加納かおり

鹿児島県の高校野球初代野球ウグイス嬢。 野球は好きだし長年関わってきましたが、社会人野…

加納かおり

鹿児島県の高校野球初代野球ウグイス嬢。 野球は好きだし長年関わってきましたが、社会人野球という世界はほとんど知りませんでした。そんな社会人野球素人から見た社会人野球クラブチーム『鹿児島ドリームウェーブ』の球団ヒストリーや悲喜こもごもを中心に書いています。

マガジン

  • 鹿児島ドリームウェーブ球団ヒストリー

    2005年に、イベントをきっかけに誕生した社会人野球チーム『鹿児島ドリームウェーブ』。生まれては消えていく球団が多い中、17年目を迎えた2022年現在も「クラブ日本一」を目標に走り続けています。 そんな鹿児島ドリームウェーブ誕生からの紆余曲折を、いちファンであるライターが綴ります。

  • 鹿児島ドリームウェーブNews!

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最近の記事

球団ヒストリー77.2014年全日本クラブ選手権

チーム状態 大エース竹山徹さんが選手兼監督としてチームを率いた2014年。 第85回都市対抗野球大会では1次予選を突破して沖縄での九州地区予選に進出した。初戦では超強豪三菱重工長崎に善戦したものの、敗者復活戦(第二代表トーナメント)で西部ガスに大敗を喫した。 この敗戦がチームに与えた影響は大きく、大会後すぐに「もう辞める」と明言した選手もいたほど。まだシーズン前半が終わっただけにも関わらず。 ※シーズン中の退部は原則認めていない。 ほんの3か月ほど前、あれほどの一体感を

    • 球団ヒストリー76.沖縄、もうひとつの壁

      沖縄大会 沖縄で開催された2014年の第85回都市対抗野球大会九州地区(二次)予選。 戦績については前回の記事で詳しく書いたのでご一読いただきたい。 今回は、この沖縄遠征にまつわる準備のお話をしてみたいと思う。 過去にも経験している二次予選だが、これまでは長崎、宮崎、福岡。 それがこの年は沖縄というリゾートアイランド! 観光に行くわけではないが、やはり気持ちは高ぶる。 しかし、だからこそ立ちはだかる壁があった。 そう、遠征費。 動いた金額は 先にお伝えしてしまうと

      • 球団ヒストリー75.都市対抗二次予選、沖縄での挑戦

        第85回都市対抗二次予選の顔ぶれ 2014年。 鹿児島ドリームウェーブは、第85回都市対抗野球大会南九州予選で企業チームである宮崎梅田学園などを倒し、二次予選への切符を手にした。 二次予選には、九州各地の予選を勝ち抜いた12チームが終結。 そうそうたる企業チームが名を連ねる。 ホンダ熊本(熊本・大津町) 三菱重工長崎(長崎市) てるクリニック(那覇市) 九州三菱自動車(福岡市) 熊本ゴールデンラークス(熊本市) 沖縄電力(沖縄・浦添市) 西部ガス(福岡市) ビッグ開発ベ

        • 球団ヒストリー74.2014都市対抗予選~ブッちぎりの一体感

          士気の高まり 誰よりも優しく、誰よりも努力家で、誰よりも鹿児島ドリームウェーブを愛する竹山徹さんが、選手兼監督として指揮を執った2014年。 危うく監督不在ともなりそうなチームの窮地を救ってくれた竹山さんの想いを、選手たちもよくわかっていた。 きっと本心では、”監督”を背負うことなく無心でマウンドに立ちたいだろうということも。 だからこそ、チームの士気は高まった! 「竹山さんを勝たせたい」 「竹山さんを胴上げしよう!」 都市対抗のハードル シーズン最初の公式戦は、都

        球団ヒストリー77.2014年全日本クラブ選手権

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        • 鹿児島ドリームウェーブ球団ヒストリー
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        記事

          球団ヒストリー73.竹山監督

          チーム発足時からの大エース 2013年シーズンを終え、末廣昭博さんから監督を引き継いだ竹山徹さん。 その経緯についてはこちらをお読みいただきたい。 このヒストリーを書かせていただくようになり、あちこちに取材のお電話をするのだが、そのたび真っ先にお名前が出るのは常に竹山さんだ。 2005年、立ち上げ当初のメンバーとして入団し、途中何度か退団なさったそうだが毎回呼び戻され、このころには10年目を迎えていたはず。 そして私自身、ヒストリー執筆のおそらく一番早い段階から何度も何

          球団ヒストリー73.竹山監督

          球団ヒストリー72.FM鹿児島でラジオスタート!

          FM鹿児島で放送されている、『フルスイング!鹿児島ドリームウェーブ』というコーナーをご存じだろうか。 2013年にスタートし今年で12年目に突入した、なかなかの長距離走者だ。 現在は『something μ(サムシングミュー)』という番組内のコーナーとして毎週月曜の17:50ごろから放送されている。 背景にある想い ラジオで鹿児島ドリームウェーブをアピールできないだろうか? 球団代表國本正樹さんがそんな想いを抱くには背景がある。 全盛期ほどではないにせよ、野球というス

          球団ヒストリー72.FM鹿児島でラジオスタート!

          球団ヒストリー71.第一工大からの入団が新時代を作った理由

          昨年12月に書いた『球団ヒストリー60.新時代~入団ルートの確立』について、さらにお話を聞くことができたので補足しておきたい。 詳細はリンクから飛んでいただくとして、この記事をざっくりまとめると2013年に大学から新卒での入団が急増し、大幅な戦力アップにつながったということ。 ではなぜ、これが『新時代』なのか。 前出の記事と重複する部分もあるが、ここは大きな分岐点でもあるので今しばらくのおつきあいを。 第一工業大学(現・第一工科大学)との関わり 2013年の大きな変化

          球団ヒストリー71.第一工大からの入団が新時代を作った理由

          球団ヒストリー70.積年の課題、練習場所の確保Ⅱ

          なぜ今、このことについて書くのか? ところで、今になって練習場所の確保について書こうと思ったのはなぜか。 ひとつは、実際に2024年現在のマネージャーさんが練習場の確保に苦心している様子を間近で見ているから。 もうひとつは、『球団ヒストリー67.初の試み、自治体との協定』を取材したときの疑問。なぜ社会人野球クラブチームが、自治体と協定を結ぶ必要があったのか?ということ。 そこには、とにかく練習場所を確保したいという強い願いがあったと知ったからだ。 逆になぜ、今までこの

          球団ヒストリー70.積年の課題、練習場所の確保Ⅱ

          球団ヒストリー69.積年の課題、練習場所の確保Ⅰ

          週末夜の必然 鹿児島ドリームウェーブが正式発足した2006年ごろ(当時のチーム名は鹿児島ホワイトウェーブ)、練習は週末の夜に限られていた。 これには理由がある。 球場が取れない。 クラブチームの特性上、ほぼほぼ全員が仕事との両立をしている。 中には野球優先のためにフリーターという働き方を選択している選手もいたようだし、中には求職活動中の選手もいただろうけれど、それは稀。 全員が別に本業を持ち、休日や終業後の時間を野球に充てているのが実態だ。 となると、全体練習ができる

          球団ヒストリー69.積年の課題、練習場所の確保Ⅰ

          球団ヒストリー68.レジェンドの男気

          「もうやめるか?」 「監督を引き受けてくれる人がいない。もうやめるかな…」 鹿児島市城南町のファミリーレストラン”ガスト”で、球団代表國本正樹さんはそう弱音を吐いた。 そばで聞いていたのは、当時のマネージャー藤崎順子さん。 ふだんはこんな表情を見せることはないが、このときばかりは國本代表も意気消沈していた。 末廣監督の退団は早々に決まっているのに、後任となる監督の糸口さえも見つかっていなかったからだ。 そもそも飲み友だちだった順子マネに、「俺もうどうしていいか分からな

          球団ヒストリー68.レジェンドの男気

          球団ヒストリー67.初の試み、自治体との協定締結

          2013年、当時の本拠地ともいうべき伊集院球場を持つ鹿児島県日置市と、ある協定を結んだ。 『スポーツによる元気で健康なまちづくりの推進に関する協定』だ。 このことについては、さきの記事で少しだけ触れた。 背景 社会人野球クラブチームと自治体が、協定? 正直なところ、スポーツをただ好きで見ているだけだった私には、なぜそんな必要があるのか理由が分からなかった。 実は、その背景にあるのは練習場の確保という積年の課題。 鹿児島ドリームウェーブは、専用の練習グラウンドを持っ

          球団ヒストリー67.初の試み、自治体との協定締結

          球団ヒストリー66.混迷を極めた監督人事

          熱意の大功労者 2007年、初代監督の鵜狩道夫さんが急に退任されたことにより、思いがけず監督に就任した末廣昭博さん。 コーチを引き受ける予定でチームに合流した矢先のことだった。 末廣さんは、以前鹿児島にあった社会人野球チーム『鹿児島鉄道管理局野球部』に所属していた。国鉄の分割民営化に伴い1987年(昭和62年)に廃部となったが、当時は鹿児島唯一の社会人チーム。 つまり社会人野球の厳しさをイヤというほどご存じの上で、野球への熱意をずっと持ち続けている方だ。 その丁寧な指導

          球団ヒストリー66.混迷を極めた監督人事

          球団ヒストリー65.“新時代”サイドストーリー

          就職斡旋が軌道に乗り、また大学からの入団ルートが確立された2013年。 それにより戦力が増強され、公式戦で人数が足りないなんて心配もほぼなくなった。 この年の目標は、2012年に果たせなかった全国での一勝。 しかし、予想に反して戦績は振るわなかった。 公式戦は3試合のみ、1勝2敗。 これについては、『球団ヒストリー61.動物園⁉』に詳しく書いてあるので読んでいただけたら嬉しい。 しかし2013年は、戦績以外のところでこれまでとは違う動きがいくつもあった。 海外プロ野球チ

          球団ヒストリー65.“新時代”サイドストーリー

          球団ヒストリー64.財政面の救世主と功労者

          前回も少し触れた『支援型自動販売機』設置の経緯とそれに関わる方々について、ここで改めて書いてみようと思う。 恵まれてはいたものの そもそも欽ちゃん球団茨城ゴールデンゴールズとの野球イベントのために結成された鹿児島ドリームウェーブ(設立当初は鹿児島ホワイトウェーブ)。 そのためユニフォームやヘルメット、バット類は、すでに用意されていた。 そういった道具類の心配がいらなかっただけで、とても恵まれていたとは言える。 しかし正式に社会人野球クラブチームとして登録したときはその

          球団ヒストリー64.財政面の救世主と功労者

          球団ヒストリー63.スポンサー企業に訊く~(株)ゼンケイⅠ

          2024年現在、鹿児島ドリームウェーブで一番多いのが株式会社ゼンケイの所属選手・スタッフだ。 少なくとも私が関わり始めた4年前からはずっとこの状態が続いている。 「ゼンケイの選手だけでチーム作れるんじゃない!?」なんて冗談めかして話したこともある。 それくらい選手を受け入れていただいているわけだ。 ホワイトウェーブ設立前から 株式会社ゼンケイさんとの関わりは、一夜限りの予定で立ち上がった鹿児島ホワイトウェーブ時代から始まっていた。 先代社長の時代からスポーツ支援に積極的

          球団ヒストリー63.スポンサー企業に訊く~(株)ゼンケイⅠ

          広報だより~2023年シーズンを振り返って③個人賞

          今季の締めに、11月24日の納会で発表された個人賞もご紹介しておきたい。 個人賞 【本塁打王】  背番号38 上村大希 選手[ユー三―コーポレーション(株)] ~本塁打3本 打率3割1分~  今年新設されたタイトル、本塁打王。  実は上村選手の直訴によるもの。  「3割、3本」達成したら新設するとの約束を果たし、有言実行。 【敢闘賞】  背番号43 田中辰憲 投手[(株)リンクエージェント] ~9試合登板 2勝0敗 防御率2.08~ 登板試合数、投球回数ともにぶっちぎり

          広報だより~2023年シーズンを振り返って③個人賞