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~ある女の子の被爆体験記31/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。 “アインシュタインの後悔”

 アインシュタインは、彼の政治的な姿勢が秘密厳守を難しくすることを理由に、当初からマンハッタン計画には参加していなかった。原爆が投下された10年後、1955年にアインシュタインは亡くなった。生化学者ライナス・ボーリングは、アインシュタインが晩年に語った、彼の後悔についての言葉を追悼会で明らかにした。
「私はひとつ大きな間違いを犯した。 ルーズベルト大統領に原子爆弾を作ることを勧める手紙に署名したことだ」
 アインシュタインはシラードに協力を求められ、核兵器開発の進言を大統領に宛てて手紙を送った。彼らユダヤ人科学者たちは、どんな気持ちを持っていたのだろうか。家族や友人を失わせたドイツにこれ以上勝たせるわけにいかないという気持ち、亡命を受け入れたアメリカに貢献したいという気持ち、そしてウランの核連鎖反応により巨大なエネルギー源が得られるという世界で初めての研究に関われるかもしれないという科学者としての欲求。純粋な科学者としての気持ちが最初の関わりだったとしても、その技術が現実に新型兵器として利用可能だと軍や政府に理解された瞬間、科学者はもはや科学者としてではなく、政府の命令で動く一兵士として働かされていたことに、気づいたのかもしれない。しかし、新型兵器の完成が目前となった時には、新型兵器の使用を止めるいかなる論理的な説得も効果はなく、巨大な新型兵器の威力を手にする独占欲の暴走を、止めることはもはや誰にもできなかった。作る科学者、使う政治家、落とされる市民、この3者はいうまでもなく、それぞれに家族を持つ人間、同じ人間であるというのに。


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