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「ハトに絡まれながら」 --梶井基次郎「檸檬」の練習論文

 今でも覚えているが、2年前、最寄りの駅に隣接した公園のベンチで、ハトに絡まれながらこの世の終わりのような顔をして項垂れている友人Mを見かけた。声をかけると、前日の夜から飲みすぎ、ひどい二日酔いであるという状況を、息も絶え絶え話された。この日は互いにゼミ面接の前日であった。「そうか、大変だな・・・」と言いながらも、その悲壮な顔、さわやかな陽の光、友人が無数のハトに絡まれている、と言う状況に、必死に笑いを噛み殺して、まあ明日頑張ろうぜ、という言葉だけかけてその場を去った。彼は哀しく手を振っていた。いつまでもハトに絡まれながら。

 それ以降、彼の姿は見ていない…

 ということはなく、彼とは同じゼミに入り、今はお互い大学を卒業できそうである。

 以下は、その友人Mとの合作である梶井基次郎「檸檬」についての3年次の練習論文であるが、Mの部分(6〜8)の掲載許可は降りなかった。M本人は気にしているが、別に出来が悪いわけではなく、単純に後半の筆者の論(生成論)とのつながりに難があるだけであることは強調しておく。

 要所は「9」から。

 なお「檸檬」については、その成立過程に関して、去年(2021年)新たな資料が出たようである。




『檸檬』論



友人M/佐藤

1.序論

梶井基次郎の「檸檬」は1925に発表された。現在では作品集『檸檬』の表題作として、また教科書に掲載される作品として、多くの人々に親しまれている。

その反面、読解しにくい作品ともいわれる。(注1)

芸術運動「ダダイズム」の破壊の要素。また当時の文壇の新しい波であった「プロレタリア文学」と「新感覚派」の要素(注2)つまり、資本家階級を象徴するような丸善を爆破しようと夢想する点、その爆弾に見立てられたものが檸檬であるという芸術性など、様々な読解が存在する。

本論ではこれらの先行研究を踏まえながらも、このような多様な解釈を生む要因がこの作品の「抽象性」にあると考え、梶井基次郎の人生と時代背景から、「えたいの知れない不吉な塊」と「檸檬」の意味を。そして「檸檬」が成立していく過程から、この作品に「普遍性」をもたらした梶井の試みを考察したい。


2.作者紹介

梶井 基次郎(かじい もとじろう)

1901年~1932年。小説家。大阪生まれ。少年時代は三重、東京などに転居を繰り返す。‘19年、エンジニアを目指して三高理科に入学するが次第に文学に惹かれ、’24年、東京帝大英文科に入学。同人誌「青空」で積極的に活動するが、少年時代からの肺結核が悪化し卒業は叶わなかった。療養のため訪れた伊豆の湯ヶ島温泉で川端康成、広津和郎に親切し創作を続けた。しかし病は次第に重くなり、初めての創作集『檸檬』刊行の翌年、郷里大阪にて逝去。享年31(注3)。


3(略)

4.作品紹介・あらすじ

「檸檬」

1925年、同人誌『青空』の創刊号に発表された、梶井基次郎のデビュー作である短編小説。

「えたいの知れない不吉な塊」に心を始終圧えつけられていた私は、以前は自らを喜ばせたはずの「美しい」音楽や詩にも耐えられなくなり、京都の街を放浪する。壊れかかった街や裏通りなどの「みすぼらしくて美しいもの」に惹かれながら、自分は今、京都ではなく、どこか遠くの地にいるという錯覚や、その中に現実の自身を見失うのを楽しんでいた。

ある日、果物屋で買った一つの檸檬が、始終私の心を圧えつけていた不吉な塊をいくらか弛ませ、幸福な感情をもたらす。

その後「重苦しい場所」となって以降、避けていた丸善に立ち寄ってみるが、再び憂鬱に襲われる。画集を取り出し次々とめくってみてもそれは去らない。

しかし、ふと積み上げた画集の上に檸檬を置いてみよう、という発想に軽やかな昂奮がよみがえる。その完成を眺めた後、私はそのまま、なに喰くわぬ顔で去ることを考える。檸檬を爆弾に、自らを悪漢に見立て、粉葉みじんになる丸善を想像しながら、京極を下る。


(中略)


9、「檸檬」の成立まで、客観性の試み

この章では「檸檬」が成立する過程を追いながら、それぞれの表現の変化を考察していく。

 「檸檬」は、1925年「青空」での発表までに何度も改稿がなされており、まとめると以下のような流れになる。(注12、13)

   1923年 第一稿 日記草稿第二帖

   1923年 第二稿 日記草稿第三帖「檸檬を挿話とする断片」

(1924年3月 三高(旧制高校)卒業)

(1924年4月 東京帝大入学、同人誌「青空」旗揚げ)

   1924年夏~ 第三稿 習作「瀬山の話」

   1924年 第四稿 「檸檬」の断片(4行)

   1924年秋第五稿 「檸檬」(脱稿)」

   1925年  「檸檬」が『青空』に掲載


 まず第一稿は、短い「夜の彷徨い」を描く文章で、第二稿への影響が見られるが、ここでは特に檸檬は登場しない。

実は、第一稿の前に「秘やかな楽しみ」(1922年)という重要な詩の習作が存在する。「一顆の檸檬 を買ひ来て」「秘やかにレモンを採り、色のよき 本を積み重ね、その上にレモンをのせて見る」「企らみてその前を去り ほゝえみて それを見ず、(注14)とあり、この詩を三好行雄は「檸檬の本質的なモチーフがほとんどすべて、この詩のなかに刻まれているのを見ておけば足りる。とすると、作者の<ほゝえみ>は重要である。(中略)すくなくともここには、自我の内面をするどくえぐる苦渋はない」と指摘している(注15)

確かに檸檬の印象的な描写はすでにここに見られるが、爆弾に見立てる描写はなく「えたいの知れない不吉な塊」のかげは見られない。

しかし次の第二稿ではその「苦渋」が現れる。この草稿は、語り手が回想において「丸善」に「檸檬」を置き去る部分、下宿で語り手が自らの名前を呼ぶ行動の後、療養中の友人を訪ねるも会えず、「深夜に彷徨う」という部分がある。

重要なのは後半の「そして私は自分ながらいとほしく思へてならなかつた私自身の名前を、極くかすかに呼んでみた。「瀬山。」」(注16、)という梶井自身が三高(旧制高校)時代に使用していたペンネームが語り手に使われている部分であり、さらに「回想」を行うという「現在」からの視点である。

これらの設定から、梶井は前章までで指摘した、自己の苦悩や体験を描こうとしながらも、それを客観視しようとしていたのではないか、と考えられる。しかしこの時点でもまだ「爆弾」「不吉な塊」は現れない。

そして梶井が三高を卒業し、東京帝大に入学後、「青空」への掲載のために書かれ始めたのが第三稿の「瀬山の話」である。冒頭「私」が「彼=A=瀬山」を語る形で幕を開け、「檸檬」はその中の一つの挿話として登場する。その挿話の直前では「私は今その挿話を試みに一人称のナレイションにして見て彼の語り振りの幾分かを彷彿させやうと思ふ」(注17)という瀬山が語った話を「私」が語り直すという複雑な設定が説明される。

そしてこの挿話の結末には「檸檬」から削除された文章が存在する。


(前略)何に?君は面白くもないと云ふのか。はゝゝゝ、そうだよ、あんまり面白いことでもなかつたのだ。然しあの時、厳密な歓喜に充〔た〕されて街を彷徨いてゐた私に、

   ―――君、面白くもないぢやないか―――

   と不意に云った人があったとし玉へ。私は慌てゝ抗弁したに違ひない

   ―――君、馬鹿を云って呉ては困る。―――俺が書いた狂人芝居を俺が演じてゐるのだ、然し正直なところあれ程馬鹿気た気持ちに全然なるには俺はまだ正気すぎるのだ。(注18)


 三好行雄は、この「過去を見る現在の目と、瀬山を見る語り手の目が同時に存在する」記述が「檸檬」では消え、それは「相対的認識」が消えたことを象徴し、それが「檸檬」の「<あの頃>を書く語り手としての意味が著しく希薄」になったことへ繋がるという。(注19)

 果たしてそうだろうか?

複雑な視点とその描写が消えたのは確かであるが、梶井が自己を客観的に見つめた結果、「檸檬」は「抽象性」を獲得し、「<あの頃>を書く語り手としての意味」にむしろ、あらたな効果を生んだのではないかと考える。



10.「客観性」の試みと「抽象性」

梶井は『青空』の締め切りに追われ、「瀬山の話」を短編小説へと改編する(この過程に第四稿が存在するが、本論では重要ではないと考えるため省略する)。

この章では前章の仮説を確認するために、「檸檬」と「瀬山の話」について重要と思われる3点を考察する。

まず、1点目に「客観性」の試みの末に獲得した「抽象性」を代表するものは「えたいの知れない不吉な塊」であると考える。

この「えたいの知れない不吉な塊」は「瀬山の話」にはじめて登場するが「檸檬」では文章が直されている。「檸檬」と「瀬山の話」の檸檬の挿話の各冒頭をあげる。


  えたいの知れない不吉な塊が私の心を終始圧えつけていた。焦燥と云おうか、嫌悪と云おうか(中略)結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのは不吉なその塊だ。(注20)   


  恐ろしいことには私の心の中の得体の知れない嫌厭といはうか、焦燥といはうか、不吉な塊が―――重苦しく私を圧してゐて、私にはもうどんな美しい音楽も 美しい詩の一節も辛抱できないのが其頃の有様だった。(注21)


つまり「檸檬」では肺尖カタルや神経衰弱、借金など梶井本人を想起させるようなものとは、わざわざ違うものである、と強調して描写されているのである。ここから、梶井は自らの個人的体験を普遍的な青春の苦悩へと昇華させようとしていたと考えられる。

2点目として「瀬山の話」内の別パートに主に描かれた「彼=A=瀬山」に仮託された梶井の苦悩のエピソードがそぎ落とされ、別の「錯覚」のエピソードが加わったことが挙げられる。


(前略)私は、できることなら京都から逃げ出してしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な布団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこでひとつきほど何も思わず横になりたい。(注22) 


ここでは誰もが持つであろう、より普遍的な現実逃避の願望が語られる。

3点目として、「瀬山の話」での複雑な視点の設定から「私」が「過去を語る」、という読者が自身の苦悩を仮託しやすいシンプルな視点に戻っている点が重要である。これにより、「過去を語る私」がユーモアを感じさせながら、「何故だかその頃」「それにしても心というやつはなんという不思議なやつだろう」「それがあの頃のことなんだから」(注23)と、ところどころに顔を出すことの意味は「瀬山の話」とは違うものになる。

つまり無意識に読者は「私」の「抽象化」された「えたいの知れない不吉な塊」にそれぞれの普遍的な苦悩を仮託しながらも同時に、それを客観的に「過去として見る」ユーモア性のある視点とも同化することになる。そしてこの視点は「不吉な塊」を抱える時代をすでに生き延びた者の視点でもあり、読者は自身の苦悩を客観的に見ることのできる視点へも誘導されることになる。これが作品全体の「抽象性」を引き上げたことで読者がより「私」へと苦悩を仮託しやすくなった結果得た、この視点の新しい効果であると考える。

 これが「退廃を描いて清澄、衰弱を描いて健康、焦燥を描いて自若」(注)と評される理由にもつながるように思われる。



11.まとめ


創作といつても短いものを一つ―――あまり魂が入つてゐないものを仕上げて此度出す雑誌へ出しました。此度いよいよ雑誌が出るのです。名前は青空―――(注25)


これは、梶井が友人へ送った文章の中で「檸檬」について語った部分である。

これまでの考察から、この言葉の裏には、度重なる改稿において自身の苦悩や体験を描こうとしながらも、それを客観的に見つめ、普遍的なものへと昇華しようとする様々な試みが行われてきたことがわかった。

梶井の、自身の体験に誠実にそして切実に向き合い続けるという行為が、「檸檬」という作品の「抽象性」を引き上げることにつながり、それはいつの時代もかわらず、「えたいの知れない不吉な塊」つまり「いきづらさ」に心を押しつぶされそうになる豊かな感受性を持った若者、その苦悩に届く「普遍性」のある作品へと「檸檬」をさらに「結晶化」させたのである。



12.注釈


(注1)藤村 猛「梶井基次郎「檸檬」論 : 「触媒」としての〈檸檬〉とその力」国文学攷154号、広島大学国語国文学会29p1997-06-30

http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00021363 (2020年7月28日閲覧)

(注2)淀野隆三「解説」p334、梶井基次郎『檸檬』新潮文庫、1967年

(注3)梶井基次郎『檸檬』新潮文庫、1967年、カバー

(注4)淀野隆三「解説」p334、梶井基次郎『檸檬』新潮文庫、1967年

(注5)   同上  p334~335

(注6)梶井基次郎『檸檬』新潮文庫、1967、p8

(注7)小野桐弘子『梶井基次郎私観:レモンから檸檬へ』大手前大学人文科学部論集6、2005、p8

https://otemae.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=592&item_no=1&page_id=33&block_id=62 (2020年7月29日閲覧)

(注8)(注6に同じ)p14

(注9)(注6に同じ)p10

(注10)(注6に同じ)p10

(注11)(注6に同じ)p13

(注12)淀野隆三「後記」淀野隆三・中谷孝雄・編『梶井基次郎全集第二巻』筑摩書房、1966年p516~517、を参考に適宜まとめた

(注13)河野龍也・編『梶井基次郎「檸檬」のルーツ―――実践女子大学蔵「瀬山の話」モノクロ影印普及版』武蔵野書院、2019年、ⅲを参考に適宜まとめた。

(注14)淀野隆三・中谷孝雄・編『』筑摩書房、1966年、p273~274

(注15)三好行雄「青春の虚像―――「檸檬」梶井基次郎」鈴木貞美・編『梶井基次郎『檸檬』作品論集近代文学作品論集成12』クレス出版、2002年p34、

(注16淀野隆三・中谷孝雄・編『梶井基次郎全集第二巻』筑摩書房、1966年、p186

(注17)(注13に同じ)p178

(注18)(注13に同じ)p192

(注19)(注15に同じ)p38

(注20)(注6に同じ)p8

(注21)(注13に同じ)p178

(注22)(注6に同じ)p9

(注23)(注6に同じ)p10、p13を参考に適宜まとめた

(注24)(注6に同じ)p335

(注25)「書簡」淀野隆三・中谷孝雄・編『梶井基次郎全集第三巻』筑摩書房、1966年、p124


参考文献

・梶井基次郎『檸檬』新潮文庫、1967年、

・淀野隆三・中谷孝雄・編『梶井基次郎全集第一巻』筑摩書房、1966年

・淀野隆三・中谷孝雄・編『梶井基次郎全集第二巻』筑摩書房、1966年

・淀野隆三・中谷孝雄・編『梶井基次郎全集第三巻』筑摩書房、1966年

・鈴木貞美・編『梶井基次郎『檸檬』作品論集近代文学作品論集成12』クレス出版、2000年

・三好行雄「青春の虚像―――「檸檬」梶井基次郎」1963年

・河野龍也・編『梶井基次郎「檸檬」のルーツ―――実践女子大学蔵「瀬山の話」モノクロ影印普及版』武蔵野書院、2019年

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