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#19母がパチンコ狂の信者に。児童は母が沼にハマる姿をみつつも、何もできず自身の無力さを痛感した。依存とは生きる力と直結するところもあるとは思うけど、結構危険だなぁと思う。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)

努力と結果が比例しない、さつまいもからの学びの昨日・・・

スキやコメント励みになっています♪ありがとうございます!見に来てくださる皆さんに、楽しんでもらえたらと綴っています。悲しい思い出もありますが、全てはNPO活動に繋がっている体験でありがたいと思っています。

ストレスがたまった母は・・・パチンコ狂に入信。

朝は私より早く家を出て、フルタイムで働いて、帰宅後は私にご飯を食べさせて、銭湯へ。夜は寝つきの悪さから、小さいビール缶を飲んで眠る暮らしをする母は苛々、ピリピリしていました。自身のやりきれないストレスを発散する何かを求めていたようでした。

大人になってから当時の事を聞くと、話が分からない年代は自分の話し相手にはならない上に、疲れているのに話しかけてくるのがしんどかったと・・。話が出来るようになったら、楽になったといっていましたが(笑)

そんな母・・・ストレス発散でパチンコ狂に知らぬ間に入信。

それまでは平日はご飯が負担なので、コンビニ弁当や総菜などでしたが、休日はご飯を作ってくれたりしていました。だからこそ、母の休日は自分のフィーバータイムでしたが、パチンコを覚えた母は家にはいません。

誰や教えたの(笑)休日は朝から晩までパチンコ暮らしになりました。
沼のごとく、もしかしたら勝てるかもしれないと思うと、終わり引き際がわからなくなっていたと・・・・

最近のパチンコは空気の循環を心がけていたり、禁煙・女性フロアなどありますが、当時は全喫煙でしたので、パチンコから帰宅時の母は、何とも言えない染みついた煙草の臭いが服・髪・全身からしていました。

(また・・パチンコいってたな・・・・)

私がパチンコに出入りし始めたのは7歳ぐらいからです。今は子供を連れて入る事は出来ませんが、当時は母の横の椅子に座って見ていました。

90年代のパチンコ台は野球拳・CRギンギラパラダイス(三洋物産)、初代CR黄門ちゃま2(平和)です。確変・単発、チューリップなど色々理解していました。
野球拳に至っては女性が脱ぐという映像が、パチンコ台の真ん中にあるミニ画面に流れていましたが、その描写を子供に見せていいかどうかより、勝つことが大切でした。

参考:野球拳画面/Versusさん動画より

野球するなら~こういう具合にしやしゃんせ、アウト! セーフ! よよいのよいッ♪

「お母さん野球拳ってなに?」
『じゃんけんして、脱いでいかはるねん』
「なんで服脱がはるの?」
『わからんわ』

(なぜ服を脱ぐのかよくわからないと思っていました。)

パチンコにいくと母は集中するので、横で漫画を読んだり、暇つぶしに買って貰えたゲームを横でしていました。パチンコは近くのお店では台が古いや、近所との体裁や確率が高いとかでちょっとした遠征もしていました。

ーーー
そんなある日
ーーー
今日はお母さんが家にいる日―――!
足早に家に帰ったものの、姿は家になく・・・。母のメモには『ちょっと近所のパチンコにいきます。早めに帰って夜ご飯作るからね』と書いてありました。ただ、夕方18時半を超えても帰ってこないことに不安になりました。

(早めに帰ってご飯作るって言っていたのに、帰ってこないなぁ‥。 何かあったのかなぁ・・・? たしか、近所のパチンコ屋さんにいくっていっていたし・・・)



(そうだ!お母さんを迎えに行こう!)

部屋の電気を消して鍵を閉め、家から10分程のパチンコ屋さんを目指します。パチンコの文字は赤く点滅し、煌々とネオンが暗闇の中で光を放っています。

パチンコは子供が一人で出入りできるところではありませんので、入口には「18歳未満立ち入り禁止」と書いてあります。店内に流れている音楽は軍艦行進曲(軍艦マーチ)が流れていて、『●百●十番台スタートしました』といったスタッフのアナウンスが外にまで漏れて聞こえてきます。

母を見つけようと自動ドアの透明の部分から、しゃがんで店内を覗きますが、見つかりません。

すると、店員さんが気にかけてくれました。
『どうしたの?』
「お、お母さんが中にいて・・・(モジモジ)」
『お母さんを呼び出ししようか?』
「いいの?!」



『・・・さま、お子様がお待ちになっています。至急、景品交換カウンターまでお越しください』

母の姿が見えて店員さんに一礼をして、足早にお店を後に・・・


(よかったぁ。お姉さんに呼び出してもらってほんとによかった)


その心は一瞬で吹き飛びます。。。

『あんた、何してんの!?あんなところで、お母さんの名前呼び出すなんて、物凄く恥ずかしいことしてッ』

(えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー)


あんなところって、お母さん私連れて行ってたやん。そんな変なお店なの?!となるのですが、もう母の怒りは静まりません。

全身から怒りがにじみ出ています。。

「ごめんなさい。。もうしないから・・涙」

私の想像では『心配してくれたん?遅くなってごめんな』でしたが、想像を超えるわが母・・・。

この事から思う事は、子供にしてほしくないことはしっかり伝えておいた方がいいと思います。空気を読むとかはわかるわけあるかーーーーいと思っています。(笑)ただ、怒られたことを通じて、何となくこれは内緒にするべきこととかを何となく判断できるようになっていきました。

この日の母の姿が猛烈なでしたので、それ以来は一切、店が分かっても一緒にいない時は母を迎えに行くことはなく、部屋で待つようになりました。帰宅が21時、22時を回る時もありましたし、待っている私に母がくれるのは、ほっかほっか弁当やコンビニ弁当です。

おやすみの日もお弁当。。この辺りからこんな暮らしは嫌だと思うようになりました。学校も好きじゃない私は、一人遊びの時間で現実逃避していました。

あの時代の母はギャンブル依存症だったのではないかと思っていますが今はそんな姿もなく、のんびり過ごしていているので、環境によって人は変わると感じています。

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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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