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「かたちは思考する」平倉圭

一ヶ月も図書館で借りて、やっとこさ、つまみ読みが終わりまして。

ダンスや絵画など芸術を通じたアウトプットをするときに起きていることを冷静に分析した本であり、ことば以外で思考するとはどういうことなのか、が何度も同じ文を読み時間をかけてじっくりと理解が深まっていく本です。

芸術作品を制作するひとの頭をのぞいたような、そんな気持ちになりました。自分自身、ことば以外の表現方法・表現の場を広げていきたいと思っているので、この本はすごく哲学的なのですがバイブルのような存在になりそうです。

わたしは自分の中にない概念や考え方を知れたとき、とっても嬉しくなっちゃって誰かにシェアしたくなるのですが、伝えることが下手くそなので、その練習をしていきたいと思っています。

まず本を読むとき、こんな感じでメモしながら著者の思考とわたしの思考を整理しています。すごく汚いので、公開するのが憚られる…

【「かたちは思考する」の構成】
序章に本書の根幹・本質、それに続く各章は序章に書かれたことを実践・挑戦・問いかけしているアートやダンスなどについての説明と著者の考えが述べられる、という構成になっています。

【「かたちは思考する」序章まとめ】
①ことばがない世界 →「ひとは、モワレ=韻(ryme)を通して考える」

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まず、モワレとは「2つの周期的パターンが重ねられるときの第3パターンのこと」とメモしているのですが、これ初めて読んだとき頭の中がハテナ100個くらい発生しました。

ググってみると、規則的な模様を重ねたときにできるズレ(新たな異なる規則的な模様)のことっていう表現が近いのかな。写真とか映像とかで細かい縞模様柄(服とか)がうまく映らずにごちゃごちゃしてしまうことをモワレって言うみたいで、写真・映像でモワレが発生すると取り除くのがめちゃくちゃ難しいらしい、です。

モワレについてわかったところで、このモワレと韻が同じってどういうことやねん、って思うかも知れないのですが、韻というのはつまり言葉と言葉の結び目のこと。はい、また何言ってるの、ってなったと思います。わたしもなりました。

まず大前提として、「世界は言葉があることによって初めて成り立つのだ」「森羅万象=すべての事柄は繋がっている」という理論の元、話は進みます。例えば「山」「機械」「空」など複数の事象を結びつけるのは、”モワレ”。山という存在と、機械という存在の重なりを”モワレ”と呼んでいます。

そして、「前言語的世界(=言語が生まれる前or言語がない世界)では、理性(reason)ではなく、韻(rhyme)を通じて思考するのだ」、と著者は序章で述べています。これを本書では”形象の思考の論理”って言っています。

韻とはただそれぞれの存在を結びつけるだけではなく、互いを奪い、引き込み合うものでもあり、”形象の思考の論理”だけでなく、見るもののパターンをそこに引きづり混んで変形する”力の原理”でもある、そうです。

よくわからないな…って思いましたが、
「人間」と「ウイルス」に例えると
・「人間」と「ウイルス」の各存在の重なりが”モワレ”であり”韻”である
・「人間」と「ウイルス」は互いを奪い合い、引き込み合うものである
(文字通り、2者は命を奪い合う存在…)、だということですね。

なるほど…ってなりました。
一見異なる存在に見えても繋がりを持っているのだということ、
そしてそれらは良くも悪くも影響を及ぼし合う、と。


②形象と視点(視る者)の関係性
序章まとめの2つ目の項目は、なにかモノと、それを見る人間の関係性についてです。

おそらく、ものの考え方(哲学)として、
視点が変わってもモノと人間の関係は変わらない、という考え方もあるようなのですが、本書では視る物の立ち位置が変わるとモノと人間の関係性も変わるよーっていう考え方をしています。
(正確には、視る位置が変わると毎回その関係性が結び直される、と言っています。)

そしてモノを深く視ることは、「模倣の力(※)」を介してモノ(形象)を内側から解いていくことだ、そうです。

※この「模倣の力」について色々面白いことが書かれているので興味ある方はぜひご一読を。

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それ以外にも序章に書かれているのですが、わたしがまとめておきたいなって思った部分のみ抜粋しました。

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そしてそして、
この本で出会ったことばは、「いま」出会うべくして出会った感じがして、
何度も読んでじんわりと染み込んできた箇所をメモしておきます。

「形象を深々と見ることなく読む者、形象を見ずに済ませる者、見ることの根源の不安に沈まぬ者、形象の思考をあまりにも容易に言葉に置き換え、形象の論理を注意深く辿ることなく出来合いの言葉に流し込み、既存の言葉のネットワークの中で理解してしまう者たちに対しては、激烈に抵抗しなくてはならない。形象の意味不明瞭なパターンを見ずに飛ばし、既存の言葉との一致点を選択して「解読」することは、社会的に共有された理解の鏡像を形象に映し出すことでしかないからだ。形象の学は、形象をとりまく言葉を、形象自身を通してたえず問い直さなければならない。」
序章 布置を解く P23.より抜粋


とにかく、先が読めない世界ですが(今までが読めていたかと言うと謎ですが)ここに書かれていることは「思考すること」上で自分自身の根を張るための言葉、力にしたいものです。


>参考:「かたちは思考する」主要目次
序 章 布置を解く

I 形象の生成
第1章 多重周期構造――セザンヌのクラスター・ストローク
第2章 斬首,テーブル,反光学――ピカソ《アヴィニョンの娘たち》
第3章 マティスの布置――1945年マーグ画廊展示における複数の時間
第4章 屏風の折れ構造と距離――菱田春草《落葉》《早春》を見る
第5章 合生的形象――ピカソ他《ラ・ガループの海水浴場》の物体的思考プロセス

II 大地と像
第6章 断層帯を貫く――『熱海線丹那隧道工事写真帖』
第7章 異鳴的うなり――ロバート・スミッソン『スパイラル・ジェッティ』
第8章 普遍的生成変化の〈大地〉――ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』

III 身振りの複数の時間
第9章 バカボンのパパたち――赤塚不二夫・ウィトゲンシュタイン・橋本平八
第10章 Videmus(われわれが見る)――小林耕平《タ・イ・ム・マ・シ・ン》
第11章 幽霊のグルーヴ――core of bellsの憑依=参与的不一致
第12章 複数の時間を踊る――岩渕貞太・八木良太・蓮沼執太『タイムトラベル』
第13章 近傍の奈落――ジャン=リュック・ゴダール『さらば言語よ』
第14章 ノー・フューチャー――オフィスマウンテン『ドッグマンノーライフ』

あとがき







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