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ごぶさたな - theme : 物語

小説を読まなくなって久しい。
まったく読まないというわけではないが、エッセイや人文系の本に手が伸びがちで、フィクションの作品はなんとなく気が進まない。

この間、面白い小説に出会った。
川上弘美の『大きな鳥にさらわれないよう』という本。
これといった理由はない。これは面白い気がするという勘を信じてみた。

本が家に届いた日の夜、少しだけ読んだ。

短編集のようなかたちで、さまざまな登場人物の視点から物語が語られる。読み進めていくうちに、ぐわりと世界の見え方が変化していくのが、おそろしくも心地いい。
今よりずっとずっと先の、人類が衰退したあと、新しい形で生命を紡いでいく人々の話だった。

翌日は休日で、用事があったので予定より少し早めに外に出た。

特に予定はなく、せっかくなので買い物をしたり服屋を冷やかしたりスナップを撮ったりしようというつもりだったが、本当は鞄に忍ばせた文庫本が読みたくて仕方なかった。
街は人があふれていて、特に欲しいものも思いつかないし、カフェチェーン店に入る気もしない。人混みに飛び込む理由がなかったのでとりあえず公園に行くことにした。
そこは駅より北側の、繁華街から少し外れたところにある古着屋や雑貨店や美容室が並ぶオシャレなエリアだ。その近くにビルに囲まれた小さな公園がある。

そこそこ人通りはあるけど、公園には誰もいなかった。ベンチに座り、鞄を小脇に抱えて、本を開く。
すぐに、荷物を抱えたひとりの女性がやってきて、私の2つとなりのベンチに座った。背中を丸めてスマホを触っている。
やがて、制服を着た女子高生とひょろりと背の高いジャージを着た男性がきた。2人はここを公園たらしめるために最小限で配置された遊具で戯れていた。
カップルとほとんど同時に、スカジャンをまとった2人の男性がやってきて木下にうんこ座りした。風上で煙草をふかしはじめたので煙の匂いが漂ってきた。

数十分、公園に来る人に目を向けたり本を読んだりしていると流石に体が芯から冷えてきた。
今日は思った以上に気温が低く、私は服のチョイスを間違えていた。手先はすっかり冷え、足を組んでうずくまるような姿勢になっていた。それでももう少し、とページをめくる手が止まらなかった。

しばらく粘ったがさすがに寒いので、公園を離れて街を歩いた。
店に並ぶ商品を見ても、私の目には何も入ってこなかった。いつもなら思わず手に取るような商品も、目の上を滑るばかりで、何の感情も湧かない。

完全に私の心は物語に囚われていた。
先が読みたい。続きが気になる。

小学生のときとおんなじだ、と思った。
小学生のときは本をよく読んでいた。夢中になると、休み時間も授業中も下校のときもずっとうつむいて本を読んでいた。テストのとき、みんなよりもはやく解答を終えると本を読むことが許されていたので、さっさとテストをすませていた。とにかく本が読みたかった。

物欲がすっかり失せている。小学生のときの物語の続きが読みたくて仕方ない、という気持ちとおんなじになってることに気づいた。懐かしい感覚だった。

そうだ。
物語は私の心をとらえて離してくれないことがある。

なんとなく小説から距離をおいていたのも、たぶん物語の魔力的な面白さに自分がとりこまれてしまうことをどこかで恐れていたのかもしれない。それともフィクションの世界をどっぷりはいりこむ体力が、その自信がなくなったからなのかもしれない。
物語の世界にとりこまれている状態はとても幸せなことなのだ。

簡単に摂取できる娯楽があふれる中で、その誘惑をふりはらい、動かない、絵もない、文字だけの本を読むというのはとてもハードルの高いものになってしまった。
けれど、文字の情報だけで新しい世界に出会えて、その様子を想像して読む行為には何にも変え難い楽しさがある。本ってすごいんだな。

(文・写真 ひものみた)


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