大人に答え合わせはいらない
深夜ツイッターを徘徊していて、私の思い出を見つけてしまった。
アベハルカさんが書いていた、聖夜に思い出す人のこと。
じわじわとろとろ、記憶が滲み出てきて、気持ちよくってぐっすり眠った。私はつくづく、思い出を捨てられない女である。
快感そのままアベさんにdmをして、私からの感想文(恐縮)というかたちで書かせていただきました。アベさんありがとうございます。こういうリレーのような、交換日記のようなnoteの使い方アリすぎなので、ぐる募集。
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今年も、くるだろうか。
おめでとうって言って、ありがとうって言われる義務みたいなものを、もうしばらく、繰り返している。
まだ14歳のとき、私は彼が好きだった。はじめてのおめでとう、は、私から言った。ストーブに一番近い席で、お互い顔を真っ赤にして。ありがとう、と、セーターの袖をぎゅうぎゅうひっぱって、彼は言った。翌月にくる私の誕生日、今度は私が、ありがとう、と言ってセーターの袖をぎゅうぎゅうひっぱった。私たちは途方に暮れて、下駄箱にしずかに突っ立って、床ばかりみていた。
思春期の私たちは恋人になれず、大人になった。答え合わせのしかたは、大人になってもわからなかった。好き、好き、元気かな、好きだったな。おめでとうより言いたいことは、電波に乗って響いている。寒くなって、息が白くなって、だれかの手のぬくもりを感じるころにぼんやり灯る記憶。思い出す義務。
大人になっても待っている。
おめでとうをじりじりと待って、下駄箱まできてしまった私。答えを隠したまま26歳になる私。消滅した答えを眩しく思うのは、大人になった私たちだ。
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