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#24祖母が教えてくれたことは、手を合わせること。祖母はそれ以上言わなかったが、児童は手を合わせながら必死に自分の「願い事」を誰かに届けるべく必死に念じていたあの日。(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)

早く大人になりたいと祈りだした私

この祈りは届かなかったのですが、祈るとは何かを教えてくれた祖母の話を・・

祈りという時間

私が祈るようになったのは、祖母の家で毎日炊き立てのご飯を仏壇に供えるように言って、手を合わせていたからです。

『まんまんちゃん(仏壇)にご飯をおいて、手を合わせておいで』
「なんでお仏壇にご飯をおくの?」
『食べる前に供えるのよ』
「なんで?食べはらへんやん?」
『ご飯食べれるのありがたいことやねんで。手を合わすことはええことなんやで。しておいで』

手を合わせるとは何をすることかわからなかったので、とにかく手を合わせて、自分の願いを祈っていました。
隣のヤクザが早くどっかいなくなりますように…

近所の話はこちら

祖母は手を合わせる時に「理由」を言いませんでした。仏壇には会ったことない祖父の写真が飾られていました。

ご飯の時にお膳の間で手を合わせるということはよくしますが、仏壇の前では何をしていいかわかりませんでした。

手を合わせるということを通じて、一方的な希望の願いを祈っていました笑

改めて今、時を経て手を合わせることの大切さを感じています。
手を合わせた時に願いを祈っていた時は、現実逃避のような時間になっていました。
ただ手を合わせることで今ここの何もない時間や何かと繋がれるような感覚を味わえるからです。
祖母に教えてもらった無の時間は色んなところに大きな影響を感じています。

心が何となく元気がないとか疲れたりした時も、何も考えずに手を合わせる。
その瞬間を感じたリフレッシュになるのでおすすめです。

私は20代の時から先祖という存在を意識し出し(それまでは墓参りもあまりせずでした)、神棚を買いました。
私の母はあまり祈るといったことをしないので、「何かあったのでは(母の歪んだバイアス)」とかなり怖がっていたようです笑

我が家は宗教の勧誘もされたのでその話は明日に。

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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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