20200502 No3 西アフリカの現状:残留の心境

先日アップした日記第一号の「検査結果の否認」の症例について進展があった。展開は思わぬ方向に行きつつあるので、経緯を見て、整理したら報告したい。

現在、私はナイジェリアにいる。アフリカ大陸には、邦人も数百人は残っているのだろう。ナイジェリアにも概算で、在留邦人は20-30人程度であろうか。残っているのは大使館関係者(本当に在外邦人の安全確保の努力に、感謝である!!)か、JICAの管理職の方であり、民間企業の方はほとんど帰国されたと聞いた。それに加えて、自分のような国際機関やNGOで勤務する方たちであろう。

決して安全や安心できる環境ではない、それはCOVID19の前からそうであった。現段階では、ロックダウンや感染拡大を経て、著しく治安が悪くなるとか、社会基盤が侵されて日常生活が送れないということはない。イメージを持っていただくため、西アフリカに在するコートジボワールの日本大使館の医務官の先生が書かれた記事が、良かったのでご紹介しておく。 https://medicalnote.jp/nj_articles/200430-001-HO

将来の自分に、今の気持ちを書き残すためにも、何故、今なおもここにいるのか書いておきたい。理由は、大きく3つある:1.Personalな想い、2.Professionalとしての考え、3.Environmentに対する分析。

1.Personalな想い。端的に言うと、自分が選んだ公衆衛生の道から、逃げ出したくなかった。医学部を出て、臨床ではなく公衆衛生の道に進み、この道で何とか独り立ちすることを決意して、国際機関に入り、アフリカまで来た。大袈裟かもしれないが、自分で自分の選んだ道を全うできないのであれば、死んでも同然だと思ってもいた。

2.Professionalとしての考え。国連・国際機関として、人道支援という側面も持って、公衆衛生事業のために、アフリカに赴任してきた。状況が悪くなったから、そこでの仕事を置いて、その場を去っていいものなのだろうか。(極端だが)目の前に患者さんはいるが、何らかの事由で、その場にその方を置いて去るということにも似ている気がした。正直、今のポストは自分以外でも代替は効くであろうが、この仕事に就いた以上、これは信念として守りたい。自分のミッションに対する責務は、程度の大きさに限らず、全うしたい。

3.Environmentに対する分析。1と2にDramaticに記載したが、結局はまだ、安全・安心で任務を遂行できると思ったことがベースにある。その際に3つの視点から検討した:1.日本大使館による視点、2.国連機関による視点、3.自分が現地で持つ視点。1.大使館の基準は、Point of no return(一番やばい時)を判断するのに、使おうと思っていた。すなわち、退避勧告(レベル4)に近づくなら、出国することは決めており、今もそのつもりだ。

2.国連機関の基準は、正直、曖昧だと分かった。過度な危険からは守ってくれるが、あくまでも自己防衛・自己責任である。基本的には業務を続行する(というか、今こそ存在意義を発揮する時なので)方針であったので、それに従った。3.自分の感覚は、直感的でもあり、1年弱をこの国で過ごして感じる空気感からであった。一部ではアジア人種における差別を懸念する声があったが、これを理由に帰国することは毛頭になかった。思春期を米国で過ごした経験から差別への免疫があるということ、人種差別を理由に外国から逃げていては、そもそも国連等が目指す国際協調の理念が成り立たないと感じたことが背景にある。

その上で、残ってから心がけていたのは、情報入手と挨拶である。大使館および国連に加えて、日常的にナイジェリアのニュースを見て、情報入手を心がけている。特に大使館の中に、Informalでも連絡を取れる関係を構築することは大切だと感じた。また、今まで以上に自分が異国人であることが際立つので、自らFriendlyにDiplomaticである姿勢を示すために、挨拶が重要だと思った。ナイジェリア人は電話好きなので、自分が信頼してきた人には、挨拶も兼ねてかけることをしている。信頼の輪によって、差別による恐怖は撤退できると思っている。

以上が、ここに至るまでの心境である。稀であろうが同じような境遇に会う人のためにと、将来また似たような選択がある自分のためにも記した。

雑記:特になし。

筋トレ・食事:YouTubeでCardio Trainingをした。https://youtu.be/ml6cT4AZdqI 



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