#25優しさは押し付けと紙一重?!某宗教新聞が我が家に投函され続けたエピソード。している側は「優しさ」だったが、我が家にとってはその優しさは「ゴミ」と化していた(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)
某宗教新聞がポストに投函された日
毎日寝る前に大人になりますようにと願って寝ていましたが、願いが叶えられない中で、神様なんていないという思考になっていきます。
そんなある日・・・新聞が我が家のポストに投函されました。
(なにこれ??)
新聞を依頼したことはなく、届く事態が気持ち悪いのです。
「お母さん、今日こんなん入ってた。注文したん?」
『してへんよ。新聞読んでいるような暇あらへん』
我が家にはTVガイド(テレビ番組情報が掲載されている本)で情報を取得していました。
「お母さんよく見たら、これ昨日のや・・」
四コマとテレビ欄だけ確認するので古い情報は不要でした。
『あー。もしかしたら、となりのとなり(70代1人暮らし女性)ちゃうか・・・。こないだすごく為になるから、読んでみと言われたけど、読むだけの暮らしの余裕ないのでいりませんって言ったんやけど・・・』
個性の強いご近所さんの話はこちら
仕事と子育ての暮らしで疲れている母は、活字に向き合う気力などありませんでした。
誰が投函しているかわからない、昨日の新聞が毎日投函されます。
投函される→捨てる→投函される→捨てるを繰り返します。
新手の嫌がらせなのだろうか‥とも思い始めていました。
当時新聞は古紙回収としてゴミに出す必要がある中で、一般ごみに混ぜて捨てなければいけない苦痛があったからです。新聞を購読していない我が家で、古紙回収にだせるまで新聞を貯めることは容易ではありません。
ある日、いわくつきのおばあさんと廊下で遭遇
『・・お母さん、新聞よんでいはるか?』
(やはり、おまえかーーーーーーーーーーーッ!!!!)
疑いが確信に変わったときの心情ですが、心を穏やかに答えます。
「新聞?読んでいないです」
『・・罰当たりやなぁ。ええことが沢山書いてあるのに』
「・・。母は仕事で疲れていて、新聞を読めるだけの気力はなさそうです」
足早に会話を切上げ、家に入ります。
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・罰当たりって、どのあたりが?!
・ええことが沢山って、だれにとってええことなん?!
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もやもやの気持ちがぐるぐるループします。
自分が勝手に良いと思っていることを、優しさのつもりで押し付けて、子供にその親の不満を言う方が罰当たりじゃない?!
もし本当に読んでほしかったら、当日の新聞を投函するという選択もあったのかなと思いますが、皆さんはどう思われますか?
大人になってから心を育てる時間の価値を読書から学びました。そのおばあさんも、母が学ぶと良いと思ってくださったのだと感じています。
ただ、人にはタイミングがあると思います。誰かの役に立ちたいと思っても相手がそれを喜んで受け取れるタイミングではない時もあります。その時に寄り添える人でありたいと思えた発見の体験になっています。
自分がしたいからすると考えると、気づいてくれない…感謝されない…などの心を乱す感情が生まれにくいと感じています。
精神を安定させるためには、自分が関与できない不安定要素を減らすことが有効でおすすめです♪
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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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