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ホラーという脊髄刺激装置:葉山嘉樹について

こんばんは。月に一度の別冊夢想ハウス.にこにこです。
10/20(金)の朗読では、葉山嘉樹「死屍を食う男」を読みました。

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出会いは「セメント樽の中の手紙」だった

葉山嘉樹といえば…学生の頃に授業で読んだ「セメント樽の中の手紙」。
以前朗読したことがあるけど、コメント欄は凍り付いていた。遣り切れない読後感を共有した思い出…。
葉山嘉樹 セメント樽の中の手紙 (aozora.gr.jp)

この作品はプロレタリア文学として有名でありつつも、怪奇小説として読まれてもいるとか。江戸川乱歩「芋虫」と並べて論じられてもいる(*1)ようだ。
プロレタリア文学に造詣が深くないということもあるだろうけど、私自身も「怖い話」としてのインパクトのほうが強く残っていた。
そこでこんな素晴らしいnoteを紹介したい。

「セメント樽の中の手紙」の発表前年である1925年、葉山が刑務所にいる間に二人の子供が餓死してしまったそうだ。し、知らなかった…。
こんな経験をした翌年に、ウヨウヨしている子供や妊娠中の妻にウンザリしながらも日々労働に明け暮れる主人公を描いたのか。
人間がセメントになる、という世にも恐ろしいエピソードに直面した上で、「何もかも打ぶち壊して見てえなあ」と怒鳴りながら、もうすぐ生まれてくる7人目の子供という現実を「見る」…このラストシーンに、戦慄よりもむしろ、それでも明日を生きていく労働者たちの強さに心打たれるような感情が芽生えた。

そして「セメント樽の中の手紙」の翌1927年に発表されたのが、今回読んだ「死屍を食う男」。
こちらは正真正銘の怪奇小説、10月末が舞台の寄宿舎ホラー!
やはりせっかくの生配信だし、季節感ある作品っていいよね。


雑誌「新青年」

「死屍を食う男」は雑誌「新青年」にて発表された。
「新青年」といえば、横溝正史(2代目編集長)をはじめ江戸川乱歩、夢野久作、久生十蘭、小酒井不木など…層々たる作家たちが活躍した雑誌であり、探偵小説が日本で盛り上がった発端ともいえる雑誌である。
以前旅先の書店で出会って衝動買いしたこちら、『新青年』名作コレクション。知らなかった話ばかりだしどれも面白くてたまらなかった!おすすめ。
アンソロジーって、確実に好きな作風の話に出会えて楽しい。

タイトルでネタバレしているのに面白い「死屍を食う男」

舞台は、松林に囲まれた静かな寄宿舎。生徒数に対して広すぎる部屋。
運動場の隣には湖があり、毎年一人ずつ生徒が溺死する。鳴り響く国分寺の鐘…。
あかん、設定だけで胸が高まってどうしようもない。天才だ…。どきどき。
この環境の中、主人公の安岡は不眠気味になっている。唯一のルームメイトである深谷は神経質で人嫌いだが、消灯後は案外すぐに寝入るようだ。
ある晩、眠れずにひたすら寝返りをうっていた安岡は、フト顔のあたりに気配を感じ…。
葉山嘉樹 死屍を食う男 (aozora.gr.jp)

この作品の面白いところは、タイトルでネタバレしてるところ。深谷が怪しい行動とり始めた時点で読者は「あ…これは…死屍食ってるよ絶対!」ってピンとくるはず。(配信では「比喩かと思った。物理だとは思わんかった」というコメントをもらって面白かった。)
しかし結末の予想が多少ついてても盛り上がるのは、後半の躍動感あふれる描写だ。じめじめしたゴシックホラーの雰囲気、ゆ~~っくり開くドアなんていうJホラー映画風の描写から、急に走る系ゾンビみたいになっていく、その唐突さがたまらない。
確かに結局のところ「深谷=死屍を食う男」なのだが、客観視してやっぱりな~などと思っている場合ではない。急展開に追いつこうと一生懸命走るうち、いつの間にか我々も安岡になってる。鋸が骨身を引く音や腐臭が感じられる気さえしてくる…。

深谷の正体がわかったようであんまりわからないのもまた良い。
なぜ安岡と同時にいなくなったのか、なぜ死体は半透明だったのか…。それはもしかしたら「知らないほうがいい」話の範疇なのかもしれないね。

※「セコチャン」とは
ちなみに作中にでてくる「セコチャン」というのが何なのか全然わからなくて検索しまくったところ、「セカンドチャンピオン」の略称のようだ。
ブログに書いて下さった有識者とインターネットに感謝します。

葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」と「死屍を食う男」 | alp-2020のブログ (ameblo.jp)


現実の厳しさを深く見据える「セメント樽の中の手紙」。他にも沢山プロレタリア文学作品を発表していく中で、このようなホラーを書いていたことを知れてよかったな。
事実は小説より奇なり、というように…「ホラーよりも怖いこと」「パニック映画より恐ろしいこと」は現実世界でも起きている。労働者の視点から現実の厳しさを浮き彫りにするプロレタリア文学は、突き詰めていくとホラーというジャンルにも肉薄するかもしれない。そして、ホラーはときに人間讃歌となり、読むものを癒してくれる。
入院患者が読む本のジャンルでホラーは人気だと聞いたことがあるが、確かにどこか現実的な恐怖を忘れさせてくれる作用があるように思う。
毛羽立つ神経を宥めるように、脊髄に電気刺激を流し込むようにして「怖いはなし」を読んでいる。


次回は、11/17(金)21:00~ 蘭郁二郎「蝕眠譜」を読みます。
蘭郁二郎も「新青年」で作品を発表していた作家のひとり。(この作品は別の雑誌「探偵文学」での発表だったようですが…)

冬が迫った冷える夜に、底冷えする「怖いはなし」。またとんでもない作品に出会ってしまった!!
あたたかくして聞いてくださいね。よろしくお願いします!

(*1)荒俣宏著『プロレタリア文学はものすごい』

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