様をピシャリと跳ね返した。オオカミ様は気まずそうに再び耳を伏せて黙ることにした。

 「貴女の慧眼と神力については、私も十分に知っていると自負しているわ。今回の一件に関しては、私に免じて許してあげる。ネズもそれでいいわね。」

 うん!とネズは元気よく返事をした。

 「わしは納得しておらんぞ…。」

 オオカミ様は恐る恐るクチナワとミカに言った。

 「今のあんたは私とネズの神力で辛うじて保てているのよ。しかも、そんな懐かしい本来のオオカミの姿でしか居られないじゃない。まだ文句があるならば、私とネズにその神力を返してもらうわよ。」

 クチナワのその一言で、オオカミ様は何も言えなくなった。そして、クチナワ、ネズ、ミカの顔を順番に見回した後に、今回の一件は不問に付すと誓った。

 「あら、いい子ね。よしよし。本当にこの姿だと可愛いのに。舐め回したくなっちゃう。」

 クチナワの吐いた煙は一本の白い線になり、ヘビのようにオオカミ様の身体に巻きつくとそのまま上へと昇っていった。

 「ありがとうございます!クチナワ様、ミカちゃん!」

 ミカは、2人にお礼を言った。

 「あと、この一件は無事に解決したんだから、ミカの隠しているその神力をこちらへ返してあげなさい。」

 クチナワは右手をミカの方へと伸ばし掌を上にして指をクイクイと曲げた。ミカは、バレたか…と観念した様子で苦笑いをした。

 「まだまだクチナワ様には勝てません。」

 ミカはそう言うと自分の持っていた神力をクチナワへと送った。キラキラと黄金色に輝く光の粒がミカの体からクチナワの右手の指先へと吸い込まれていく。その様子を見ていたオオカミ様は、ミカに騙された!といった顔でその様子を見ていた。最後の一粒を受け取ると、クチナワは再びキセルを燻らせた。

 「まったく、あんたって子は。こんだけの神力を持つことができるのに、まだその地位にいるなんて。そろそろ私たちと同じように大神おおがみの位に上がればいいのに…」

 「いえいえ。私には今の仕事が合っていますから。私は一つの街を見守るのが性に合っている気がするのです。」

 「それなら仕方ないねえ。また老いぼれにいじめられるようなことがあれば、いつでも私の地方に来るといいわ。あなたなら大歓迎よ。」

 「ありがとうございます!じゃあ、私は次の街へと行く準備があるのでそろそろお暇させていただきます。オオカミ様もその様子だと今日は一緒に行くのは厳しそうですね。ゆっくりと休んでください。」

 誰のせいでこんなに疲れているのか、と言おうと思ったオオカミ様だったが、またクチナワに何か言われるのが怖くて黙ることにした。

 「じゃあ、また会いましょうね。”ミカ” って素敵な名前ね。その名前の由来については、また今度会った時に教えてちょうだい。」

 「ミカちゃん、バイバイ!」

 「またゆっくりとお話ししましょう!それでは失礼します!」

 ミカは挨拶を済ませると寝室を出てそのまま社を後にしようとした。すると、後ろからクチナワがミカに声を掛けながら駆け寄ってきた。

 「呼び止めてごめんねえ。」

 「いえいえ、どうされました。」

 「これをお守り代わりにして。」

 クチナワは掌を上にして口元に寄せると、ミカを目がけてフゥっと息を吐いた。すると、何も無かった掌から砂金のようなキラキラとした粒がミカの全身を纏うように広がった。しばらくするとキラキラとした光の粒は消えて無くなってしまった。

 「私の神力を少し貴女へあげたわ。何かあればこの神力を遠慮なく使ってちょうだい。」

 「ありがとうございます。クチナワ様の神力をいただけるとは大変光栄です。ありがたく使わせていただきます!」

 2人は別れの挨拶を済ませるとミカは次の自分の街へと旅立った。クチナワはミカの後ろ姿を見送ると、再び社へと戻って寝室へと入った。

 「相変わらずのじゃじゃ馬だったわね。私、ああいう子は大好きよ。あなたの手には負えないタイプでしょうけど。」

 クチナワは再びキセルに火を着けると先ほどと同じように椅子に腰掛けた。ネズはクチナワに寄りかかるように座り直した。

 「わしは手を焼いておる。あやつは生まれが少し特殊じゃからな。もう既にわしの神力と同等かそれ以上の神力を持っておるのに、如何せん一つの街だけでいいと頑なに出世を拒む。いつか周囲の神々との神力のバランスが崩れることになりかねない。」

 「均衡が崩れるのは厄介よ。あの ”例の地域” だってタツミのおかげで今はようやく収まりつつあるけれど、私たちもいつまた駆り出されるか分からないわ。あなたのところでは、あんな厄介事を起こさないでちょうだい。」

 「 ”例の地域” ってなんのことー?」

 「そうか、ネズはまだ生まれていなかったか。昔に色々とあってな。また今度、時間がある時にでも話してあげよう。」

 「それにしても…あんた暫く見ないうちに白髪増えたんじゃない?やっぱり年には勝てないのかねえ。」

 クチナワはオオカミ様の身体を優しく労わるようにそっと撫でた。その感触は、クチナワが以前に撫でた時よりもフカフカしていないように感じられた。

 「白髪が増えたのは年のせいではなくてストレスじゃ。まだまだわしは老いぼれではないぞ。それに、年齢ならばクチナワもわしとそこまで変わらな…」

 オオカミ様は最後まで言おうとしたが、オオカミ様を撫でていたクチナワの手がぐいっとオオカミ様の口を塞いだ。クチナワはオオカミ様を睨みつけるように無言の圧をかけた。

 「何か申したか。」

 「いや、何も…。」

 自分のアゴがクチナワに握りつぶされて砕けてしまうのではないかとオオカミ様は冷や汗をかいた。オオカミ様の口を塞ぐ手は力強く握りしめており、血管が浮き上がっている。

   「それならよろしい。」

   クチナワはニコリと笑みを浮かべると、そっとオオカミ様から手を離した。そして、キセルを吸うとオオカミ様の顔にふうっと吹きかけた。オオカミ様は嫌そうに煙をはたく素振りをした。

   「まあ、 "ミカ” の一件に関しては問題無さそうね。何かあれば私も手伝ってあげるわ。さ、ネズ、私達もそろそろ帰りましょう。」

   クチナワに寄りかかってウトウトとしていたネズを優しく起こしてあげると、帰り支度をするように伝えた。むにゃむにゃと寝ぼけまなこでネズは身体を重そうに起こした。

   「では、私たちも帰るわ。」

   クチナワは吸い終わったキセルの火皿を床に向けてトントンと灰を落とした。すぐさまキセルを持っていた手と反対の手をクルクルと小さく回すと、床に落ちていく灰が金粉となりクルクルと回す手の人差し指の上につむじ風のようにぐるぐると回っていた。

   「さ、ネズ、帰るわよ。」

   「うん!」

   クチナワは立ち上がるとネズの手を引いて出口である襖へと歩いた。

   「そろそろこのボロ屋も綺麗にしなさい。大神ともあろうものがみすぼらしいわ。」

   クチナワは襖の破れた部分に金粉を操っていた指先を向けた。金粉は襖の破れた部分に吸い付くように風に乗り、そのまま綺麗に破損部分を覆った。

   バイバイと手を振るネズとその姿を愛おしそうに見つめるクチナワを見送ると、オオカミ様は再びその場にぐったりと倒れ込んだ。

   「まったく、相変わらず騒々しいわい。」

   台風が過ぎ去った後のように静けさが戻った社の寝室で、オオカミ様はクチナワが補修した襖を眺める。

   「あやつは相変わらず煌びやかなものが好きじゃのう。あやつの社もきっと昔のままじゃろうな。」

   オオカミ様は、遠い昔に遊びに行ったクチナワの社を思い出しながら呟いた。

   あまりにも疲れていたのか、そのまま再び深い眠りについてしまった。

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