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「心託ノート」を書いてみよう

終活」という言葉は、かつて週刊朝日で使用されたことをきっかけとして、年末恒例の流行語大賞に2010年にノミネート、2012年にトップテンに選ばれて一気に認知度を増した。その後、全国各地で「終活」を支援する団体が設立されて現在に至っている。私が士業連携をして就活支援に取り組んでいる「一般社団法人 終活協議会」も、その支援団体の一つだ。だた、正直言って私は「終活」という言葉自体は、あまり普段好んで使っていない。終活協議会が使用している「心託」という言葉を使っている。「自分の心を託す」という表現が、ピタッと気持ちにフィットするからだ。その「心託」を書き記すツールとして「エンディングノート」がある。「私と一緒に書いておきませんか!」と、遺言などの相談者にはお話している。「いや〜私はまだ早いよ」「何か、エンディングって終わりみたいで嫌だな〜」最もな感想だ。「今すぐではなく、これから徐々に私と一緒に書いていこうということですよ」「まあ、さしずめ「心託ノート」ですよ!」こんな会話の後、相談者は笑って帰っていく。何となく必要性は認識してくれている方々ばかりで、こちらも趣旨をご理解いただいて一安心だ。

「相続」は、やがて「争続」に進んでいく・・

「毎年、恒例行事のように遺言の書き換え相談に来られるお客さんがいるんだよ」と、知人の士業さんから聞く話。ご本人曰く「この一年間の自分に対する「勤務評定」のようなものだよ」といたって、あっけらかんと話されるとのこと。そして、相続が兄弟ケンカの争いの種にならないように、きっちりと線引し、同時に自分の世話を多くしてくれた人に対しては、相続で報いたいとのお考えのよう。何か、相続という対価で気持ちが評価されることに違和感を感じる部分はあるが、遺産を残して旅立たれる方にしてみれば当たり前の考えなのかもしれない。

身元保証の問題は本当に深刻

病院や施設への入居時において、身元保証を求めることが常態化している。「費用の支払い」「手術などの医療行為に対する承諾」「遺体の引き取り」の3点から身元保証が求められる。そして、昨今は、そもそもの話として、その身元保証人がいないために病院にも、施設にも入ることができない事例が多く見られる。そのことが結果として孤独死を誘引する遠因になっている。独居老人を含めた単身世帯が50%を超えるのは、2035年頃と推定されている。かく言う私も、単身世帯の一人であり、現在入居中の賃貸住宅も保証会社の保証を頼りに入居している一人だ。まさに孤独死予備軍である。「心託ノート」を書かなきゃならないのは、終活支援している私自身のことかもしれない。


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