The story of a band~#39 困難な船出~
2年が経った。dredkingzにとっての空白。あまりにも長い年月のように感じられた。
「もう活動は無理かもしれない。」
そうした思いが生まれてきても仕方のない時間だった。
それぞれのメンバーは、どのように長い時間を過ごしたのか。
誠司は、バンドには関わらず、ギターを弾いたり、趣味であるスノーボードをしたりしていた。誘われていたバンドもあったが、どうしてもやる気になれず、断ったこともあった。やるのであれば、仁志のボーカルが必要だと思っていた。
今河は、東京に自身のバンドを結成し、時折ライブを行うなどしていた。しかし、dredkingzは解散したわけではないため、もしかしたら復活できるかもしれないと思っていた。
仁志は、海外でも作曲作業を行い、帰国後の自身の活動を見据えていた。海外経験は語学だけでなく、見識を広め、バンドにも生かせると考えていた。しかし、それがdredkingzという確証はなかった。
仁志が帰国した3月。秋田はまだ雪が残っていた。誠司が駅に迎えに来ていた。
「お疲れ。」
「おう、ありがとな。こんな時間に。」
たわいもない2年間の話をするが、お互いdredkingzのことは話さなかった。
地元での日常が始まっても、なかなかdredkingzの話題はなかった。しかし、今河のバンド活動の情報は、フェイスブックで知ることができた。
「今河さん、新しいバンドでがんばってるんだな。よかったな。」
「俺たちも、やっぱバンド始めないとな。」
このとき、誠司も仁志も、今河の様子からdredkingzの再始動はもう訪れないと思っていた。
5月。新しいバンドを結成しようとメンバーを集めた。メンバーは、これまで出会ったバンドのメンバーから募集した。皆、比較的近辺に住んでおり、技術的に高いレベルの持ち主で、誠司と仁志の期待感は高まっていた。
しかし、新しい船出はいとも簡単に崩壊した。練習時間が合わない、練習場所の確保が難しい、何より気持ちが一致しない。
練習場所は、自宅からかなり遠い公民館の音楽室を借りることにした。アンプなどの機材はそろっている。だから、メンバーは楽器だけをもって行けば良い。更に、その部屋を使うためには、使用者の登録が必要である。主に仁志がその仕事を行い、登録後は使用日時の予約ができるようにした。
しかし、なかなか日程が合わない。練習日を設定するだけでも困難を極める。
1回の練習は3時間。やっと出来たかと思うと、次回のスケジュールが合わない。こうして、すでに多くの時間を失っていった。
誠司と仁志は、新バンドが思うように前に進まない状況に焦りさえ感じるようになった。
ダラダラと運行を続ける船は、いつか必ず座礁する。
第一の座礁の兆しが訪れた。家庭の事情やバンドの勢いについて行くことができず、メンバーの一人がバンドを脱退したのである。彼は一度も練習に参加することができなかった。
第二の座礁の兆しが訪れたのは翌年1月のイベントに新バンドで出演した時だった。
1月のイベントは、横手市で行われ、主に県南バンドメインだった。何ヶ月も練習機会が少なかったため、2曲しか演奏できないが、自分たちの力を試す場として出演を決めたのだ。
しかしその日のライブは、ライブ前に顔を真っ赤にして酔っているメンバーを誠司が見かけたことで座礁は決定的になった。
「ライブ前にあんなに酔っ払って、何考えてるんだ。」
ライブの2曲は何とかやりとげたが、誠司には不快感が残る。お客はお金を出して、時間に都合をつけてここに来ている。それなのに、酒を飲み、酔っ払ったような状態でステージにあがるのはバンドマンとしてどうなのだろう。
dredkingzでは、そういうメンバーは誰一人としていなかった。最高のパフォーマンスは、姿勢から作られる。
そうした考え方は、すでに持っていると思っていたが、どうやら違うようだ。長い間、バンドとして継続することは難しいと判断せざるを得なかった。
誠司の気持ちは、仁志もよく理解していた。二人は、打ち上げに参加はせず、用事のために帰宅することを告げた。
メンバーの一人は酒を飲むと気が大きくなり、言わなくても良いことまで言ってしまう。打ち上げに参加しなかった誠司と仁志に対して、飲み屋で文句を言っていたと、後になってからどこからともなく耳に入ってきた。
「仁志のボーカルよりうまいやつなら知ってる。そいつを入れようぜ。」
そのメンバーのために親身に職場の悩みを聞いたり、励ましたりした仁志にとっては、その話が事実であれば信じがたい言葉であった。
これ以降、この新バンドは一時の企画バンドとしての役目を果たし、二度と継続することはなかった。
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