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街風 episode.25 〜Who Killed JAZZ?〜

 「この街にこんなお店あったんですね。」

 すでに出来上がっているショウコちゃんの隣で、静かにバーボンを嗜みながらしみじみとしている。彼の名前は、ヨウイチ君。ショウコちゃんに連れられて、初めてうちの店にやってきた。

 「そうでしょー。ここのマスターのユウジさんには、ずーっと昔からお世話になってて、暫くは来ていなかったんだけど、ここ最近はまた通うようになったの。」

 ショウコちゃんは、目を瞑ったままどこをめがけて話しているか分からなかったが、とても自慢げに語った。自分がカズと復縁したから、とは言わずに。

 「ジャズも素敵だ。」

 酩酊状態になりつつあるショウコちゃんを気にも留めず、ヨウイチ君は店内で流していたJAZZに耳を傾けていた。今日は王道中の王道であるマイルス・デイビズをセレクトしていた。

 「ジャズをお聞きになるんですか?」

 俺はヨウイチ君に尋ねた。

 「いえ、でも、亡くなった親友が、よくジャズとかも含めて色々な音楽を聴かせてきたんですよ。」

 「それはそれは。音楽が好きだったんですね。」

 「好きだったし、自分の仕事に直結していたからだと思いますよ。実は、僕はその親友と2人でヒップホップユニットを結成していたんです。彼がDJで勉強の一環として色々なジャンルの音楽を聴き漁っていたんです。」

 「なるほどね。」

 俺とヨウイチ君は、お互いにグラスに残ったお酒を一口飲んだ。ショウコちゃんは、とうとうカウンターに突っ伏してすやすやと眠っている。

 「やれやれ。困った先輩だ。今日も取材で忙しかったからなあ。マスター、ショウコさん暫く起きそうにないので、同じものもう一杯いただけませんか。」

 ヨウイチ君は、そう言いながら自分の上着を熟睡中のショウコちゃんに掛けてあげた。

 「かしこまりました。」

 どうぞ、と再びバーボンを差し出すとヨウイチ君はぐいっと一口飲んでグラスをゆっくりとカウンターに置いた。そして、流れているジャズに耳を傾けながら、何かを思い出したようにこちらを向いた。

 「そういえば、よく亡くなった親友、リュウイチっていうんですけど、そいつが、“ジャズは死んだんじゃない、ジャズは殺されたんだ”って言ってたんですけど、それってどういう意味ですか。」

 なかなか鋭い質問だ。ジャズが好きな自分にとっては耳が痛くなる言葉だった。

 「あと、そいつは、”ヒップホップも同じ道を辿りつつある”と嘆いていたんですけど、マスターはその言葉の意味が分かりますか。」

 そう言うと、ヨウイチ君はまたバーボンを一口飲んだ。

 「なるほどね、確かにジャズは死んだ。そして、死んだというよりかは殺されたという表現を使う人もいる。これはあくまでも自論にすぎないんだけど...」

 俺はそう言いながら、姿勢を正してこちらを見てくるヨウイチ君に語りかけるように話を始めた。

 “ジャズは死んだ。”

 1970年代に当時のジャズの評論家たちはそう言っていた。60年代にフリージャズが台頭してきてから、所謂、制約というものがゼロに等しい状態になった。そして、70年代にはジャズの巨匠であるマイルス・デイビズがロックへと路線変更をしつつあった。きっとこれは、フリージャズに嫌気が差してしまったのだろうか。

 だから、俺も今この店内で流している70年代以前の曲しか聴かない。“フリー”という言葉は、一見すると素晴らしい試みかもしれないけれど、それは今まで築き上げたものを一瞬で崩壊させる諸刃の剣でもある。

 ヒップホップについては、にわか程度の知識しかないから申し訳ないが、例えば、韻を全く踏まないラップ、曲と曲を碌につなげないDJ、即興で音に乗せて踊れないブレイクダンス、それらをヒップホップと呼んでいいものなのか。

 ジャズも同じだった。様々な制約の中にアレンジを利かせて即興で作り上げていくというのが、ジャズの面白さであり奥深さだった。それが、自由という二文字のせいで一気に制約が無くなった。そうなると、無秩序の世界となってしまう。無秩序の世界になるとどうなるか。それは、今までは他のジャンルと共にお互いの制約で隔てられていた壁が、ジャズの世界の壁だけ無くなり、そのジャンルを確立する確固たる指標だったり水準というものが無くなってしまうことにつながった。

 だから、マイルス・デイビズがロック界へシフトチェンジしたのも当然のことだと言える。なぜなら、自分のいたジャズという世界にはすでに壁は無かったのだから。

 そして、その後もこの流れから復活を遂げることなく80年代90年代にかけて徐々にジャズという音楽は衰退をしていく。映画「LA・LA・LAND」でもライアン・ゴズリングが演じた売れないジャズミュージシャンのセブことセバスチャンが、「ジャズは死んだ。」といった台詞を放っていた。

 そう、ジャズは70年代から今日に至るまで、ずっと「死んだ。」と評されてきたのだ。そこには、フリージャズだけでなく、電子機器の進化や時代の流れで、小さなクラブハウスで演奏するようなジャズのスタイルのミスマッチ等も考えられる。

 でも、一番の問題はリスナーだと思っている。フリージャズという流れから復活を遂げようとしている際、ジャズが好きな人が大きな弊害になっていたかもしれないと思っている。

 それは、どういうことか。フリージャズというものに迎合できなかったリスナー達は、ジャズとは本来はこうあるべき、という保守的な考えにこだわりが強くなっていたのではないだろうか。だから、フリージャズから入ってきた新規のリスナーとも迎合することなく、70年代までの中で生き続けることを選んだ。そして、彼らは勝手にそこでジャズの時代を終わらせることにした。

 新規の人たちがジャズの世界に入ろうとして色々と尋ねようとしても、そんな事も知らないのか、というような態度で、現代でいうところの「マウントを取る」という行為をし続けた結果、他ジャンルを聴く人が増え続けていく一方で、ジャズのリスナーが減ってきていると感じる。ここに来るお客さんの中でもジャズといったら70年代までとキッパリ言う人もいる。別にそれが悪いことだとは一概には言えない。それほどまでに素晴らしいジャズ音楽が70年代までに数多く生まれているからだ。もちろん、分け隔てなくどの時代のジャズを愛する人もいるし、そういう人も多い。

 でも、自分も含めて60年代の古き良きジャズを愛している人は一定数いる。そして、ジャズに限らず音楽というものは奥が深い。だからこそ、聴く側も拘りを持っている人がいてもおかしいことはない。

 ただ、ジャズはそこに問題が生じた。フリージャズの反動で拘りが強すぎてしまった。その結果、リスナーの手でジャズは終わりを迎えてしまった、と思っている。だから、「ジャズは死んだ。」というのも正しいし、「ジャズは殺された。」というのも正しいと思っている。

 というよりも、「ジャズは死んだ。」と言ったその瞬間にも「ジャズは殺され続けている」という表現の方が正しい気がする。死んだ、と言う人がいる限りは、ジャズは今日もその人達によって殺され続けるのだろう。

 「熱くなってしまいましたね。」

 ハッと我に返った俺は、ヨウイチ君の方を向いて謝った。

 「いえいえ、とても勉強になるお話でした。今のジャズの話は、僕の好きなヒップホップでも、他の話でも通ずるものがありますよ。」

 ヨウイチ君はポケットからタバコを取り出して、ライターを右手に持つとタバコに火をつけた。そして、ふうっと息と共に煙を吐き出すと、今度は、ヨウイチ君が静かに語りだした。俺は、渇いた喉を潤すために自分のグラスに入っていたお酒を一口飲んだ。

 日本のヒップホップが黎明期だった90年代、ヨウイチ君たちは親友と2人でこの街からヒップホップを始めた。その頃は、ラッパーやDJ、ダンサーだけでなくリスナーであるヘッズ達も、みんなが無我夢中でヒップホップを盛り上げていたらしい。日比谷音楽堂で行われた「さんピンキャンプ」等の当時のライブ映像はその熱をしっかりと記録しているとの事だ。

 ただ、親友が亡くなり、ヨウイチ君がヒップホップの表舞台から去ってからは、V6が出演していたテレビ番組の“学校へ行こう”の人気コーナーであった“Bラップハイスクール”をはじめ、多くの番組で間違ったヒップホップ像が広まることとなった。そして、それを快く思わなかったヘッズ達は日本のヒップホップの中で差別化を図る事となる。その中で、メジャーレーベルやメディア露出が高いオーバーグラウンドで活躍するアーティスト達と、インディーズや地元で活動を続けるアンダーグラウンドで活躍するアーティスト達の、大きな2つの区分をするようになった。

 そして、今では古参のヘッズ達が最近の日本のヒップホップをあまり聴かずに、90年代が最高であり今のシーンはダメだ、と言う人も一定数いるらしい。

 たしかに、ここまではジャズと同じだ。亡くなった親友のリュウイチ君が生前にヨウイチ君に言っていた「ヒップホップも同じ道を辿りつつある」という言葉の意味が腑に落ちた。結局、聴衆によって音楽は生かされているのかもしれない。どんなに自分が素晴らしい演奏家だとしても、聞いてくれる人がいなければ、それは受け継がれることがない。

 「でも、ジャズとヒップホップは大きな違いがあるんです。それがジャズとヒップホップの明暗を分けたのかもしれません。」

 ヨウイチ君は、タバコを吸うとゆっくりと煙を吐き出した。そして、グラスに残ったバーボンを全て飲み干すと、再び同じものを頼んだ。

 灰皿の交換と共にバーボンを差し出すと、またヨウイチ君はタバコを取り出して一服した。

 「ジャズとヒップホップの違いは、なんですか。」

 「それは、“サンプリング”だとリュウイチは言っていました。」

 「サンプリングか...。」

 「ええ...。」

 俺は、再びヨウイチ君の話に耳を傾けた。

 サンプリング、それはヒップホップ文化の象徴の一つとも言える。既存の素晴らしい音楽達をリメイクして新しい楽曲を作る。楽譜が読めなくても、楽器ができなくても、少しの知識があれば誰でも曲を作ることができる。それがヒップホップの良さだと語る人もいる。実に、ヒップホップの9割がサンプリングで作られた曲らしい。

 そのサンプリングによって、ヒップホップはジャズの70年代の壁と大きな違いを生んでいるらしい。

 ヨウイチ君曰く、ヒップホップにサンプリングされた音楽は多岐に渡っており、ジャズ、R&B、カントリー、テクノ、などの他ジャンルだけでなくゲームや民族音楽など、良いと思ったメロディーだけを引っ張ってきて、そこに新たな命を吹き込んでいるらしい。

 そして、最近では80年代や90年代のヒップホップの曲をサンプリングして、新たに曲を作っているムーブメントも起こっているらしい。

 なるほど、と思った。ジャズは70年代の世界に囚われ続けていたけれど、ヒップホップは違う。かっこいい、と思ったものは、全て吸収し、自分たちなりにアレンジして、さらにかっこいい音楽を作り続ける。そして、リスナーもそのかっこいい曲を聞いて、サンプリング元の音楽を調べてみたりする。そこから、今まで知らなかった他ジャンルや昔の曲に触れて、その元の曲も好きになったりする場合もあるらしい。

 親友のリュウイチ君も、死ぬ間際には自分が持っていたレコードのコレクションを後輩達に快く譲っていたとの事。そして、それを手放す時はコレクターではなく後輩のDJ達に譲るように強く言い聞かせていたらしい。なるほど、自分の世界で終わらせるのではなく、きちんと多くの人に受け継いでいけるようにしているのだな、と会ったこともないリュウイチ君に感心してしまった。

 それと同時に、このお店を続けていく限りは、店内にあるレコードをきちんと流そうとも決意した。この素晴らしいジャズの音楽を少しでも多くの人に知ってもらいたい気持ちは今でも強い。

 「そういえば、よく“昔は良かった。”っていう人がいるけれど、あれは昔が良かったんじゃなくて今についていけないだけかもしれないね。」

 「どういう事ですか。」

 ヨウイチ君は首を傾げた。

 「なんかさ、10代とか青春に口ずさんでいた曲ってこの歳になっても未だに好きだし、ふと口ずさんでいる時があるんだよね。」

 「あー、たしかにそうですね。」

 「でさ、俺とかはもうおじさんだから最近の曲を聞いても良さが分からないんだよ。分かるかもしれないけれど、10代とか20代の子の方が俺よりももっと良さを分かっているはずなんだよね。でも、そんな事を知らずに俺らは“昔の方が良かった”とかって言いたくなっちゃうんだよなあ。きっと、それがジャズを廃れさせたのかもなあ。」

 今の10代や20代にとっては、今の流行りの曲が自分たちにとっての青春ソングになって永遠に口ずさむことになる。自分たちが同じ道を辿ってきたのと同じように。

 それを知らずに、“あの頃は〜”と昔の方が良かったと懐かしむのは、自分が時代についていけない言い訳にしかならない。きっと、当時のジャズもそうだったのだろうか。新しい時代についていけない人たちが、それを自覚したくないが故に、勝手に枠を作り出して、自分たちとジャズを守ろうとしただけなのかもしれない。そして、その守ろうとしていたジャズは幻想に過ぎなかった。もしかしたら、もっと良いジャズが生まれたかもしれないのに、その可能性を潰したのは自分たちだったのかもしれない。そんな事を思い始めていた。

「まあ、良いものは時代を越えますけどね。逆に音楽と違って、カクテルなんてずっとレシピは変わらないですもんね。」

 そう言って、ヨウイチ君はカウンターの後ろの棚に並べられたリキュールを眺めた。

 「たしかに、そうだね。」

 「ということで、マティーニをください。」

 ヨウイチ君は、空になったグラスを差し出してニコリといたずらな目つきで注文をした。この話をした上で、マティーニを注文するヨウイチ君の事を少しだけ好きになった。

 「でも、こうして店内にジャズが流れている限りは、ジャズは生き続けているんですかね。」

 「そうだね。でも、それが今のジャズが生き続けている証左とは言えないのが難しいところだ。」

 きっと、これからも“ジャズは死んだ”と言う人がいる限り、やっぱりジャズは殺され続けるのだ。

 次は、どんなジャズを流そうかな。


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