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街風 episode.21 〜RUN TO YOU〜

 ありがとう、ありがとう。

 そう何度も心の中で叫びながら、涙を堪えて必死に駅に向かって走る。足にまとわりつくロングスカートに何度も躓きそうになりながら、息を切らして必死に走った。

 リュウジ君には全部分かっていたんだ。分かっていなかったのは私だけだった。いや、分かっていたはずだったのに、気付いていたはずだったのに、私は必死で自分の心に嘘をついて前を向いて生きているつもりだった。そんな私の心をリュウジ君はずっと知っていたんだ。

 今までのリュウジ君との時間は嘘じゃない。2人で過ごした幸せな気持ちも楽しかった時間も、全てが私の心を満たしてくれた。でも、そんなリュウジ君が放った言葉一つだけで、全てが終わりを迎えた。リュウジ君はどんな気持ちだったのだろうか。リュウジ君の覚悟を知ったからこそ、私も自分に対してケジメをつける時が来た。

 息を切らして駅に辿り着いた頃には、私の全身は汗でビショビショになっていた。着ていたコートを脱いで、ずっと握っていたハンカチで顔の汗と涙を拭った。リュウジ君のハンカチからはいつもの彼の柔軟剤の香りが微かに香る。鼻に軽く押し当てて、すうっと息を吸い込むと少し気持ちが落ち着いた。

 カバンから財布を取り出して改札を通る。ちょうど来た電車に乗ると、車内は終電間近という事もあって乗客は少なかった。私は空いている席には座らずにドア横の手すりと座席の間の隙間に身体を収めながら、流れていく街の夜景を眺めていた。右から左へと流れていく街の明かりは、私をゆっくりと今から過去へとタイムスリップさせていくようだった。

 私が、今から会いに行くノリと出会ったのは高校1年生の春。入学初日のクラスで私の幼馴染のショウタと、はじめましてのケイタ君の3人の席が近くて、それから一気に仲良くなったのがキッカケだった。ケイタ君の親友の1人にノリはいた。ノリは別のクラスだったけれど、ケイタ君に会いにちょくちょく私達のクラスに顔を出すようになり、私とも少しずつ会話をし始めるようになった。ノリはサッカー部に入部していて、その実力は折り紙付きだったらしい。でも、それ以上に話も面白いし何よりも優しかった。誰とでも分け隔てなく接する上に、イジメとかそういうのは大っ嫌いな正義漢、男女問わず誰からも頼られる人だった。

 そんなノリと私は、ケイタ君を含めた数人で遊んだりご飯に行ったりする事も多かった。ノリは、学校でもプライベートでも面白くて楽しい人だった。私は少しずつノリに惹かれている自分が分かっていた。でも、お互いに部活も忙しかったし、当時は恋愛なんて何も分からなかったので、告白することもなく淡い恋心だけを胸の内に秘めているだけだった。それからの私は、色々な人から告白していただく事もあったけれど、私には付き合うという事にピンと来なかったし、いつもノリの事が頭をよぎってしまい、どうしても相手を好きになる事ができないと思って、いつもその場で丁重にお断りをしていた。真剣な眼差しで私への気持ちを伝えてくれた事は本当に嬉しかったし、何よりもそうやって誰かを真剣に好きになれるのが羨ましかった。

 私とノリは、少しずつ2人だけで遊びに行くようになった。そして、私も少しずつ“誰かを本気で好きになる”という気持ちが分かってきた。でも、ノリは2人でいる時も今まで通りのノリのままだった。その目には私はどう映っているんだろうか、と悶々とした気持ちも膨らんでいた。

 でも、そんな2人の関係が変わった。卒業間近になってノリから告白された。ずっと待っていたノリからの告白に心が躍った。もちろん私は告白を受け取って、そこから正式に付き合い始めた。高校卒業後にプチ同窓会が開かれた時、みんなに付き合った事を報告すると、沢山のお祝いの言葉をもらった。一部の女子からは羨ましがられて嫉妬の目を向けられたけれども、それでも笑顔でお祝いの言葉をくれた。

 私とノリは、それぞれ別の大学に進学してキャンパスライフを楽しんでいた。それでも大学生は高校生と違って自由な時間も多い。私達は2人の時間も大切にしていた。ノリとのデートは決して華やかで煌びやかなものではないけれど、近所を散歩したりカフェで会話をしているだけで、まるで自分が映画の主人公のように幸せなストーリーを描かれている気分だった。

 ノリも私も別々の大学に通っていて、新たな出会いも多かったのだが、今までと変わらず付き合えていたのは、きっとお互いが何も変わっていなかったからだと思う。ノリは、高校の頃から変わらない優しさと包容力で、私が落ち込んでいる時には話を聞いてくれた。私も、大学に入ってから素敵な男性と多く出会い、時には告白もされる事もあったがノリ以上に素敵な人はいなかった。だから、誰に靡くこともなく2人の時間を大切にし続けることができていた。このまま社会人になったら結婚するのだろう、と勝手に想像していた。

 でも、その未来予想図は破れた。ノリは新卒で広告大手会社に入社し、華々しい社会人デビューを飾った。私は、面接時にとても良いなと思った大手文房具メーカーに就職した。社内はいつもまったりした雰囲気で、上司や同僚もみんな穏やかで優しい環境は私にぴったりだった。

 ノリは仕事がどんどん忙しくなってきて、それと反比例するように私達が会う頻度は減っていった。2人で会った時も、ノリの仕事用携帯は常に鳴っており、なるべく携帯に出ないようにしてくれていたけれど、結局、ノリは席を外して取引先の相手と電話する事が多かった。近所のカフェや街中を散歩するだけでも楽しかったデートコースは、ノリお勧めの高級レストランやノリの自慢の車で日帰り温泉など、今までの2人の質素なデートでは考えられないものばかりだった。それが嫌なわけではないしノリも色々とプランを考えてくれていたことが嬉しかったけれど、私は高校や大学生時代の2人でいるだけで楽しかった頃から少しずつ遠ざかっている気がしてならなかった。でも、私はノリにそれを伝える事ができずにいた。

 ノリからの連絡も途切れ途切れになっていた。朝起きて携帯を見ると、深夜に仕事終わりのノリから数日前のメールの返信が来ている事も多々あった。忙しいノリが都合をつけて2人で会った時も、ノリの顔はいつも疲れていたし、私が好きになったノリは、もうそこにはいない気がした。

 そんなある日。私は、ノリに誘われて2人でレストランに行った。1人では絶対に行かないような高級レストランに緊張していた私とは違い、ノリはまるでファミレスに来ているかのように寛いでいた。ああ、もう私達は違う世界に住んでいるんだな。そう感じてしまった私の心は言葉に表せない寂しさで埋め尽くされてしまった。そして、ノリから別れ話を切り出された。

 「別れよう。」

 ノリはたった一言だけ私に言った。

 「分かったわ。」

 私はノリにそう返すとグラスのワインを飲み干した。今までの楽しかった思い出、どうしてこうなってしまう前に何もしなかったのか、色々な気持ちを言葉にせずにワインと共にぐっと飲み込んだ。このままだと涙が溢れそうだと思い、私は1人立ち上がるとノリを置いてその場を後にしてしまった。

 本当に終わったんだ。1人ベッドに飛び込んで真っ白な天井を見上げたままぼーっとしていた。もうすっかり夜だというのに電気をつける気力も残っておらず、何もない天井に焦点も合わないまま時間だけが過ぎていった。だんだんと別れた実感が湧いてきて、両目からは涙が溢れていった。初めて人を本気で好きになる事がどんなに幸せなことか、そして失うことがどれだけ辛いことか、その相手がノリで本当に良かったと思った。

 私はノリとの別れ話を自分から誰にする事もなく、それからは恋人のいない日々が続いた。その間も素敵な男性とは出会ったが、どうしてもノリの事が忘れられず、結局いつも誰ともお付き合いするまでに至らなかった。

 そんな日々を過ごしていた頃、相変わらず定期的に連絡を取り合っていた幼馴染のショウタから飲み会に誘われた。そういえば、最近は会っていないなあと思い、私は飲み会に行くことに決めた。そこには高校時代から変わらない面々があった。参加していたリュウジ君とは少しだけしか会話した事が無かったけれど、ショウタと同じバスケ部でとても良い人だという評判は知っていた。その場でリュウジ君と連絡先を交換して、その日は久しぶりの旧友たちとのお酒を楽しんだ。

 後日、リュウジ君からデートに誘われた。最初のデートの時は、リュウジ君は口数が少なくて会話が途切れ途切れになってしまったけれど、話し方や所作がとても落ち着いて柔らかくて好印象だった。それからも何回かデートを重ねていく内に、リュウジ君の素敵な部分を沢山見つけた。お互いに趣味や価値観も似ていたので、話題も尽きなくなっていた。今までは、男性からデートに誘われるたびにノリを思い出したし、ショッピングをしている時にショーウインドウに飾られた服を見て、これノリっぽいなあと勝手にノリが着ている姿を想像してしまっていたが、その頃には想像する人はノリではなくてリュウジ君になっていた。

 そして、リュウジ君から告白された。実を言うと、その時も少しだけノリに未練があった。でも、リュウジ君の事も好きになっていたし、そろそろ私も未来の幸せに向かって歩き出そうと思っていたので、二つ返事でOKした。リュウジ君との2人の時間はとても楽しかった。お互いに良さそうなお店を見つけたら報告し合って、次のデートに2人で行ったり、記念日や誕生日に少し奮発してちょっとお高いレストランでお祝いしたり、2人の日々は私の日常に彩りを与えてくれた。

 時折、私はノリとの過去を思い出してしまう事もあったけれど、それはすぐに一瞬で消えてリュウジ君との今の幸せを噛み締める事ができていた。結婚についても話し合うようになってきて、私はやっと今と未来に向かってリュウジ君と二人三脚で歩いて行けるんだと確信した。

 ある日、リュウジ君に呼び出されて2人でディナーを過ごしていると、リュウジ君から小さな箱を差し出された。そこにはキラキラと輝く婚約指輪があった。本当に嬉しくて私は今にも飛び跳ねたいくらいだった。リュウジ君は、照れ臭そうに指輪を差し出して私に渡してきた。私は指輪を受け取って大切に握り締めた。そして、少しサイズが合わなかったので、嵌めようとして嵌まらなかった指輪を2人で眺めて大笑いした。

 婚約指輪は近所のお店でチェーンを買ってペンダントとして常に身につけていた。デートの時も1人の時も肌身離さず付けていたその自分の姿は、私の好きな『ピーナッツ』に出てくるライナスと毛布のようだった。スヌーピーに毛布を取られるライナスのように、この婚約指輪を奪う人がいないのは幸いなことだ。

 リュウジ君とデートの予定があった日、いつも通り待ち合わせの20分くらい前から約束の場所でリュウジ君を待っていると、そこに偶然ケイタ君が通りがかった。こうしてケイタ君と会うのはリュウジ君と出会った飲み会以来だった。お互い久しぶりに偶然会ったので、立ち話ながらも話は盛り上がった。そして、高校時代の思い出話からみんなの近況について色々と話を聞いた。

 「そういえば、ノリはお店をやってるよ。」

 ケイタ君は他の人と変わらない口調で何気無くノリについて言ってきた。私はノリと別れてからあまりノリの話題を出さないようにしていた。ノリと別れた直後は、思い出して辛くならないように、という理由で自分から話題に出さないようにしていたのだが、ノリとの時間を思い出として区切れた今でも何故か自分から話題に出すことはなかった。

 でも、ノリという単語に私の心は一瞬動揺してしまった。ケイタ君に気づかれなように何事も無かったかのように話を聞いていた。ケイタ君にお店に顔出してみてと言われたが、最初はその提案を頑なに拒んだ。理由は自分でも分からなかった。でも、結婚祝いも兼ねて行ってみてと言われたので、私は後日行くことを約束した。ケイタ君はお店の名刺を財布を取り出して、私にプレゼントしてくれた。その後も少し立ち話を続けて、予定のあったケイタ君と別れた。私はリュウジ君を再び待ち続けていると、待ち合わせの時間ぴったりにリュウジ君がやってきた。いつもは私と同じように待ち合わせ時間のかなり前から来るのに、その日だけは何故か時間通りだったので今でも覚えている。そのおかげで偶然ケイタ君にも会えたので、運命というのは面白いものだと思った。リュウジ君に会って、つい先程まで偶然ケイタ君に会ったことや聞いた話をリュウジ君にも話しながら、その日のデートへと向かった。

 デートから帰宅後、風呂に入って寝る準備を済ませた私はベッドに大の字で寝転がった。近くに置いたカバンから財布を取り出してケイタ君に渡されたノリのお店の名刺を眺めた。お店の場所は通っていた高校のある駅から少し歩いたところにあるらしい。そういえば、ノリやケイタ君はあそこが地元だったんだ。私は名刺を眺めながら高校時代を懐かしんでいた。

 数日後、私はお店の住所を地図アプリで調べながらノリのお店へ向かった。今更どんな話をすればいいのだろうか、お店へ近づけば近づくほど段々と不安な気持ちになってきた。リュウジ君という素敵な婚約者もいる私が別れた彼氏とどういう会話をすればいいのだろうか、色々と会話をシミュレーションするが、どれもその先の会話の展開が想像できない。角を曲がってお店らしき場所を見つけると、そこには既に行列ができていた。さすがノリのお店ね、そう思いながらお店の入り口のドアに着いた。店内はお客さんで賑わっており、店員は忙しそうに仕事をしていた。大学生くらいの年齢の男の子はテキパキと動き回っている、そして、その奥からもう1人の店員が料理を持って出てきた。

 ノリだ。昔と殆ど変わっていないその姿を見て、懐かしさと同時につい昨日も会ったような感覚を覚えた。これは暫くはお店に入れそうにないな、と思いどこかで時間を潰そうと思った。料理を置いたノリがふとこちらを向いた。また後で来ようと身体の向きを変えようとした私と一瞬だけ目が合った気がした。二度見するのも恥ずかしいし、あちらも忙しそうだったので私はそのまま振り返る事なく一旦お店から離れた。

 そういえば、ダイスケ君は駅前でお花屋さんを継いでいるんだっけ。あと、カナエちゃんもこの街に。私は駅前まで戻ってダイスケ君に会いに行くことにした。ダイスケ君もケイタ君の親友で、高校時代からの知り合いだ。でも、カナエちゃんを失って以来、雰囲気はすっかり変わってしまったらしい。ちょうど空き時間もできた事だし、カナエちゃんにも挨拶に行きたいから、ダイスケ君のお店でお花を買ってからカナエちゃんのところに行こう。そう決めた私は久しぶりのこの街の雰囲気を味わいながら歩いていた。

 「いらっしゃいませー。」

 ダイスケ君のお店に入ると、とても綺麗な店員さんが出迎えてくれた。こんにちは、と返して店内を見回った。どうやらダイスケ君は店内にいないみたいだった。少し残念ではあったけれど、私は店内に並べられた花を見て楽しんだ。

 「何かお探しですか。」

 優しく微笑みながら声を掛けられた。人の良さが声や言葉から伝わってくる。

 「ええ、実は、お墓参り用のお花を買いに来たんですけど、どれにすればいいか迷っちゃって…。」

 店内に一対一セットで仏花が売られているのを見たにも関わらず、つい口から出た言葉はそれだった。

 「なるほど。それなら…、ちなみにその方はどんな方でしたか。」

 「明るくて優しかったです。私はそこまで深い付き合いではなかったんですけど、時々2人で話しもしたりしていつも楽しかった思い出があります。」

 私とカナエちゃんは大の親友というわけではなかった。ノリ、ケイタ君、ダイスケ君、カナエちゃん、この4人は幼馴染で本当に仲が良くて、私も一緒に遊んだりして4人と仲良くなった。カナエちゃんとも2人で話したりすることはあったけれど、私とカナエちゃんの部活の予定が上手く合わず、2人で遊ぶ機会は多くはなかった。それでも定期的に連絡は取り合う仲だった。

 「わかりました。」

 店員さんまたニコリと笑うと、仏花の一対を手に取った。そして、近くにあった花を適当に見繕って色々な花を合わせては交換してを繰り返した。

 「こういうのは如何でしょうか。」

 店員さんはそう言いながら私の方に花束を見せた。先程よりも華やかさは増しつつもどこか落ち着いてもいる。カナエちゃんが生きていたならきっと喜ぶであろうその組み合わせは私も気に入った。私は、茎の部分を少しカットしてもらって購入することにした。包装紙で包む所作も美しく、私はついつい見惚れてしまった。

 「ありがとうございました。」

 お会計を済まして店員さんが見送ってくれた。きっとカナエちゃんもこれを見たら喜んでくれるだろう。

 「こちらこそ、ありがとうございました。そういえば、ここに男の人は働いていませんか。」

 「ダイスケさんの事ですかね。ダイスケさんは野暮用があるって言って今は不在です。何か用事があるようでしたら、私が伺いましょうか。」

 「ううん、大した事ではないので大丈夫です。ありがとうございます。今度はダイスケさんがいらっしゃる時に訪ねますね。」

 私は軽く一礼をしてお店を後にした。通っていた高校の通学路を歩き始めると少しずつ昔を思い出した。真夏の部活帰りにアイスを食べ歩きしたり、真冬で寒さに凍えながら登校しても坂を登り切った頃には軽く汗をかいていたり、何気ない高校時代の思い出が蘇る。

 カナエちゃんが眠っている場所は、そんな高校時代の通学路の途中にあるお寺だ。お寺に着いて境内に入ると1匹の猫がごろんと寝転がっている。気持ち良さそうに寝ていたので、起こさないように静かに歩こうとすると、その猫はゆっくりと目を開けて寝ぼけ眼でこちらをゆっくりと見てきた。そして、すくっと起きると欠伸をしながら大きく伸びをした。伸びを終えると真っ直ぐにこちらを向いて歩み寄ってきた。私がしゃがみ込むと脛に軽く頭突きをした後に両足にごろりと寝転がってきた。人懐っこいその猫にすっかり心を奪われた私は、両手で全身を激しく撫で回した。じゃれあっていると思ったのか、猫は私の右手を小さな前脚で抱え込むと甘え噛みをしてきた。私が撫で続けると今度はゴロゴロと喉を鳴らし始めた。暫く撫で続けてあげると、猫は飽きたのかすっと立ち上がって最初にいた場所へとすたすたと戻っていってしまった。その場所でまた寝転がった猫を見てから、私も立ち上がってカナエちゃんの眠る場所へと向かった。

 「久しぶりね。」

 軽く掃除をしてお花を添え終わった私はカナエちゃんに声を掛けた。自分と同じ年の人が亡くなるというのは何とも言えない。どんどん年を取るごとにこういうのは増えていくのだが、カナエちゃんの死はあまりにも早すぎた。そして、その突然の死を受け止めきれずに、今でもダイスケ君は囚われたままらしい。

 カナエちゃんのお墓は毎日誰かが来ているのだろうか、周りのお墓と比べてもとても綺麗に手入れされていた。

 私はカナエちゃんとの思い出を反芻しながらゆっくりと手を合わせた。その時に私の頬を掠めて過ぎ去った風は冷たく、冬の訪れを知らせているかのようだった。私はカナエちゃんのお墓を後にして、再びノリのお店へ行くことにした。

 お昼時もすっかり過ぎ、ノリのお店には行列もなかった。それもそのはずでランチタイムは終了していたらしく、最初に来た時に立てかけられていた美味しそうなランチの看板はそこに無くなっていた。仕方ないか、そう思って扉を開けてお店に入った。

 「ランチタイムはさっき終わってしまいました。」

 懐かしい声だった。目が合った瞬間にノリの目は丸くなった気がした。私は案内されるがままにカウンターに座った。

 久しぶりに会ったノリは高校時代のノリと全く同じだった。大学生のアルバイト店員、ケンジ君とも一緒になって昔話で盛り上がった。

 「今でも好きよ。」

 自分の言葉に驚いた。話の流れでノリへの気持ちを聞かれた私は、当たり前かのようにそう答えていた。ノリの事が好き、そんな気持ちは別れたあの日から暫くしてようやく断ち切ったはずだった。私は自分で自分の言った言葉を信じられなかった。

 そして、まさかノリも私の事を好きでいてくれたなんて。でも、もう全てが遅い。私は、リュウジ君とすでに未来に向かって進んでいる。もしも、あの時、別れを切り出された時に私が受け入れなかったら、きっとこうなっていなかったんだ。過去の分岐点を振り返った私の心は揺れた。どうしてもっと早く迎えに来なかったの、つい言葉が溢れた。私はリュウジ君との幸せを掴んだ、そして、この掴んだ幸せをこのまま大切にしていくつもりだ。ノリからの言葉はとても嬉しかったけれど、私は思い出として一区切りをつけようとした。

 これ以上ここに居続けると一区切りした気持ちが揺れそうな不安を覚えた私は、結婚の報告も済ませるとお会計をお願いした。心が揺れるということは未だにノリを忘れられない自分がいるということだ。それは、今のリュウジ君との幸せを享受している自分とリュウジ君への裏切りにも思えた。だから、私は一刻も早く立ち去ろうとした。私の結婚相手がリュウジ君だとノリは知らなかったらしく、私は結婚式の招待状を届けるまで黙っていようと決めた。

 その日から、事あるごとにノリを思い出してしまう。昔と変わらない話し方と照れた時の笑い方、そして昔と変わらない私の気持ち。でも、もうそれは過去のことだと割り切ってチェーンに通された婚約指輪をぎゅっと握り締める。

 その出来事から数日後にいつも通りリュウジ君と2人でデートした。いつも通り近況報告をした時に、ノリのお店へ行ったことも報告した。昔と相変わらずのノリだった事やどんな話をしたかを伝えたが、ノリから告白された事だけは黙っていた。リュウジ君は私を優しく見つめてうんうんと静かに頷きながら話を聞くだけだった。そんなリュウジ君の姿を見て、私は改めて今後共に未来を歩んでいく相手がリュウジ君で良かったと安心した。

 そして、今日。いつも通りのデートをして、いつも通りの会話をして、いつも通りの幸せな時間を過ごして、今日も楽しく終わるはずだったのに。

 電車に揺られ続けながら、私はつい先程までの出来事を振り返り終わった。そして、再び自分の心と向き合った。私は、ノリが好きなんだ。

 目的の駅に着き、改札を出た。再び私は走り始めた。

 「ありがとう、リュウジ君。」

 「ごめんね、リュウジ君。」

 「私、やっと分かったよ。私はノリの事が今でも好き、未だに好き。リュウジ君の事が好きだったのも嘘じゃない。どれも全部本当だったよ。」

 私は走りながら小さくそう呟いていた。そして、どんどんと自分の中でノリへの気持ちが膨らんでいくのが分かった。もしも、これで振られてもいい。私は自分の気持ちに正直になるんだ。リュウジ君のおかげで自分の気持ちに素直になれた。だから、どんな結果であれ全力でぶつかっていこう。そう心に決めた。

 「待ってて、ノリ。」

 もうお店の閉店時間は過ぎている。片付けがまだ終わっていないことを願って私は必死に走り続けた。視界から過ぎ去っていく街灯や街中の灯りは、まるでSF映画のワープする時の光の様だった。これは、別れたあの日から今へのワープだ。私はそう思いながら必死に走り続けた。

 あの曲がり角を曲がってお店を見つけた。まだお店には明かりが付いており、あのアルバイトのケンジ君の姿も見えた。ケンジ君はこちらを見ると抱えていた看板を店内にしまい込みに戻ってしまった。ああ、私に気づいたかな。まだ間に合いますように。

 私はお店の前に着くと、勢いのままに扉を開けた。ノリは手に持っていた料理をカウンターに置いたところだった。

 「ノリ!」

 私はそう叫ぶと同時にノリに抱きついていた。もう同じ別れはしたくない。そう思ってぎゅっと抱き締めた。

 「いきなりどうしたんだ。」

 ノリは抱きしめられたまま私に尋ねてきた。

 「私、自分の気持ちにやっと気づいたの。私はやっぱりノリが好き。今さっきフラれたの。私の好きな人はノリでしょって言われて。」

 ノリはそれを聞くと私をぎゅっと抱き締めてきた。その手は微かに震えていた。そして、ゆっくりと静かにこう言った。

 「俺もユリエがずっと好きだった。もう同じ過ちは繰り返さない。もう二度とユリエを離さない。だから、俺たちもう一度やり直そう。」

 ノリはさらに強く私を抱き締めた。

 店内にいたケンジ君ともう1人の女の子はポカンとした表情でこちらを見ていた。

 すぐに我に返った2人は慌てて離れた。そして、お互いに照れ笑いをした。

 「とりあえず、席に座って。ゆっくり話をしよう。」

 私はケンジ君たちに気まずくなりながら、乱れた呼吸をゆっくり整えて、席へと座った。

 「今夜はもう少し付き合ってくれよな。」

 ノリはケンジ君たちにニコリと伝えた。

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