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~ある女の子の被爆体験記16/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。”子供を探して”

(ノブコは、おばあちゃんを探して、8月7日の広島を歩きまわり、その光景を見た)

小学校の校庭で

歩き続けるノブコの息は、ハアハアと荒くなり、一歩一歩が小さい歩幅になっていった。ひどく足が重たかった。
「もう少しで相生橋だ。川を渡れば、もう少しだ。もう少し頑張ろう。後もう少し‥」
そう唱えながら、相生橋のたもとまで目と鼻の先というところに来たとき、ノブコは奇妙な光景に目を奪われた。黒い大きな塊が台の上に積み重なっておいてあり、何組もの男女が、黒い物の一つ一つに手を入れて何かを調べている様子だった。近くに寄ってみると、黒く見えたのは、炭のように焼け焦げた、小さい子供の遺体の山だった。
小学生ぐらいの小さな体が、黒い炭の棒のようになって重なる様をみるのは、いたたまれず、ノブコは目をつぶって手を合わせた。
すると、遺体に手を入れて探し続けている女の人が話しかけてきたので、ノブコはしかたなく、目を開いた。

炭化した姿


「うちの子供はね、ここの場所でね、学徒動員で働いていたんよ。だからね、ここの中に絶対おるんやから、こうして探してるんよ。うちの子はね、虫歯をよう作ってさ、奥の歯を歯医者さんで治療したんよ。じゃけん、こうして口の中こじ開けてさ、うちの子の歯の治療した痕を探しているんよ」
積み重ねられた子供の遺体は炭になるまで焼かれ、人間とも言いがたい、黒い塊と化していた。子供を捜す父と母らは、硬い炭の塊となった頭の部分から口を探して、こじ開けるように指を突っ込んでは、我が子の歯ではないかと探しているのだった。そういう父母が何人も、同じように我が子を探し続けていた。
ノブコは、もう一度、子供達の亡がらに手を合わせ、相生橋のたもとへと体の向きを変えた。

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