タカミキル

愛着不安や機能不全家族のトラウマなどを乗り越え、前向きに進んでいきたいと思い日々奮闘中…

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愛着不安や機能不全家族のトラウマなどを乗り越え、前向きに進んでいきたいと思い日々奮闘中!自分の頭の整理のために色々と綴ってみたいと思います。 アラサー独身女性

最近の記事

親の不倫① 心の矛盾を抱え続けて

私の母は、父と離婚するまでの間に2度不倫した。 幼少期、母の不倫相手とのデートに連れて行かれることが度々あった。 1度目の不倫相手と葛西臨海公園で散歩して、海を眺めた記憶。幼い私は、母の不倫へのネガティブな感情以前に、ただ単純に母達とお出かけできることの楽しさを感じていた。人見知りもなく、人と関わることがとても好きだった私にとって、母の不倫相手は、自分と遊んでくれる優しいお兄さんで、すぐに懐いた。 一方で、何か悪いことをしてしまっているという罪悪感もあった。それはおそらく

    • 過剰適応? 人との距離感が分からない

      相手の気持ちが満たされるであろう言動が、分かる。 義父が仕事から家に帰るなり、皿が洗われていないことに怒鳴る、明日の朝出すゴミ袋が玄関に置いてあることに怒鳴る、しまいにはカーテンのヒダが均一でないことに怒鳴る、 母はそれらの攻撃にやられながらも、酒を飲んで逃避する。 そんな日常が繰り返されていくうちに、おそらくこのポイントで怒るであろうという感覚が研ぎ澄まされていく。先回りして、その芽を摘む。 その感覚自体は、その時のうちの家庭にしか適用されないものだったと思う。 が

      • 私生児の母 安心感を与えてくれる存在と精神的自立

        私の母は私生児(非嫡出児)だった。 私生児というのは、婚姻関係にない男女から生まれた子どものことを指す言葉らしい。 幼少期、母からよく聞かされた。 酒に酔うと母はいつも自分の生い立ちや社会人になってから私を産むまでのいきさつを子どもに話して聞かせるのだ。 祖母(母の母)は、当時としては珍しく、30代以降も独身を謳歌していたタイプの人で毎日飲み歩いていたそうだ。 そんな折、30代半ばで祖父(母の父)と出会い、母を孕った。そして、ある事情により未婚のまま出産することを決めた。

        • 酒に溺れる母 幼少期の記憶と愛着不安

          子ども時代の記憶の中で、特にはっきり覚えているのは、母が昼間カーテンも開けずに暗い部屋の中で酒を飲んでいる姿である。 酔っ払った母は、自分の生い立ちについて如何に辛いものだったかを繰り返し述べたり、大音量で音楽をかけて歌い踊ったり、そのまま床に倒れて寝てしまったりで、まともに相手にしてもらえなかった記憶がある。 母には気分が変わりやすく、キレっぽいところがあった。特に酒を飲むと顕著で、さっきまで笑って話していたのに、突然豹変して不機嫌になったり怒鳴ったりすることがしばしば

        親の不倫① 心の矛盾を抱え続けて