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#30【助】「助け、助けられる」人に①/2

よくご飯をせびってきた野良犬が12匹の子どもを産みました。
急にご飯をあげたくなりました。

サワディーカップ。
「自立」する人間になるために、僕が大切だと思っていることを、
2回に分けて考えたいと思います。
今回は、かつての僕の失敗談からまとめたいと思います。

僕の考える「自立」とは

最近の教育界のワード「主体的」と並べて使われがちな「自立」
特に中高生を見ていると、「自立」できているかどうかが指標となってその子の価値が語られる。

「自立」というと、
周りに頼らず、自分で自分のことができること
と思われがちだけど、
僕はちょっと違う定義をしている。

僕が思う「自立」とは、
適切な時に適切な人(場所)に頼ることができること

どういうことなのか。

中学サッカー部の時の「失敗」

中学の時、僕はサッカー部のキャプテンだった。
小学校でもキャプテンを任されていて、責任感はかなりあるほうだと自負していた。
同時に、プライドや余計な重荷もあって、とにかく人に頼らないことが素晴らしい人格者なのだと錯覚していた
しかし、「頼らない」ということは、周囲からすれば「頼られない」と思われ、キャプテンにあるべき「信頼関係」が損なわれていくように感じたのだ。
当時のチームメイトはみんな良いやつばっかで、表立って離れていったわけじゃないけど、どこかでモヤモヤを感じながら中学の部活動を終えた。

あれから10年以上が経ち、多くの人とかかわる中で、
「人格者はうまく人に頼っている」
ことをひしひしと感じることが本当に多くあった。

以前のブログでも↓↓

似たようなことを書いている。
自分のキャパ以上のことは、どんどん周りに振り分ける
(あるいはキャパ内だと思っても)
このことが、真の「キャプテンシー」であり、信頼関係を築いていける方法だと僕は思っている。

サッカーにも通ずる「自立」

僕が前職でサッカー部をもっていたとき、
初年度からずっとこんなスローガンを掲げていた。

「助け、助けられる人間に」

サッカーは1人ではできない。
いや、理論上は1人がむちゃくちゃうまくて、一人で攻撃も守備もできるんだったら、ほかの10人は要らない。
けど、これまで僕はそんなチームにかかわったことがない。
それぞれ特徴・特長があって、できること・できないことが当たり前にある前提で行われるのが「サッカー」というスポーツ。

ならば、自分のできることを進めつつ、できないことはできる人に振っていくべきではないか。
シュートが苦手だからディフェンスがんばる、ドリブル苦手だからパスがんばる。
もちろんピッチ外でも一緒。

まとめ

こういうのはマインドの問題だから、マインドチェンジには時間がかかっても、一回理解できてしまえばいろんなものに応用できる。
次回また掘り下げようと思うけど、
「多様性」「多様性」とロボットのように言う前に、
「助ける・助けられる」の関係性を他者と繋ぐことから始めてみたら、
「多様」とか「一様」とかそういう意識さえ薄れていくと思う。

インクルーシブ教育が始まって15年。
そろそろ教育の在り方も口だけじゃなくて方法論で語っていくべきじゃないかな。


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