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#25【勉】なぜ勉強するのか?に対する個人的見解

とあるタイ人男性の英語能力について話をする機会がありました。
僕もあんまり出来ないなあと思っていたら、
そもそもアルファベットが読めないんだとか。
「note」も読めない。絶句しました。
教育って大事だなと思いますよね。


サワディーカップ。
久々に聞きました!

「なぜ勉強しなければならないのか」

授業の合間に中3生がふと漏らした、嘆きの言葉。

これ僕も大学時代に考えていて、
僕なりの現時点での納得解があるのでまとめたいと思います。


教育を受けさせる義務

「教育」議論で必ずと言っていいほど持ち上がるのが、憲法のおはなし。
日本国憲法には、
「教育を受ける権利」はあるけど「教育を受ける義務」はない
つまり、
「勉強しなければならない」は、そもそも構文としておかしいということです。

一方、国民三大義務の一つとして「教育を受けさせる義務」があります。
つまり、
「勉強させなければならない」という構文は成り立つのです。

すなわち、子どもたちにも「勉強しなければならない」ではなく、
「勉強させられなければならない」
あるいはもうちょっと大人視点で
「(大人が)勉強させなければならない」
という観点で考えることを出発点にしたいです。

とりあえず便宜的に「教育」と「勉強させること」を同義で使ってます。


教育の目的

では、教育を受けさせる義務はなぜ存在するのか。
以前の記事でも取り上げた、「教育基本法」の最初に書いてある
「教育の目的」を参照しましょう。

教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法

教基法を見ると、教育には大きく
①平和的な国家及び社会の形成者
②個人の価値

の2点を高める役割があることが分かります。

令和の時代で生活していると②のことしか念頭にない立場の人が多いのではないかと思いますが、
実は教育の役割は、今でも①が根強くあるのです。

つまり、平たく言えば、
我々は「国家」のために「勉強させられている」のです。

ナショナリズム=国民国家の考え方

ではなぜ国家のために勉強するのか。
それはほかでもない、他国にナメられないように国力を上げるため
国のために働いてくれる、社会のために働いてくれる人材を増やすためです。
「学歴主義」とか「偏差値主義」とか言われていますが、
そういう競争を意図的に発生させることで結果的に国力を高めることに繋がっているのです。

余談ですが、
従来の社会はこうして「国力を上げる男性」と「それを支える女性」という性役割が明確であり、社会を円滑に動かしていました。
「男女平等」の理念について(特に男性側の僕が何を言っても批判の的になるので)とやかく言うことはありませんが、
無策のまま女性の社会進出を声高に叫んだところで、社会が悪い方向に向かっていくのは明らかです。
国の大きなバランスを崩そうとしているわけですから。


15歳の意見

こんな話をぎゅっとまとめて休憩中の男の子に話しました。
すると、彼が言ったのは
「結局国に転がされているだけじゃん!」
「そんなルールに従うのやだわ~」

でした。

良く気付いた!
結局僕らは国家の犬なのです。
でも言語という極上のエサを与えられ、年金や保険制度も充実していて、
日本という国は結構豪華な犬小屋だと思いますよ。
恩恵を受けている側面も多くあるんです。

そして、僕らが進む選択肢は2つ。
今のまま「ルール」に従う側でいるか、
「ルール」を変える側になるか。

「学校のクラス」という小さな単位から「国」という大きな単位まで
どれも同じことが言えるのですが、
結局はどちらかに進むしかない。

酸いも甘いも受け入れて「ルール」に従う。
これは大勢の人々が今いる立場です。
僕自身は結構この立場で満足しています。
ただ、常に「犬」である認識は忘れないようにしていますが…(笑)

でも、それに満足できないと本気で思うなら
「ルール」を変える側に回る必要がある。


さあ、どうする?
と男の子に聞いたら
「ルールを変えるのはめんどくさいです」
と即答しました。


よし、じゃあ勉強しようね。


これが本質

一番伝えたかったのは、
勉強するのは
「こういう社会のシステムを知るため」だということ。

客観的に事象をとらえ、判断できる能力。

これが勉強する意味だと思っています。

僕も勉強しよう。

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