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世の中からお金を無くすという思考実験について考えてみた

ツイッターをみていたらこの記事が紹介されていたので読んだのだが、ぼくがこの数年来ずっと考えていることの背面にあることだなあと思って、大変面白かったので書く。

『「世の中からお金をなくす」ことで世界は平和になる』(前澤友作)
https://note.com/ysk2020/n/n928e4d3b3e1d

『「世の中からお金をなくす」に対する質問に答えました。』(前澤友作)
https://note.com/ysk2020/n/n9c47c1e88c9a

1.

お金にはモノやコトを平準化して、その価値を移動させることが可能という機能がある。かさばるモノや単位として認識しづらいコト(サービスや役務など)を数値化して、コンパクトなトークンにまとめることによって人間社会におけるトレードは劇的に促進された。
これによってモノもコトも手の届くコミュニティーをはるかに超えて広範囲で流通することが可能になった。

ところが、そのためにお金自体に価値を見出す人もまた多くなった。トレードの仕組みをハックして、モノやコトに基づかずにお金を直接手に入れることに特化した人々が登場した。
モノもコトも提供せずに獲得して得たお金でも仕組み的には当然使うことが可能なので、現代社会ではそれがあたかもスマートなことであるように認識されているふしすらある。

しかし、おなかが減ったときに目の前にお金があったとしてもそれを食べておなかを満たすことはできないし、車が砂漠のど真ん中でガス欠になってしまったらいくらお金があっても車は二度と走らない。
荒野に身一つで投げ出されたときにお金だけがたくさんあってもせいぜいお札を燃やして暖をとるくらいしかできない。お金自体は家にも服にもならない。

すなわち、お金そのものにはなにも価値はない。モノやコトと交換できるから価値がある。モノやコトに基づかずにお金のみを集めるというやり方はしたがって「虚業」と呼ばれる。

ここで前澤氏の記事に戻ろう。お金が無くなったとしたらという仮定で彼が思考実験を行っているのはモノやコトに基づかない「富」をすべてなくした場合人間社会はどうなるだろうかというものだと自分は捉えた。
お金の機能の一つであるモノやコトを予約する機能をキャンセルした場合、社会は回り得るだろうか?彼が仮定したように人間の善意・・・というか自分たちが社会を形成できることが人間を人間足らしめている(だからツヨイ)ことを人の大部分が理解しているならこれはイエスだろう。

2.

ところで、ぼくが数年来考えていることとはこの部分ではない。ぼくはもともとバイオマス資源を有機資源に変換して、化石資源という過去の生態系のバイオマスへの依存から脱却する道を探る(ための要素技術の確立)といった研究をメインの仕事にしてきた。
しかし、その中で例えば森林の年間に成長する分のバイオマスを利用することでカーボンニュートラルを達成するといったときに、実際それで何人の社会を回していけるのかという疑問にぶつかった。これはなかなか厄介な問題で、研究者の数だけ試算があるような分野だし、変換技術も山のようにある(しかも未完成)ので、生命圏を適当な社会単位に切り分けて、その中で資源を循環させたときに何が起きるのかということを数値シミュレーション+データ同化で具体的にシナリオ分析してみようということを考えている。
テクニカルなことについては遅々として進んでいないのだが(進めろよ!>おれ)、いろいろ考えているうちに思うようになったのは、完全に資源を自給できる社会単位は非常に強いという当たり前と言えば当たり前のことだった。
コミュニティーの中で必要なものをコミュニティーの中で支弁できるなら、その循環にお金を介在させることがあったとしても、お金もろとも系は閉じているので、全体の資源量(お金も含む)は増えも減りもせず安定するはずだ。
それはおそらくやさしいディストピアの形をとって立ち現れるだろう。そこでは右肩上がりの成長は系を壊す悪となり、過剰消費は不可思議なものとしてとらえられるようになるだろう。前澤氏が記事中で想定したような社会ではないか、それはまるで。

3.

左様、前澤氏の思考実験を現実にするために必要な条件は単純で、必要なものが必要なだけ十分に供給されるということだ。地球の資源量と太陽からのエネルギーのインプットは限られているため、おそらくそれが地球上における人類社会の成長の限界を規定するだろう。
人間はいつか成長を止めなくてはならない。少なくとも基盤である資源量を超えたコミュニティーは持続的に存在できない。逆に言えばうまく資源量とコミュニティーサイズを調整されたシステムは非常に安定して存在し続けることができるだろう。

4.

ぼくは現在 #MZDAO という前澤氏が主宰するコミュニティーに入っている。このコミュニティーで彼が目指すことは以下の動画や記事で触れられているが、上の議論に基づいてみるといささか不思議な感じがする。

https://r25.jp/article/1131575748263668845

https://www.mzdao.jp/articles/44.html

「会社を一部の資本家から自分たちの手に取り戻す」というコンセプトはその中に「資本家」による「得」も取り戻すという意味が内包されているように読めるのだが、この資本家というのは上で述べたトレードの仕組みをハックして、モノやコトに基づかずにお金を直接手に入れることに特化した人々のことだ、
彼はコミュニティーメンバーに資本家のような「儲け」をもたらすようなことを考えているのだろうか?ここまでの考察からはどうもそうではない道も彼の中にはあるようである。

5.

まあ、他人に頼ってばかりではだめなのは確かなので、まとめると、ぼくはもっと数学の勉強をしなくてはならない。あれだ、微分とか。

微分のことは微分でしろ

とっぴんぱらりのぷう


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