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トラウマと私④「わたしは "すっかり良くなった人"なのか?」

育て直しの、真っ最中

さて、これまで、
わたしが自分の苦しみを「トラウマ」として認識し、
一人きりでそれを「直そう」「消そう」とするのではなく、
第三者にサポートしてもらいながら、
自分自身でも心の傷に向き合い、少しずつ癒されていくプロセスを書きました。

もうお気づきかとは思いますが、わたしの普段のインスタやnoteの投稿は、主にその過程で得た気づきから着想を得たものです。

では、わたしは「過去のトラウマを克服し、その悲しみや苦しみを絵や文章に昇華することができた、今はもうすっかり良くなった人」なのでしょうか。

もちろん、答えはNOです。

わたしはまだ、自分の育て直しの真っ最中です。
毎日が、世界に対して安心感を抱く練習の場です。

でも、「癒し」は「暮らし」と両立できる

身をもって体験した結果、どうしてもここでお伝えしたいのは、
「完璧に癒されてからじゃないと取りかかれないこと」なんて、一つもなかった、ということです。


わたしは今、癒しのプロセスの最中にいて、
同時に、日常生活を送ることができています。
わたしは今、癒しのプロセスの最中にいて、
同時に、引越しや結婚などのライフイベントを経験することができています。
わたしは今、癒しのプロセスの最中にいて、
同時に、趣味の創作を続けながら、夢の実現に向けて動き始めています。


「傷ついたインナーチャイルドを完全に癒して、潜在意識を書き換えて、毎日ちゃんと瞑想とかして、自分のヒーリングが完璧に終わってからじゃないとできない」と思っていたあらゆることが、今、できています。

そして当然、今でも気持ちが激しく揺れ動き、全てを放り投げてしまいたくなる衝動に駆られるような日もあります。
そういうときは、その苦しみと共に過ごし、寄り添います。そうして(数時間〜数日かけ)少し落ち着いたら、セラピーを予約したり、信頼できる人に話を聞いてもらったりと、自分なりのケアをするようにしています。

決して「振り出しに戻る」ということはないと、知っています。
「大切なものを、大切にしていい」ということに立ち返ると、
苦しんでいる自分を追い出したいとは、思わなくなりました。
たとえ周囲にいる人から「ウジウジするな!」「明るく前向きでいなきゃ!」「また病んでんの?」と言われ、咎められたとしても、
そういう自分も、大切にしてもいいのだと、気づいたからです。

「人生は自分とのデート」とは

わたしは「人生は自分とのデート」という表現が好きで、これまでのインスタの投稿でも何回かその文章を登場させました。

キラキラした、すごくポジティブなコンセプトに見えるかもしれません。もちろん、そう受け取っていただいてもかまわないのですが、
実のところ、わたしとしては、こんな気持ちで言っています。

「これまでずっと離ればなれだった愛する人(自分)とようやく一つになれた。傷だらけになったけど、ついに出会えた。嬉しくて、ほっとして、愛が溢れて止まらない。どこに行こう。何をしよう。もう、誰にも邪魔されない。これからの人生は、とびきりロマンチックなデートにしよう」


過去作品と振り返る、トラウマケアのまとめ

最後に、わたしのこれまでのインスタ投稿を用いて、
お伝えしたいことを、まとめてみます。
もう既にご覧いただいたことのあるイラストも多いかもしれませんが、創作の背景を知って頂いた今、改めて見ていただけると嬉しいです。

自分の苦しみを、他の誰かの苦しみと比較する必要はありません。
「恵まれている」という言葉に縛られて、自分の中にある悲しみや生きづらさを、なかったことに、しないでください。



休むときは、ただ、休みましょう。
自分の何かを直したり、改善したり、解決したりする必要はありません。
ただ、休んでください。



誰かが「ほんとうに」あなたの話を聞いてくれるとき、
そこには必ず癒しがおこります。
『アドバイスとかいらないから、このイラストみたいに、ただ聞いて欲しい』この投稿を見せて、そんなふうに事前に伝えてから、信頼できる人に話を聞いてもらってみてはどうでしょうか。



大切なものを、大切にしてもいいのです。
そして一番大切にしたいものとは、実は「自分」だったりしませんか。


満たされなかった願いや想いを嘆く時間は、必要です。
悲しかったことを、悲しむ時間が、必要です。


大切なものを、大切にしましょう。
大好きなものに、大好きだと言いましょう。
さよならの間際じゃなくて、今日、いま、この瞬間に。


最後に

わたしは、万物は目撃されるために存在していると思っています。
人は、つながりの中で、自分という存在を目撃され、良い、悪いでジャッジされるのではなく、「ああ、そこにいるんだね」と、ただ、まなざしを向けて欲しいのだと思います。
同じように、あらゆる感情や経験も、「生きづらい」という苦しみも、目撃されることが必要です。
痛みや、傷や、満たされなかった願いも、目撃してもらうことを望んでいます。逆に言えば、そうして、まなざしさえ向けてあげれば、自然と消えゆき、薄れ、去っていきます。

わたしがこの記事を書いたのも、わたしと、わたしの軌跡をだれかに「目撃」して欲しかったからなのかもしれません。
そう思うと、ここまで読んでくださった皆さんに、感謝せずにはいられません。


皆さんのそれぞれの「生きづらい」が、それぞれのペースで、癒されていくことを願います。わたしもその姿を、なんらかの形で目撃できたら幸せです。


わたしの物語にまなざしを向けていただき、ありがとうございました。


ドリゼラ


《おわり》
おまけ:リソース紹介


お読みいただき、ありがとうございました。わたしという大地で収穫した「ことばや絵」というヘンテコな農産物🍎🍏をこれからも出荷していきます。サポートという形で貿易をしてくれる方がいれば、とても嬉しいです。