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~ある女の子の被爆体験記19/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録 “救護所2 “

救護を待つ列、配給、罹災証明


赤い十字のマークが書かれたテントの前に並ぶケガ人の列の最後尾に、ノブコは並び、順番を待った。テントの中では、ゴザの上に動けない人々が所狭しと横になっていた。うなっている人や呆然としている人、沢山の患者さんに埋もれるように、白衣の看護婦さんとお医者さんらしい人が見えた。ノブコの順番がやっと回ってきたとき、トシコ姉さんぐらいの年の若い看護師さんがガーゼで足を覆ってくれた。
ノブコがお礼を言うと、看護師のお姉さんは、
「隣のテントで食べ物の配給を配りはじめたようだから、早くならびにお行きなさいよ」
と教えてくれた。
救護テントの出口で待っていてくれた眼鏡の兵隊さんは、ノブコと一緒に乾パンを配る列に並んだ。
「ここには消毒と包帯ぐらいしか無い。床に倒れている人たちには、治療なんて、たいして出来んのよ」
乾パンの缶を受け取ると、ノブコは急にひどい空腹を感じて、お腹を押さえた。
「ノブコちゃん、今度はこっちに並んで。名前を書いていきなさい」
乾パンを食べたい気持ちを抑えて、兵隊さんに勧められるままに別の行列に並ぶと、列の先頭の机の上の帳面に鉛筆で名前と住所を書いた。すると文字の書かれた紙を渡されて、読んでみると
罹災証明書
と書かれていた。よくは分からなかったが、広島の爆弾で災害にあったことの証明書だということだった。
「これは大事にとっておくんだよ」
という兵隊さんの言葉を聞いて、ノブコはその紙をすぐにポケットにしまった。
「さて、ノブコちゃんは、これからどこに向かうんだい?呉にもどるかい?」
ノブコはしばらく黙っていたが、兵隊さんの目を見て答えた。
「やっぱり、どうしても橋の向こうに行きたいと思います。でも‥でも、馬の倒れている、あの橋はどうにも恐ろしくて、渡れそうもない。渡るしか無いとわかってはいるんだけれど‥。だけど、どうしても土橋のおばあちゃんの家にいって、おばあちゃんを探したいんです」
ノブコは、相生橋で見た光景をを思い出すだけで、途方に暮れた。
「なぁ、君だけじゃないよ。あんな相生橋を見たら、誰だって足が震えてしまうよ。いいかい。あの橋と違う橋を通って、わしが向こう岸まで渡るところまで、君と一緒に行ってあげるから。でもそこからは、自分一人で行くんだ。大丈夫か?あとは一人で行けるかい?」
「あ、あの‥助かります」
ノブコはいつものようにはしゃべれなかった。できたのは、深くて長いお辞儀だけだった。

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