私生児の母 安心感を与えてくれる存在と精神的自立

私の母は私生児(非嫡出児)だった。
私生児というのは、婚姻関係にない男女から生まれた子どものことを指す言葉らしい。

幼少期、母からよく聞かされた。
酒に酔うと母はいつも自分の生い立ちや社会人になってから私を産むまでのいきさつを子どもに話して聞かせるのだ。

祖母(母の母)は、当時としては珍しく、30代以降も独身を謳歌していたタイプの人で毎日飲み歩いていたそうだ。
そんな折、30代半ばで祖父(母の父)と出会い、母を孕った。そして、ある事情により未婚のまま出産することを決めた。

ある事情というのは、祖父が既婚者であったことだ。
というのも、祖父の奥さんが若い男性と駆け落ちして家を出て行き、連絡も取れなかったため、籍を抜くことができない状態であった(と母は説明されていた)そうだ。
祖父の家には、戸籍上の妻との間の子が2人いて、そこに祖母と母が転がり込む形で3年ほど暮らした。

しかし、いつまで経っても籍を入れることのできない祖父母の関係を心配していた祖母方の親族によって、祖母と母は実家に連れ戻されることとなった。まともに結婚もできないような男とは別れろ、ということだったらしい。

その後、母は母子家庭の時期と、義父がいた時期(祖母は生涯で離婚再婚を3〜4回経験している)を繰り返しながら成長していった。義父の中には、暴力的な人もいれば、優しい人もいた。

出生時の事情とともに、度重なる親の離婚再婚と引っ越しや被虐待経験によって、母は常に所在のない気持ちを抱えながら生きてきたのだと思う。

母は祖母のことをとても好きだったし、親族に可愛がられて育ったことは確かだ。しかし、日常生活(家族関係や居住環境、経済状況)において常に不安定さがあったことも事実だ。
母から満たされない気持ちや怒りをぶつけられる度に、私は母のことを気の毒に思い、母に幸せで穏やかに暮らしてほしいがどうにもできない無力感があった。それと同時に、私は精神が安定した母の存在を求めていた。

人は、自分を安心させてくれる存在(人と環境)のそばで育まれ、成長するにつれて自らの心にその存在を取り込んでいくことによって精神的に自立していくのだと考える。
私も母も、安心感を1番欲する時期に家庭の中が不安定な状態であった。
大人になってから、なんともいえない不安を感じ、埋まらない心の穴を埋めようと必死に生きてきたのだと思う。


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