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シンデレラシンドローム

#みんなの文藝春秋

#映画


If you can Dream it, you can do it./walt Disney

あなたが叶えたい夢は必ず叶う夢である。/ウォルトディズニー

サムシングブルーのシンデレラ

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横浜駅西口でディズニー映画の大きなポスターをみてすこし気持ちがたちどまった。

「シンデレラ」のポスターでブルーのドレス。あの時はシンデレラドレスはブルーということになった。

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この時期私はみなとみらいのブライダル会社にいて毎日ウェディングドレスをさわっていた。その年のカラードレス(白いウェディングドレスのお色直しなどで着る)のほとんどがブルー系だった。ブルーなんて日本人ではなかなか似合う人は少ないと思う。白人ならともかく黄色人種の肌の色には難しい、なのに大人気だった。きっと映画の影響が大きかった。時折店内で聞こえてくる「シンデレラのドレスですね!」という声もよくきいた。

シンデレラを象徴するのは玉の輿ではないかと思う。なにげに私の身近で「玉の輿婚」というのはじつはあった。

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プロムクィーンLucky No1!

私の卒業した高校は女子高で入学式の日からその話題。教室で自己紹介になった時、私は母親が中3で離婚したばかりだったので前の名字で名乗ってしまって先生が微笑んで「変わったばかりですからね、大丈夫ですよ」と言ってくれた。そして同級生が立ち上がり「私はH.Nさんに憧れてこの学校にきました!」と満面の笑みを浮かべて自己PRをはじめた。先生は「まぁ~そうなの!H.Nさんはね、とってもまじめな子で優等生だったのよ、あなたもきっとH.Nさんのようになれるわ」とすごくうれしそうにいう。

H.Nさんというのは私たちの上級生でホントに学祭で呉服会社(和裁の反物を納めにくる)の社長に見初められて卒業と同時に玉の輿婚をした先輩のことだった。その同級生はその先輩とご近所に住んでいて、その歳にしてガチガチにもうすでに未来設計をしていた。「できればH.Nさんみたいになりたいワケ。それがダメならうちの親戚に女ひとりで和裁で家一軒建てて気ままに住んでる人がいるの!まぁどっちかになれたらいいな~って思ってんの」それまでの私の周りにはそういう幸せな人があんまりいなかった。

私は女子高にきてはじめて玉の輿を知った。

率直には私はその頃、まだ15才で18で玉の輿でも結婚という選択をしたほとんど変わらない世代の話についていけない感覚があった。

「18で結婚!キモ~い!」そういうと先生からにらまれたモノだった。

H.Nさんと同級生だった姉がいる友人がクラス写真を持ってきてH.Nさんを見せてくれた。H.Nさんを黒マジックで囲んである。

どんな女の子かというと、すごくマジメそうな丸ぽちゃ赤ら顔のショートヘアのどこにでもいそうな女の子。すごくキレイとかかわいいとかではなくてフツーのどこにでもいそうな子。H.Nさんに憧れてきたっていうその子もそういうタイプで満足そうに「なぁ?ええやろ?」とにんまり笑った。

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ジェルソミーナの瞳

時は流れて、私は女子高を卒業したらすぐに就職をして25才になった。ある程度社会人として職歴も積んで転職にまだまだ燃えていて地元の奈良で5年以上勤めた会社を辞めてから横浜にでてきた。色々考えている間は派遣でつなごうと思って東急本店に入った。そこはブランドも年齢層が高く年配の販売員さんばかりで25才の私は娘ぐらいに扱われた。

そこのチーフ(店長)さんのお嬢様が私と同い年でふたりいる娘の話になるとふたりとももうお嫁にいってるけど長女はステキなハンサムと大恋愛の上にすごく幸せな結婚をしてかわいい子供にも恵まれてとても幸せなのだという。チーフさんの常に気がかりは私と同い年の次女のことだった。

長女の幸せな結婚を目の当たりにみて次女のお嬢様は結婚がしたいと言い出してようするにお見合いをすることになった。今でいう婚活というよりお節介おばさんみたいな仲人さんに頼んで写真や診断書みたいなのを出してする本格的な結婚前提のお見合いをした。

その話をきくと私の周りにはいなかったのでドン引きした。条件というのがあって

「慶応卒。(できればストレート)都内に家と土地を持っているお金持ち。安定したカタイ仕事についていて、将来的に小さなケーキ屋さんを開かせてくれる事」

この条件の相手を仲人さんはみつけてきた。

お相手の条件は「健康で跡取りを生んでくれる事」。こういう世界がホントにあることに驚いたけどチーフさんはフツーだっていう。じゃあなにが問題なんですか?ってきくと「確かに慶応卒で都内に家と土地を持っていて三菱銀行にお勤めで将来ケーキ屋のひとつぐらい出せますというし、娘には優しくしてくれる。だけど、だけどッ」他にまだあるんですか?というと「だって!あなただったらこの条件ならチビでデブでハゲでも平気?私はちゃんと娘に言ったの!イヤだったら断っていいの、だって、だって」チーフさんは何度もこの話を私にした。その度に私は笑わず真剣に「おつきあいの期間があってお考えになられたワケだからフツーの恋愛と変わらないですよ」とか「お嬢様は恋愛ではなく結婚という契約を望んでされたんですよ、幸せなんです」と言った。ホントに?ホントにそう思う?何度も私みたいなのにきいてくるその時50代だったチーフさんがお嬢様よりずっと気の毒に思えた。

そのお嬢様がある日店にきた。

私以外にも同世代の若い販売員がいてこのお嬢様の事を知っていてクスクス笑い出す。「私たちとは楽しみがちがう感じがする人」とよく言っていた。会った時、とてもマジメそうでまだ少女みたいな純粋な感じが、そのチーフさんのまるで良心の呵責のような気持ちになるのがわかった気がした。まるでフェデリコフェリーニのうつろな「ジェルソミーナ」のような目をしていた。

広い敷地内にお姑さんが住んでる母屋と自分たちの新居があってそのお嬢様は朝5時に起きて洗濯をして新婚で夫に料理が不味いと言われて週に一度料理教室に通い時々和菓子屋で販売のパートをして母屋からお姑さんがズッキーニをもってきて「これなにか知ってる?食べた事ある?おいしいのよ、ところで赤ちゃんまだなの?」といわれるという。

でも今頃はきっと子供もいて、子育ても終わって町角に小さな夢のケーキ屋さんでもされているだろうと思う。

私は玉の輿をまったくしらないワケではないけどホントにああ、これは玉の輿婚で私は幸せなシンデレラのようだと思えるのがその時はもう若くないような気がして、

それで西洋のシンデレラばかりを夢見るのかもしれない。

さんどりあん

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