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レンゲ畑

父が突然「レンゲを見に行こう」と言った。幼い私には何のことだかさっぱりわからない。でも、どこかに連れて行ってもらえるようなので、喜んでついて行った。
 
古く薄汚れたディーゼル車は、ガーという大きなうなり音をあげながら加速する。その加速を緩めたとき、一瞬の静寂の中に、カタンコトンというリズミカルな音だけが残る。大きく揺れるたびに、つり革が一斉に網棚に当たった。黒光りする木の床には、油のにおいがしみついていた。
 
窓の景色が少しずつ里山へと変わっていく。見知らぬ駅に降り立った。しばらく歩くと急に視界が開けた。そこには淡いピンク色のレンゲ畑が広がっていた。甘い香りに包まれて大きく深呼吸をした。見上げた青空にはヒバリが高く飛んでいる。
 
父と私はかぶってきた帽子を逆さにして、摘みとったレンゲソウを入れた。父が首飾りの作り方を教えてくれた。最初はうまくできなかったが、少しずつできるようになった。母に見せたくて夢中になって作った。
 
ときどき遠くに列車が走るのが見えた。2両編成。私は大きく手を振った。
 
陽が少し傾きはじめた。「そろそろ帰ろうか」と父が言った。私は摘みとったたくさんのレンゲソウを携えて列車に乗った。どこをどう走ったのか分からない。窓から入ってくる爽やかな風に吹かれ、私は眠りに落ちていった。
 
父に軽く揺さぶられて目をさました。ぼんやりと周囲をながめ、自分がどこにいるのかを確かめた。ふと手元を見ると、レンゲの首飾りがすっかりしおれてしまっていた。あんなにきれいだったのに・・・とても悲しかった。

家に着くころには陽も沈み、美しい夕焼け空の余韻だけが残っていた。

母に首飾りを渡した。だいぶ黒ずんでしまっていたが、母はとても喜んでくれた。満面の笑みだった。そして膝をつき、私を強く抱きしめてくれた。ふさいでいた気分が晴れて、とてもうれしかった。
 
かたわらでは、まだ歩くことのできない弟が、父と遊んでいた。狭い団地の部屋中が、レンゲソウの甘い香りに包まれている。それはやがて、母が作る夕餉の香りへと置きかわっていった。



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