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#6お父さん「やり直さないか」をもう一度!ちょっとまったコールが聞こえない。お父様もう一度だけ!(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)

noteで今に至るまでの振り返りにnote100日チャレンジをしています♪

父に亡くなるまでに会えたのは1回。

父との思い出の続きです。

両方の手が家族でふさがる日

自転車を買って貰った後、3人で手をつないで歩いて、お父さんとお母さんに引っ張ってもらうと、空を飛んでいる気持ちにさせて貰えました。

これってお母さんだけだとしてもらえないから、せがんで2回してもらったこと覚えています。

手をつなぐときに両方の手を家族でつないで歩けたことってなかったんです。いつも片手だけ。おばあちゃんかお母さん。

両方の手から体温を感じることがとっても幸せでした。

もう一回やりなおさへんか?

私は、その言葉が何かわからないけど、お父さんに慣れてくると楽しくて
あぁこの暮らしが続くといいのになって思っていました。
お父さんという言葉の重みとテレと嬉しさが心一杯です。

「わし、今はこの仕事している。今日過ごして付き合っている女もいるけど、そこはよりを戻すなら別れるから、もう一回やりなおさへんか?」

『何言うてんの。それは私は決められへんわ。それはあの子に聞いて』
ーーーーーーー
二人のやり取りを聞いているだけでよかった私にいきなり白羽の矢が。

『お父さんと一緒に住まへんか?』

父からの告白

(なんていったらいいんや。あぁあお父さんがいつもいる暮らしになるの?!それすごいやん!!わぁぁあぁぁぁ)

「いやや(笑)」



この時のいややは思いっきり覚えています。嫌じゃなかったのです。
ただただ ”照れくさくて” いやって笑って答えたんです。

『そうか・・』

沈黙が流れる・・・

(えっあっさり???)

私はその時もう一回、もう一回聞いてほしいと思っていました。
最初から「いいよ」なんていうなんて、軽々しさが嫌だったのです。

何年も一緒にいないのに、何時間一緒にいたからって
いきなりね、一緒に住まへんか?うん!!ってなれるわけがないやんッ。

だから、もう一回…もう一回…!!聞いて?
そしたら、その時は「いいよ」ってすぐいうからッ!!!

沈黙は金なんて言うけれど…沈黙は泥。

お父さんが同じ質問をしてくれることはありませんでした。

そっかって言った後の空気は重く、さっきまで笑っていたのに・・
全く笑えなかった。

『いややって笑なんや。おとうさんと住もや?(笑)』そう言ってくれると思ってたんです。

ちょっとまったコールはないんかい・・

ちょっと待ったぁコール
誰かが何かをしかけたときのストップのかけ声。TV番組「ねるとん紅鯨団」から。

時事用語事典/imidas

その日どうやって帰ったのかも覚えておらず、それ以降お父さんにあった事はありません。

帰り道 ホンマはもう一回いってほしかったとも言えず・・

ただ、今思いだすと、オヤジ新しい彼女いたんかいって思うのですが・・
この時の彼女って弟のお母さんとかじゃないよね?(笑)

阿弥陀くじの行先は?

その後の人生で幾度となく、この日のことは思い出し後悔しました。

もしあの日、「いいで」って言えていたらどうなったんかな?

もし言えていたら、お父さんがいる暮らしで、
私はヤクザの家の隣にも住まずに生きていたのかな?と
いう仮説の妄想からくる後悔の渦です。

父子家庭と母子家庭と両親が揃う家と何が違うのって言われたら、
経済的な差や生活環境の差です。

選ばなかった方の未来を知ることはできないから、対比が不可能ですよね。

今は人生の妄想は捨てて捨ててない

私は人生で二回ぐらい大きく考え方が変わるポイントがあるのですが、この時はまだそんなことはなく、何度も何度も思い出して苦しんでいました。

夜に電気を消して布団に入るとふっと思い出すのですよね。
何度も何度もあの日の情景が鮮明にリピート再生されて、
自責・後悔で寝れなくて泣ける夜も何度もありました。

実際は、選ばなかった方の未来は想像は出来ても現実ではないんです。
選ばなかった方を選び直して生きてみない限りは、対比できません。

あの日、あの時、あの場所で君に出会わなかったら・・・

違う誰かに出会って同じことを思っている可能性があるんですよね

弟と話して、オヤジの本質はきっと母と別れた時と変わってなかったと。
だから、きっとお父さんにあわないまま死んだことは、
いい意味できっと幸せなことなんだってそう思い込んで今を生きています。

くそオヤジやって幻滅できる方がよかったなぁって。
こういう時は何とも言えない思いが自分の中に生まれてきます。

自分の経験をした結果に対しては納得できるから、どんなことも経験することが大切だと思っています。たとえそれがいい思い出にならなくても、
いつか未来の私が自分の過去を変えてくれるから。

そう思えると怒りをぶつけた母も許せたし、
情けない自分も許せるようになりました。
いつか母がこの世を去った時に父と同じように後悔しないように。

読んでくださっている皆さん、どうかどうか、
家族に後悔が残らないように一日一日をお過ごしくださいね。

死んだらもう会うことはできません。

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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。
見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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