酒に溺れる母 幼少期の記憶と愛着不安

子ども時代の記憶の中で、特にはっきり覚えているのは、母が昼間カーテンも開けずに暗い部屋の中で酒を飲んでいる姿である。

酔っ払った母は、自分の生い立ちについて如何に辛いものだったかを繰り返し述べたり、大音量で音楽をかけて歌い踊ったり、そのまま床に倒れて寝てしまったりで、まともに相手にしてもらえなかった記憶がある。

母には気分が変わりやすく、キレっぽいところがあった。特に酒を飲むと顕著で、さっきまで笑って話していたのに、突然豹変して不機嫌になったり怒鳴ったりすることがしばしばあった。特に父(彼女からみると夫)に対する攻撃的な言動が多かったように思う。

その様子をほぼ毎日見て育った私は、いつも少し寂しかった。
私は元来「お母さんと(普通に)話したい」「母親と遊びたい」という気持ちが強い子どもだった。というのも、私は母からずっと蔑ろにされていたわけではない。むしろ第一子の私を母はとてもかわいがっていた。シラフで元気な時は、よく一緒に遊んでくれた。食べられるシャボン玉を飛ばして、母と弟と私の3人ではしゃいだ思い出がある。母がスーパーへ買い物に行く時には、いつもついていった。母のそばにいることで安心だった。

優しい母や楽しい母との時間を知っているがゆえ、小学校の帰り道はいつも「今日のお母さんはどんな調子だろう?」「家に帰ったら、お母さんは酒に酔っているのだろうか?」などと母の様子ばかり気にしていた。酒に溺れる母の姿は辛かった。母のことが好きだった。

こうした記憶を振り返ってみると、私と母親の愛着形成は基本的には上手くいっていた。しかし、成長過程の中で母親の気分の波に飲み込まれ、アンビバレント(両価的)なメッセージを受け取ることになり、愛着不安を抱えるようになったと自分では解釈している。

今、私は27歳。だいぶ大人になった。
これまで辛くて蓋をしてきた過去の記憶や、いまだに満たされない自分の心と向き合い、受け入れて前に進みたいと考え、noteに色々と綴っていくことにしました。

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